インド紀行 その8~マインドの性質~
よく、「どうして自分はいつもいつもこうなってしまうんだろう?」と思うことはありませんか?
昨日のダーサジーの話はそのことについて説明しています。
すべて小さい頃の心の傷が原因で、それに条件づけられてしまっているような状態なのです。
そしてそのトラウマが少しずつ形を変えて僕たちの人生に何度も何度も出現します。
およそ、5年から7年周期でそれはやってきます。
もちろんその原因となるトラウマが見つかればそれに越したことはないでしょう。
しかし、昨日の話でダーサジー然り、女医さん然りなのですが、どちらも思い出したトラウマは本来のトラウマではありません。
それらはトラウマの結果としてわりと早くに起こった人生で最初か2番目位の傷ついた出来事に過ぎません。
要するに簡単に思い出すようなものは本当のトラウマではないのです。
通常6歳を過ぎるとその人のエネルギー体の振動数はずいぶん落ちてきて、(わかりやすく言うと、世間の垢にまみれて)表面上は確かにその出来事がその人に重大な影響を及ぼすような刷り込みを与えますが、実はもっと以前、およそ3歳までにより決定的なことがあるはずなのです。
それは本当にひとつひとつの細胞にまで刷り込まれるので、本人はもうどうしようもありません。
ということは、その本当のトラウマは起こるべくして起こっている、つまり決して悪者なんかじゃないということです。
いつも言いますが、その条件付けの元で今回の人生を体験するということになっているのですね。
あなたはあくまでも大きな全体の一部として生かされているだけなのです。
この時のダーサジーはそのあたりの理解が少し不足しているので、十分な説明になっていません。
つまり、本当に理解すべきは何も誤ったことなど無い、良いとか悪いとかはないということなのです。
トラウマも心の傷も天国からの僕たちへの素敵な贈り物なんですよ。
コース開始8日目
5時半に起きて屋上にでてみる。
曇っているのだが、ボーっと空を見ていると、ふと詩が浮かんだ。
僕なんかが詩を思いつくんやな。(詩についてはコチラに載せてあります)
7時半セッション開始。
昨日は自分の中にわき起こる感情をみつめるということをしたが、今日はそれをもう少し深くやってみる。
自分が傷ついた特定の人を思い浮かべる時に、特にその人との出来事を思い出す必要はなく、ただその人のイメージを思って出てくる感情をみつめるだけでよいとのこと。
すぐ上の兄のことをイメージしてみる。
(一番上の兄はこの時点から7年前に癌のため他界しています。そしてその次の兄のことが僕はどうも苦手なのです)
いろいろ思い出しているが、不思議と今は感情が動かない。
結局、兄貴が僕を見下しているとか、偉そうだとか、こちらの気持ちを知らずにだとか思っていたけど、全部僕が勝手に作り上げていたものだということがわかった。
瞑想に入ると首が勝手に動き出すのにはもう慣れてしまったが、こうしょっちゅうでは首折れそう。
朝の詩を英訳して僕の担当ダーサジーのクリシュナラジーに届けたい。
ある程度は自分で英訳したけど、あとは通訳の上川さんをつかまえてお願いしてみよう。
次はどうやら映画を見るみたい。
ヤッター!
自分の内側への旅は疲れるし。
ブルースウィルス主演の「キッド」を見る。
これ、ええ話やね。
その後、「反動と反応」という話があった。
反動というのは、人にどなられた時にすぐどなり返したりすること。
これは過去の体験しきっていない記憶で行動を起こしてしまっている。
反応とはその反動を起こしている感情をじっとみつめること。
そうすることで心は落ち着き、プレゼンスと共にいることができ、きちんとした対応ができる。
始めのうちは咄嗟にそういうことをその場でするのは難しいかもしれないが、必ず出来るようになるとのことだ。
昼食を食べずにとりあえず両替をし、お土産部屋へ走る。
スタッフと妻にアンマの祝福を受けた服を買うためだが、女性のサイズは全然わからん。
そこにいた日本人女性の参加者で、同じような身長の人にその人のサイズを聞いてみる。
子供たちにはガネーシャの置きもの。
部屋で煎餅とカップヌードルを食べる。
土産も買って、とりあえずこれで一安心。
午後のセッションではマインドの質と構造についての話があった。
マインドは、思考、考え、既成概念などと訳されるが、日本語に正確に訳すのは難しい。
日本語にすると、どれもいまいち的確な意味にならないのだ。
マインドというのは表面上は違って見えても、怒りなら怒りというマインドはたった一つしかない。
個人のマインドなどはなくて、ただ人類のマインドがあるだけ。
これは太陽の光を受けるのと一緒でどうしようもないし、避けることはできない。
戸外にいて赤外線(怒り)を受けないようにとか、紫外線(悲しみ)を受けないようにとかは絶対に無理なのだ。
もしそれをしようとするなら、一人で暗室にこもって外界と遮断されなければならないが、そんなことをすると過去のトラウマが一気に噴き出しておかしくなってしまう。
外で受ける光線は次々とやってくるが、どんどん体を突き抜けて去ってしまうのでその方がいいだろう。
悟っていない人は、怒らない人間になろうとかマインドを変えようとかしてしまう。
悟っている人は、マインドと友達になる。
マインドから自由になろうとするのをやめると真に自由になるのだ。
夜は大講堂に全員集まりパドゥカの儀式。
今までのプレゼンスの恩寵に感謝の捧げものをする。
プレゼンスと近づく簡単な方法は、その存在や恩寵に気づき、いつも感謝すること。
祭壇から手前に移されたパドゥカに次々とお供え物がかけられる。
聖水、なんかわからん色水、牛乳、ヨーグルト(ゲッ!)、ハチミツ(どうやって拭くねん!)、バナナ他いろいろな果物、花。
途中ディクシャのような強烈な波動を感じる。
そしてまたやってきた。 首が後ろに引っ張られる強烈な力が。 それもかなり長い時間。
この力が解かれた瞬間、パドゥカの儀式も終わる。
これもいつものこと。
出口でお供え物(全部が混ざったやつ)を山盛りくれる。
これを右手で受けて食べなければならない。
顔ではありがとうございますと言ってるが、内心は食べたくないと思っている。
変に甘いぞ。 そりゃそうか。
その後、上川さんをつかまえ詩の英訳のチェックをお願いする。
上川さん一言、「素敵!」
男性に素敵て言われても、微妙~。
この調子やと、この日記まるまるノート一冊分いくよなぁ。
2010.11.10