~5月9日投稿分より~

 日本という国や社会が、政治家や官僚によって変わらないというのは皆さんよくご存知の通りです。歯科医師会はじめ各団体は職域代表と称して議員を送り込むわけですが、皆さん非常に視野が狭く視点が低く、要するに自分たちさえ良ければ的発想が基にあるので、結局は国が良くなるなどということは起こりません。
 一方、野に目を転じてみると、今、日本各地で自給自足のコミュニティが立ち上がってきています。福井の萌叡塾もそのひとつ。電気をどうするのかという大きな問題はあるのですが、それ以外ではほぼ自給自足が成立している状態です。食が壊れているという日本の現状を鑑みた時に、安全な食べ物を自給するというのは非常に大切なことです。コミュニティ内での自給にとどまらず、それを望む外部の人たちにも有機あるいは自然農で育てた作物を届けることが出来るというのがミソです。それによってコミュニティには属さない人たちが、間接的にコミュニティの経済を支えることになるから。 
 目指すべきコミュニティの形として、その中には様々な職業の人がおり、原則的にお金は存在しません。お金は主に外部との間での物のやり取りの際に必要となります。コミュニティが孤立しては意味が無く、そうでない人たちとも密に交流します。労働はすべてその本来の意味である奉仕の形で行われます。もちろん原価がかかるものも多いのでそこは一考を要します。皆が皆畑をする必要も無いでしょうが、小さくてもやるでしょうね、楽しいから。放置された杉林は手入れされ、活用され、形を変えていくでしょう。秋には鎮守の神様の下、盛大に感謝の祭りが開かれます。


 ここでひとつ質問を。
 もし、明日からお金というものが無くなったら、自分の仕事の対価も無償だが、欲しいものもすべて無償で手に入るようになったら、皆さんは今の仕事を続けますか?

 僕は続けます。もし、考えるようなら今の仕事は皆さんにとってその程度のものだということです。


 さて、日本にそういったコミュニティがたくさん出来、それぞれが成熟していく中で、コミュニティ同士のつながりも重要になってきます。小さな州が連携を取り合って合衆国になるように、日本中に点在する小さなコミュニティとそれに関わる一般の方々が有機的につながることにより、それが実質的な日本となる。もはや政治は意味をもたなくなり、大企業は自らの在り方を再考せざるを得なくなります。チキンラーメンだって味の素だって、創業者の意思は世のため人のためだったはず。
 それが日本になるといいましたが、日本が良ければそれで良いわけではありません。志を同じくするならば外国人も受け入れます。さあ、お立会い!皆さん、少しくらいは耳にしたことがあるかもしれませんが、ここであの「エスペラント語」がようやく日の目をみるかも、です。井上ひさし、梅棹忠夫、宮沢賢治、柳田国男、ちょっと変わったところで出口王仁三郎なんかもエスペランティストだったそうです。ちなみにうちの娘二人もエスペラントを習っていたりします。
 先日テレビで見たのですが、アメリカではすでに一部のセレブ達が自分たちの稼いだ金で貧乏人たちを養うのは馬鹿馬鹿しいということで、独立したコミュニティを作り納税をしないため、街は破綻状態になっているということでした。形も趣旨も違うけど、まあそういう動きがアメリカらしくもあるわけです。


 シャングリラは別名シャンバラともいいますが、理想郷のことで、チベット奥地にあるとか、シャスタ山の地下にあるとか、多次元的に霊的な形で多数存在するとか、皆の心の中にあるとか、いろんな言われ方をしております。それに憧れる多くの人は、シャングリラがすでにあってそこに辿り着こうとするわけです。僕もずっとそう思っていました。しかしながら、もし僕が上に書いたことが実現したなら(実現させるのですが)、それってシャングリラじゃないでしょうか。小さな理想郷がたくさん繋がって大きな理想郷を作る。その小さな理想郷は自分たちの手で作る。これって、スゴイじゃ~ん。各コミュニティは個性的で考えも様々でしょうが、決して他の在りようを批判せず、尊重しながら連携できるのかが大きなポイントです。


 先日、萌叡塾の塾長の谷崎さんに、こっちに来なさいと言われました。もちろん、すぐには無理ですが、「シャングリラからの伝言」という本を上梓し、同名のHPも立ち上げている僕とすれば、これが僕を含めた家族の運命なのか、と思います。子供たちはすっかりその気。この大シャングリラ計画がある程度完成するまでは、僕は寿命を頂けるのかなと思う今日この頃。
 ちなみに、以前塾長に「僕は赤い灯、青い灯がない所ではよう住みません」と言ったことがあって、こないだ会ったら「西塔さん、赤提灯作るから」って言われました。いや、そういうことじゃないんだけどなぁ・・・・

2014.5.13