コズミックリーディングがすべて終了し、メンバーの多くはその後もメーリングリストで繋がろう、毎月勉強会を開こうと言っておられます。

僕ももちろん大賛成です。

それを受けて柳瀬さんから出た課題が「3.11」

僕が図書館で借りてきた本は「言葉に何ができるのか 3.11を超えて」 

その中に次のような記述があります。

~「”悲しい”と言ったって、この悲しみはいままで体験したどれにも該当しない悲しみであり、やりきれなさだし、絶望感です。こういう感情を規定する言葉を探したい。とは言え、新しい言葉を生み出すことというのはあまり意味がないと思います。いま我々が使っている言葉の組み合わせによって、新しい感情の本質をすくっていく。とにかく言葉が見つかれば感情の本質は見つかってくると、言葉の側にいる人間としては思うんです。それが見つかったときに震災の本質ももっと明らかに語れることができるんじゃないでしょうか」~

 

体験を表現する言葉が見つからない、それはそんな体験いままでにしたことがないから。それくらいの体験なので言葉に出来ない・・・・

自分たちのことを、何をして欲しいかを、今どういう状況なのかを、聞かれても答えようとしない人たちがいたと聞きます。

だから、東北人は忍耐強いとかムラ社会だとか、よそ者を信用しないとか、、、ではないのかもしれません。

 

明日の水曜日には新潟直江津でFEI整体の勉強会があるため(本部がそこなので仕方がない)、今夜から夜行バスで富山まで、そこからJRで行きます。

先日の仙台ー金沢間のバスの事故は他人事ではありません。

でも、僕は自分の乗る路線だったら嫌だなという思いでしかニュースを見ませんでした。

それに乗っていた運転手や亡くなったり負傷したり、あるいは負傷はしなかったがショックを受けた人、その家族の気持ちなどには全く思いが至りませんでした。

コズミックダイアリーを使っていて、インラケシュ(わたしはもう一人のあなたです)などと口では言っていても、咄嗟に頭に浮かぶのはそんなもんです。

 

現実問題として、僕自身は福島に限らず東北(太平洋側)や関東方面で採れる魚や野菜は食べない方が良いと感じています。

もはや住む場所でもなくなっている気もします。

汚染度合いと福島原発の現状を見たら、それが冷静な判断だろうとも思います。 

しかし、現にそこで暮らしている人、逃げ出したくても逃げ出せない人、ふるさとを離れたくない人、復興のために一所懸命な人、のことを考えたときに、この言葉は大変思いやりのない言葉ととられるでしょう。

僕はここで祈りの言葉を発しようとしていますが、こんなことを平気で書く人間が矛盾しているではないかと言われることでしょう。

 

現実を冷静に観たら、現在も進行中の深刻な土壌と海洋汚染、すでに深刻な影響が出ている(決して公式に発表されることはない)植物や昆虫や、そして人間。

この状況で、東北の物産を買って応援しようとか、頑張れ東北、負けるな東北、というのは見当違いも甚だしいと思います。

何かが違います。

ようやく漁に出られるようになった人、ようやく畑を耕せるようになった人、そしてそうでないたくさんの人。

ではどうやって暮らしていくのか、どうやって生きていくのか、自分たちはどうなってもいいというのか。

これらに対しての答えは持ち合わせていません。

心を鬼にして言うならば、問題の本質はそこではない気がするのです。

 

このように書いてきても、もし、福島や宮城、岩手で学会やセミナーがあれば参加しますし、その時には地元の食材を頂きます。

躊躇はなく、そんなものは当然なのであり、応援などという気持ちもありません。

被災地・被災者がお金を必要としているのであれば、出来る限りの寄付はしますし、人材を必要とするのであれば赴いてお手伝いもします。

しかしながら復興計画は関西にいる僕たちにも全く見えてきませんし、どうして良いのか僕たちにもわからないのが本当のところです。

しかし決して忘れてはいないのです。

特にマヤの叡智の講座を受けてからは、柳瀬さんが始終フェイスブックに書き込まれますので、いつも祈っているというのも真実です。

 

祈り=意乗り   神の意に乗ること あるいは神が民の意に乗ること

今回の震災とそれに伴う原発事故が例え意図的なものであろうが、純粋な天災であろうが、人的災害と捉えようがそうでなかろうが、そこに神の意思があるとするなら一体何なのでしょうか?

 

それは自然と共生することを忘れ、便利さ、豊かさに中毒し、経済的発展だけを追い求めてきた結果、人類自らが自分たちに起こした自業自得の出来事ではないでしょうか。

それが、偶然か必然か、日本であった、東北地方であった、ということです。

もしそうなのであれば、これは日本人全体がそのことに気づき、人として生きるための社会的概念や価値観の大方向転換をし、それに沿った生き方に改めていくべきと考えます。

今の政治は全くもって信頼できませんし、そこに任せるなどはとんでもない話です。

いい加減、お上にお任せという考えは返上すべきですね。

我々一般民衆が意識改革をしていき、その結果そこから次の日本の舵をとる人たちが出ていくようにしなければなりません。

 

祈りは、そこに神の意思を観ることです。

そして何が神の意思なのかを考え、その意に沿うように軌道修正することです。

決して、「神様どうか〇〇してください」とお願いすることではありません。

僕たちはそんなに弱い生命体では決してありはしません。

 

本日、3月11日に寄せる人々の思いはそれぞれでしょう。

でも僕は、被災されたすべての人のあらゆる思いや生き方に共振したいと思います。

残る人、出て行く人、文字通り頑張る人、絶望したままの人、すべての人のすべての思いと行いに寄り添いたいと思います。

地震の直後から、感情を表す言葉も見つからない状態になり、様々なことを乗り越えながら今に至った人々、あるいは乗り越えられなかった人々、天へ旅立たれた人々、ボランティアに行った人々、またそれに助けられた人々、それをテレビでみていた人々。

あらゆる人々の思いと行いに。

 

そして、静かに、かつ力強く

祈ります

ありとあらゆる、生きとし生けるものすべてに対し

もちろん自分自身にも

神の意と、宇宙の意と調和しますことを

 

どうぞ、視点を高く高く持っていってください。

成層圏を越えて 太陽系を超えて 天の川銀河を超えて 

そしてそこから日本を、東北をみてください。

そこにいる人たちをみてください。

そしてそこから自分の町と自分自身をみてください。

心静かに、客観的に、

そのとき、あなたの主観はエゴではなく神の意とともにあります。

何をすべきか見えてこないでしょうか。

 

本日14時46分。

別に時間を限定しなくても良いんですが、日本中の人が祈りを行うことを願います。

僕は今でも、東北の方々がその役目を引き受けてくださったという思いに変わりはありません。

 

以前にもアップした動画です。

2014.3.11