実際のマヤ歴終焉の日というのは諸説あるので、それはちょっと脇へ置いといて、サイドメニューにある「2012年問題の真実」のページの訪問者の多さは、やはり最近の地震、津波、大雨等による被害を鑑みて心配になっている方が少なくないということを示すものだと思います。

さて、2012年に地球がどうなるかなんて実際のところ誰がわかるというのでしょう?

そもそもマヤ歴がある日で突然終わってるからって、日本人がどうして心配しなくちゃいけないのですか?

 

そりゃ、僕だって大丈夫ですとは言っていますし、色んな人が色んなことを言っていますが、誰が何を言おうが、だからどうだって話です。

明日、超光速で隕石が地球にぶつかるかもしれないし、いきなり大地震がくるかもしれません。

もし2012年問題がなかったとしても、道を歩いていて暴走車が突っこんでくるかも知れませんし、風邪だと思って病院に行って精密検査したら肺ガン宣告される可能性だってあります。

だいたい頭の上に鳩のフンが落ちてくるのをどうやって予見して避けますか?

心配したってしょうがないでしょう。

ネットでそんなことを検索したところで誰の言うことが正しいのかなんて誰にも(言っている本人にすら)わからないのです。

 

ずいぶん前に「徹子の部屋」でとあるゲストの男性が話していたことで、いまだに忘れられない話があります。

作家だったか、写真家だったか、詳しいことは忘れましたし、話もうろ覚えなのですが、彼が欧米を巡っている時に、アウシュビッツ収容所跡に行ったそうなのです。

その後、かつてそこに収容されていたユダヤ人の少女が描いた一枚の絵を見て衝撃を受けました。

その少女が収容所の中で描いた絵は外の世界。

きれいな花が咲き誇っている草原で蝶々が舞い、その少女が走って遊んでいる風景。

明日ガス室送りになるかもしれないのに、小さな女の子はそんなことを夢見ながら描いていたのです。

 

ああ、なんということでしょう。

いったい僕たちが普段心に抱えている心配事なんて、これに比べたら・・・・。

そんな中で夢の世界をパステル調に描けるでしょうか?

きっと来る明日を夢見ながら今を生きる。

その少女は今頃おそらく少し違う場所で夢見ていた通りの世界にあそんでいることでしょう。

 

いつも言いますように、大切なのは精一杯今を生きること。

これは一所懸命仕事をする、勉強をするなどのことでもありますが、それだけの意味ではありません。

三次元世界というと低次元ですなわち低レベルだと思われるのですが、そういうことでもないのです。

 

今の人間ような物質的な肉体を持つということは、それは実に素晴らしいことで、例えばエベレスト登頂の後、下山してくれば普通に呼吸できることそのものに感動するでしょう。

肺が大きく膨らんでしぼんでと、自由に呼吸できる感覚を満喫するでしょう。

 

道を歩いていて漂ってくるキンモクセイの香り、お母さんのエプロンの匂い。

 

ご来光を見ただけで込み上げてくるものに抗えず、思わず合掌しながら涙を流す。

 

梓川の身を切るような冷たい流れに手を浸してみる、愛するあの人の頬に手を伸ばして触れてみる。

 

こんなことが出来るのはこの肉体があるからに他なりません。

普段、全く意識することのない一挙一動が実に感動的だということは、一度そこから離れてみないとわかりません。

かつてこの世を離れた僕たちは、もう一度あの世界でと、これは真に切望して今、ここにやって来たはずなのに・・・・。

 

もう、おわかりでしょうか?

「今を生きる」ということがどういうことか。

それでもまだ、2012年のことが心配ですか?

2011.9.27