一昨日きた「いやしの村だより」11月号に、ついにバガヴァンに日本人で初めて完全な覚醒者と認められた男性とケビンとの対談が載っていました。

神代(かじろ)さんとおっしゃるその方の話を読んでいると、確かにこの人は覚醒したなぁと納得させられるものがあり、悟りなど興味がないと言ってる僕でも少々羨ましかったりします。

大したものだと思います。

 

僕が来年以降、個人セッションや遠隔ディクシャなどをやらないというのは、いつまでもそういうことをしていると、いつまでもそういうことが必要な人がいるということになるからです。

歯科に関すること以外のメール相談も同様。

これからはそういった意味でのエネルギーワークは不要であると考えています。

しばらくの間(どの位なのかはわかりません)は言葉・言霊が大切になると感じています。

そしていずれ、その言葉すらいらなくなる。

ただ、各々がそこにいるだけで良い。

僕が存在するだけで心地良い波動が、光が出るようになれば最高ですね。

もちろん皆さんもです。

 

しかし、現実はなかなかに厳しいもので、すぐブレがちになるし自分を見失ってしまいそうになります。

僕の方は現在少々下降気味でして、非常にネガティブな感情がワンサカ出てきます。

こういったことは直線的に右上がりに進むことはなく、サインカーブのように上向きの時もあれば下向きのこともあるけれど、全体としての傾斜は時間とともに上昇するよ、というものであります。

慢性病などでは波状治癒と呼ばれますが、人間的なこともそうなのでしょう。

 

人生とは自分自身を体験的に知る旅でした。

究極のところ、僕らは光であり、愛でした。

でも自分が光であると体験的に知るっつってもねぇ、あなた・・・・

自分が愛であると体験的に知る・・・・

・・・・僕、こないだ思ったんですけど、これって要するにこういうことじゃないかしら。

 

人生とは自分を愛することができるように歩んでいく旅である

それにより人は愛が何かを、自分が何者かを知るのだ

 

だから、”自分を愛する”ということが究極に難しいようになっているのではないでしょうか。

「シャングリラからの伝言」では人生をより良く生きるための方法論が書かれることは滅多にありません。

目的を定義し、さらに当分たってからそれを再定義し、またしばらくして再定義する。

HPが始まって以来、それの繰り返しで来ている気がします。

最初の定義が間違っていたわけではなく、ただ何かの薄皮を剥ぐとより核心部分があらわになってきて、再定義をする。

そういうことです。

 

今までは、人生が上手くいっていないのは、自分を愛していないからだ、自分を許していないからだ、とずっと言われてきました。

それはその通りなのですが、今回、見方が違って、実は自分を愛して許すことこそが”人生の目的”だったのかもしれません。

目的から離れりゃ、そりゃ上手くいくはずもないですよね。

愛の反対語というのは難しいのですが、不安とか裁きとかいうところでしょうか。

ですので許さないという気持ちや行為は愛の対極にあるものなのです。

(本当はそれらですら愛の中に包括されるのですが)

 

さあ、気を取り直して、今日から新たに人生を歩んでみましょう!!

2012.10.31