喜怒/哀楽
昨日ヤフーニュースを見ていたら、アメリカのとある企業のCEOが今後20年間で火星に8万人を移住させる計画があることを発表したそうです。
これはペガサス・プロジェクトと呼ばれていましたが、2012年11月末になって大きくアナウンスするのはどうしてでしょうね?
地球滅亡の時に備えての地球人類保存の保険だそうです。
あなたも、好きねぇ・・・・
ということで、本日は喜怒哀楽のお話。
どこかの項で、喜怒哀楽とは喜怒哀という感情を”楽しむ”ということだ、みたいに書きました。
これは中西研二氏の受け売りなのですが、今はこのように他人の言葉をそのままパクルことはしません。
また、怒りという感情は人間が本質的に持っているものではなく、そもそも感情ではないのだとも書いています(これはオリジナル)
一般的に言われる怒りというものは、人間が頭で拵えた勝手なストーリーに対してムカムカするもので、瞬間的に悲しくなったり笑ったりというのとは明らかに一線を画すのです。
怒りとは岡本太郎氏のごとく、”爆発のエネルギー”です。
氏を見ていると、宇宙創世の神であるシヴァ神を彷彿とさせます。
喜怒哀楽という語の並びがそもそも?なのですが、なぜこういう順番なのでしょう?
僕はこういうことじゃないかと思うのです。
著書にも書いてありますが、目を閉じて何も思考が浮かばない状態のとき、それがまさにビッグバン以前の単に意識という無のようなエネルギーが存在している、という状態そのものです。
つまりあなたがそのような瞑想をすれば、即、現在の宇宙創世前にどうであったかを体験することになります。
というか、あなたがそれなのです。
自らを体験的に知りたいと考えた意識は、自分を分離細分化していき現在の宇宙を創りました。
そして分離細分化は今も続いており、宇宙は膨張を続けていますが、その裏で最初の意識だけの無の状態も同時に存在します。
さて、自分を細かく分けていく時の、やっと自分を体験的に知ることが出来るのだという、得も言われぬ喜びが爆発したのがビッグバンです。
だからシヴァ神は怒っているような顔をしているのですが、あいつぁ、ああいう奴なのであれで喜んでるんです、許したってください。
目を閉じた状態は即ち闇。
その反転として光がありこの世界が出来ました。
ディクシャ瞑想をしていると、時に眩しすぎて目をそれ以上閉じていられない、という不思議な体験をすることがあります。
これも宇宙創世の追体験なのかもしれません。
”喜怒”とはひとつのセットの言葉で、喜びの爆発のこと。
”哀楽”とはひとつのセットの言葉で、哀しいことがあるから楽しいことがある、逆もまた真なり。
人における感情とは、突き詰めると哀しいか、楽しいか、のどちらか。
いわゆる怒りに属する嫉妬や恨みなどは、本来の感情ではない。
人のマインドが作りだした幻想。
哀しいこと、楽しいこと、このあらゆるバリエーションを味わえるということで喜び爆発~!!
・・・・・ということでございます。
2012.11.29