ならまちワンネス歯科~再考~
一般的には自院には〇〇歯科と自分の名前を冠するものでしょう。
そうでない場合、例えばアップル、ホワイト、スマイル、さくら・・・・などをつけるのも多いです。
〇〇デンタルクリニックはわかるんだけど、〇〇歯科クリニックは果たして言葉として正しいのか?
かつて西塔歯科だった当院は移転を機に今の名前に変わりました。
そのきっかけとなったのが、ある経営セミナーを開いていた講師の先生の「医院名はすごく大切で、それがその歯科医院のコンセプトを現す」という言葉。
それを聞いた瞬間、隣にいたスタッフに「今度は”ならまちワンネス歯科”でいくから」と速攻伝えたのです。
ならまちは地名ですから良いとして、ではいったい”ワンネス歯科”って何なのでしょう?
当初は、他人との分離感が苦しみを生み、そのせいで心が身体にサインとして不調を起こす、だから皆元々は一つなんだということを理解することが大切で、それを伝えるための歯医者ですよ・・・・という説明の仕方をしていました。
実際、移転の際に作ったリーフレットにもそう書いていました。
今はワンネスに対する説明の仕方そのものが違います。
”あらゆる違った個性が否定されずに調和している状態のこと”と僕は言っています。
であれば、前歯と奥歯の調和、右と左の噛み合わせの調和、噛み合わせと全身との調和、心と身体の調和などなど、色々考えられますね。
それがワンネス歯科なのでしょうか?
これにはまだその先があるのではないかしら?
土曜日の模型分析のセミナーの後、懇親会が新大宮の焼き鳥屋さんでありました。
その時に、お酒を注ぎに来てくれたセミナーのスタッフである若い歯科医師。
20歳以上年下の彼に偉そうに喋りながら、結局はその話は自分が自分に対して話しているのでした。
気づきを得ながら話す。
話しながら気づく。
中々に面白いですよ。
以前にも書きましたが、子供の心というのはわかりづらいものです。
自分が子供の時のことを考えても、親に自分の気持ちを話したことなどないし、話そうとも思いませんでした。
親になった今、そのことをふうさんに思い出させてもらったのです。
なぜ子供が親に話せないかというと、そこに強者と弱者があるから。
これは言い換えれば賢者と愚者とも言えるかもしれません。
もちろんこれは誤った認識ですけどね。
子供の方が賢いのに。
子供の方が強いのに。
ま、一般的には弱いものは内なる声をあげることなく、自分の中にしまってしまいがちですね。
じゃあ歯科医院における歯科医と患者についてはどうでしょう?
これも強者と弱者じゃないでしょうか。
たとえ詰め物が一カ所取れただけにしても、歯ぐきが腫れたにしても、ひどい虫歯があったにしても、すべては身体からのメッセージです。
身体は心からのメッセージを中継しています。
つまり身体症状は溜めこんでいる感情を表しているのです。
ということは、僕たち歯科医の目の前にいる患者さんの(本人も気づいていない)本当の訴えはそこにあるんですね。
でも、患者さんは口の中のことしか僕たちに話しません。
それが心の問題だという自覚もないわけですから当然なのですが、そういったことも含めて患者さんは自分の気持ちを(治療に対する希望であっても)言わないものなのです。
そこを僕たち医院のスタッフはよ~く認識する必要がある。
だから応急処置が終わったら、患者さんが何でも話しやすい状況を作ってあげて、とにかく色々とこちらに伝えて頂くようにした方が良いですね。
どんなことだって構わないのです。
姑の愚痴だってOK,旦那に対する不満だってOKなんです。
個人セッションじゃありませんから、それに対するこちらのコメントなど一切不要。
スピリチュアル的な解釈など余計なお世話。
ただただ胸の内を聞くこと、傾聴すること。
これがすごく大切で、それがないのであれば根本的な歯科医療が為されていないと言うこともできます。
ただ治療するだけならね、それって不登校の子を無理やり学校に行かすようなもので、表面上不登校ではないけれど根本的な問題解決には何もなっていない、というのと同じことです。
てなことを若手の歯科医に喋りながら、「う~ん、深いなぁ・・・・」と思った懇親会だったのでした。
これが月曜日の朝礼でスタッフへの話になったりするのね。
ならまちワンネス歯科・・・・・
そこでのワンネスとは、違っていて当然の歯科医側と患者側との心(想い)の調和なのかもしれません。
2012.7.10