お漬物の語ること

浅漬けのO157による感染事故。

小さな女の子まで亡くなったのは何とも痛ましい限りですが、まさに今の食品業界の実態を表しているのではないでしょうか。

問題を起こした食品会社がこれから吊るし上げられるでしょうが、そういうことではないのです。

皆さんは、スーパーや農家から買った野菜を消毒してから食べますか?

洗いはするでしょうが消毒まではしないでしょう。

調理器具に関しては家庭でも消毒に近いことをするでしょうし、食品工場なら当然です。

でも工場では白菜は消毒液に漬けられるようで、その消毒液の濃度が云々という問題になっています。

このことに違和感感じませんか?

 

浅漬けであろうが、いやしくも漬物という看板背負いながら雑菌が繁殖するのはおかしいでしょう。

ここには現代食事情の様々な問題が凝縮されていると思います。

塩分を抜いて、保存料や化学調味料で味付けした漬物。

それを美味しいと言って食べる子どもと、食卓に出し続ける母親。

 

漫画「美味しんぼ」でも幾度か漬物に関する話が登場します。

今は東西新聞を定年退職されている男性の奥さんが大の漬物好きで、漬物小屋まで作っている。

そんな彼女曰く「漬物をスーパーで買うなんて、日本の女性として恥ずかしいことです」

それを聞いた山岡は世間の現状を見せようと百貨店に彼女を連れていき、食料品売り場でいくつか”本物の漬物”と銘打ったものを試食してみます。

あまりの人工的な味付けに思わずトイレに駆け込み幾度も口を漱ぐ彼女。

コーヒーを飲んでもその嫌な後味は消えることはありませんでした。

その後、彼女は本物の味を伝えないといけないと、儲け度外視でご主人と漬物屋さんを始めます。

 

別の話では、こういうのがあります。

何人かモニターの人に集まってもらい、一切添加物なしの本物の漬物と、いわゆるスーパーで売られている化学(旨味)調味料満載の漬物を食べ比べてもらいます。

二人を除いて全員が後者の方の漬物の方が美味しいと判断しました。

その二人とは、漬物屋の社長と日本文化を学びに来ているアメリカ人でした。

社長曰く「わかってはいるけれど、自然な味の漬物を作っても消費者は買ってくれないんだ。皆、化学調味料が入った方が美味しいと言うんだ」

これが現状です。

件の白菜の浅漬けを作った会社の管理体制にはもちろん問題があったでしょうが、彼らだけが悪者じゃありません。

今回の事件をそのように処理してはいけないのですが、マスコミは大手食品会社等のスポンサーとしての問題がありますから、絶対にそこには踏み込みません。

でも、皆さんだけはよく事の本質を理解して頂きたいのです。

 

多くの母親は子どもへの愛情を履き違えています。

真っ当な食事を整えること、手作りのおやつを作ってあげること。

これ以上に母親が子どもに示す愛情は無いと言えます。

そのためには母親に当然負担がかかります。

それを負担と捉えるのなら、そこまでの話。

子育ての何たるかをわかっていない。

親にとって子育てとは無償の愛を学ぶ、試される、そういう場です。

要するに自分のためなのです。

面倒くさい云々言ってる時点で論外ですな。

 

結婚の何たるかを知らずに、結局相手が悪いということにして離婚する。

子育ての何たるかを知らずに、偏向した愛情のかけ方をして子どもがおかしくなる。

でももうそういう時代じゃないです。

ここに智慧を詳らかにしているのだから。

 

子どもに無償の愛を示せるか否かは、自分の母親がどうであったかに影響されます。

料理をしなかった母親の娘は、自分が母親になった時に手作りの・・・・なんてことが出来ません。

でもそれを変えていかなくてはならないので、どうぞ学んでください。

いじめの原点はそういったところにあるのです。

2012.8.24

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「お漬物の語ること」3件コメント

  1. 老いた若造 より:

    先生の読んだ漫画、私も読みました。
    妹が栄養士を営んでいたころ、特に夏場は食中毒を恐れて塩素殺菌をしていたそうです。
    自然食品及び界面活性剤を使用しない洗剤など扱う店で調味料保存料等、化学薬品を一切使用していない「たくあん」を買いました。
    雑味の無い素朴な味がしました。
    母は昔農家所の祖母が作った物と同じ味だと言っておりました。
    食品、家庭用品に限らず企業はお客様の為と発するコマーシャル、政治家は国民の為命を懸けてと発する主張にまともに向き合ってほしい。
    自利利他という言葉の真意を考えさせられました。

  2. なお より:

    はじめまして。いつも興味深く読ませてもらっております。スーパーに行っても本当に体によい食べ物は売っているのか?人工調味料や甘味料だらけの食品、先生の書かれている事はごもっともだと感じます。また、幼児の母親である私にとっては耳が痛いです。
    ところで以前、大阪で給食の放射性物質検査を要望する母親について肯定的にはかかれておられなかったと思います。理想の世界には急に変われない、といったような。子供に放射性物質を一切食べさせたくないというのは正論ですが、今の日本の状況を考えれば現実的には・・と同意でした。
    今回失礼ながらコメントをさせていただいたのは、今回の先生のおっしゃる話に、その理想論を感じてしまったからです。
    自分の幼い頃から人工調味料甘味料に囲まれ、菓子パンを朝食に出され、テレビやゲーム付けで育ち、核家族化、少子化により自分が出産するまで子供に接することはなく、乳児がどんなものなのかまったくわからずに育児が突然スタートし、絶対にわが子を愛し育てると誓った母親が、理想通りに育児をできない事に絶望し、自己嫌悪し、心が折れていく様子は想像はできませんか?
    旦那や周囲の助けがある人はまだいいです。朝から寝かしつけまで一人、赤ちゃんというものを全く知らない人間が、離乳食を作り、おむつを替え、風呂に入れ。それが育児であり母になること、というのは誰しもがわかっていても、わかった=完璧にできるわけではありません。
    みんな(とは言えないかもしれないですが)母親は頑張っています。どこを優先してどこを手を抜いて、考えながら必死に育児しています。
    私は息子が肌荒れを起こした時に母乳が悪い、と言われ、それをきっかけに自分を責め、育児というものに完全に自身を失った時期があります。予防接種で他の小児科に行った時に「ちゃんと育ってますよ」と笑顔で言われたことでどれだけ救われた気持ちになったか。
    長くなりましたが、私が言いたいのは、正論は時に人を傷つける、どんな形であれ命がけで子供を生み、必死に育児している母親のことを、簡単に論外という言葉で片付けてよいのか、気になったということです。
    読みたくなければ読まなければいいというのがブログ運営というのは私もブログを以前運営していたのでよくわかっております。
    しかしながら、スピリチュアルという事を前面に掲げているブログであれば、何かに救いを求めたくなるようなせっぱつまったような気持ちで見に来る人も多いと思います。あまりにきつい言葉で折れかかっている心がさらにも考えられ、極端な人権否定とも取れるような言葉には慎重になられたほうがよいのでは、と思った次第です。
    承認はしていただかなくても結構です。
    興味深い日記をいつもありがとうございます。

  3. Dr.KAPPA より:

    なおさん、はじめまして。
    いつも読んで頂いてありがとうございます。
    僕は自分の中で物書きとしての矜持があって、たとえブログといえど原稿を書いた後に何度もチェックし直します。
    それは「てにをは」みたいなこともあるのですが、内容が内容だけに果たしてこれが誰かを傷つけはしないか?仮にそういうことがあっても敢えて書くだけの意義があるのか?ということを常に自分に問いかけています。
    ですので、なおさんの反感や反論は至極真っ当だと思います。
    それにより受けられた不快感に関しては僕は土下座すらできます。
    その位の覚悟で書いております。
    てなことは、ずっと読んで頂いておれば僕の性格上、お分かりになることと思うので、もう少しつっこんで書いてみます。
    これがコメント欄ではなく、メールや個人的にお話しできるのであれば少し違う言い方をするでしょうが、多くの人が見るという前提でお答えします。
    今、生きている人は老いにつけ、若きにつけ、誰しもが傷ついた心を持っています。
    問題はそこを引きずるのか、ふっ切って次の世代に新しい風を吹かすのかということです。
    僕は後者を選ぶ、というか、そうでなければ世界は大変にヤバイ状況になるよ、と言い続けているのです。
    本日のブログでも書きましたが、女性にとってはわかってはいても、色々とつらい状況があることと思います。
    でも、これからはそこを突破して行かなければ、正直申しまして地球の未来は無いと申せます。
    だからこそ、女性には強くあって頂きたい。
    だからこそ、僕は様々な形で応援しているのですが、それは必ずしも優しげな形はとらないこともあります。
    僕が見ているのは未来。
    自分の子供の世代とか、孫の世代とか、あと30年後の自分とか、そういったことではありません。
    そこにいるのは誰だって良いのです。
    でも、僕は未来のために色々と厳しい現状はあるけれど、今を生きると覚悟を決めています。
    誰のための未来などという眠たいことは僕の頭にはありません。
    何度も申し上げますが、僕の書くことは時にきついので、読者の中で少なからず傷ついている人がいるのは承知の上です。
    でもね、そこに気を遣いすぎると物事進まないのですよ。
    僕は自分の言葉には全責任を負うつもりでいます。
    ですから御気分を害したのなら幾重にも謝罪しますが、今回の場合、出した言葉は正しいと信じております。
    どうか、僕の真意が伝わりますように。
    そして、なおさんが癒されますように。
    もし、次に返答頂けるのであれば下のメールボックスの方がありがたいです。

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