オーディション
担任との親子懇談のため一週間ほど帰省していた藍が今日、福井に戻りました。
普通に受験して高校に行く気は今のところない旨を担任に伝えると
「気楽な身分ですねぇ」
僕は、高校でも専門学校でも行きたくなったら行けば良いと思う。
15歳になったから高校に行かなければならない
18歳になったら大学へ行かなければならない
そうは思わなくなってきました。
折りしも、文科省が打ち出した飛び入学制度が話題になっているようです。
学びたい時に学びたいことを学べばよいのではないか?
そう思うのです。
そこに入試やら、就職やらに対する固定概念はありません。
もっと自分の人生を自分で自由に設計するべきではないでしょうか?
そこに横並びの感覚は要らないでしょう。
藍のようにやりたい事が決まっているのなら尚更です。
母子手帳など典型的なのですが、読んだらわかりますが、以前ほどではないにしても、生後〇カ月までに〇〇が出来ていますか?〇歳〇カ月でここまで成長していますか?みたいなことが書かれています。
ここから子供たちは常に標準と比べられる、それも社会から(検診によって)、おまけに母親からも比べられるのです。
アッホかいなぁ~。
最近、当院では妊産婦さんに積極的にそういったことに対する正しい情報提供をするようにしています。
専門家とされる人でさえ、嘘ばっかり言うんだもん。
すでに欧米では否定され、捨て去られた育児法が、いまだまかり通っているのは日本くらいのものです。
保健師さんですら間違ったことを言う人が多いです。
なぜかというと、それらは知識を本から得るからです。
あるいは先達の間違った考えを受け継ぐからです。
胎児、乳幼児に関する指導をする人は、縦軸でしかものを見ていません。
どういうことかというと、1才半であれば平均的に、ここまでの成長が見られるはずなので、それと比べるとお宅のお子さんは少し発達が遅いですね、みたいな感じ。
僕たち歯科医は一人の患者さんを、お腹にいる時から、幼児期、小児期等々ずっと追いかけることがあります。
あるいは違う患者さんであっても、さまざまな年齢の方と接するわけです。
戦前の生まれの人から平成生まれの方まで。
それぞれの育ち方、生活習慣などを見た時に、小さい時にこういうことをしていると将来こういう風になる、というのがわかるわけです。
つまり僕たちは人を横軸(時間軸)と縦軸(現象やその頻度)の両方で見ている。
そこが専門家と言われる人と違うところです。
専門家は非常に狭小な偏った見方をする人が実に多い。
そして何より自説にこだわる姿勢が何とも愚かしい。
ああっ、前説が長くなってしまった。
本日の主題はそんなことじゃありません。
寝ながらふと思いついたことです。
最近ちょくちょく出てくる久瑠あさ美著「マインドの法則」の中に次のような話があります。
著者がかつてCMモデルのオーディションを受けた時のことです。
当然選ばれるか、選ばれないかの二者択一なのですが、皆さんならどういった気持でそこに臨みますか?
普通はどうすれば選ばれるか?と考えますよね。
審査員、つまり広告代理店とクライアントの広報課の人間が、どのようなイメージのモデルを求めているのかを考えるわけです。
しかし彼女は少し違いました。
その商品がCMで放映された時に、どのようなイメージを視聴者に与えれば良いのか?
さらには、そのCMがどのように社会に評価され、どのようなインパクトを与えるのか?
その商品がヒットした時の社会的な意義は何か?
そこまで考えて、審査側の要求に対して自分を表現するというオーディションの受け方をしたのです。
つまりオーディションとは彼女にとって、試される場ではなく表現の場となったわけです。
これは選ぶ側、選ばれる側に共通のビジョンの存在を意味し、さらにはそのビジョンをさらに高い次元まで引き上げるように設定することにより、審査側が気づいていなかった商品の価値を見出すことまであり得ます。
こうなると選ばれる云々じゃなくって、選ばせるになってしまいます。
さて、僕が考えたのはそういったことを意識してやるのではなく、ただ自分がオーディション会場に存在するだけで、「ああ、この人に決定!」と思わせるような人間になればいいな、ということです。
努力をせずに成功するってやつですね。
この時、他の応募者は蹴落とされることになるわけですが、自分から見れば競争しているわけではない。
自分がそのオーディションを選択した時点で、すでにそうなっているということです。
よろしいでしょうか、みなさま。
このブログが先日来、皆さんを導こうとしている先がおわかりでしょうか?
2012年6月をもって(正確には6月26日)、過去を引きずるのは終わりました。
これは地球の波動レベルの話です。
7月からはすでに未来に向かっています。
これからは望みや願いを叶えていく時なのです。
そう、あなたは成りたい自分に成る!
在りたい自分で在る!
だからこその宿題であったのでした。
2012.7.21