ファンタジー
サンタクロースは実在するか?
(正解)いる。
ほぼ全員の大人がサンタは作り話だと思っているでしょう。
確かに元々はそうであったのです。
しかし、長年にわたり大人はさもサンタがいるように演出し、また子供達もサンタがやってくるのを信じて心待ちにしている、この祈りにも似た気持ちがサンタをエネルギー体として現象化させたのです。
日本で言うなら天狗やキツネのようなもので、皆が絵に描くような姿で実存しているのではないのですが(皆さんの心の中ではああいう姿をしています)、エネルギー体として確かに存在しているのです。
なぜこんなことを自信満々に言うかといいますと、忘れもしない、私は2007年のクリスマスイブにサンタのエネルギー体に遭遇したからです。
大人はいつも子供に向かって「良い子にしていないとサンタは来ないよ」と言いますよね。
良い子というのは大人にとって都合の良い子ということです。
自分が子供の時のことを考えてみろっての。
サンタの持つ鞭は決してトナカイを叩くためではなく、良い子を無理強いしている親に対して一年に一回くらい子供に夢を与えてあげなさいと振るわれるのですね。
結局サンタに尻を叩かれて親がプレゼントを枕元に置いているのですよ。
私100%の確信をもって断言しますが、「サンタは存在します」
宇宙人は本当にいるのか?
(正解)いる。
あなた、そんなのいるに決まってるじゃないですか。
我々地球の人間だって宇宙人・・・そんな陳腐なことは言いません。
どこかで書きましたが、三次元世界にいる人間には三次元世界のものしか見えないのです。
それより高い次元の存在はどこにいるかというと、我々と同じ時空間に存在しますが、向こうからこちらは見えてもこちらから向こうの姿は見えません。
エネルギーの振動数が違うので見えないのです。
人間には可視光とか可聴域とかありますよね。
高次の存在は光のように高い振動数で振動しているので、我々の目には見えないしその音も聞こえません。
我々が感知できるような状態では通常存在しないのですが、時々意図的にその振動数を落とし我々が見えるような状態で現れることもあります。
同じ時空間に存在すると書きましたが、高い次元では時間と空間というのが三次元世界とは異なります。
わかりにくいと思いますが、そりゃ仕方ありません。
宇宙船(UFO)が時折にしか目撃されないのはそのせいなのですが、現在目撃されるUFOはそのほとんどが純粋な宇宙船ではなく、NASAが秘密裏に開発しているものだという話もあり、実際それに乗ったことのある人もいらっしゃるそうです。
目撃情報多発地帯というあたりに地下基地があるという噂です。
またフリーエネルギーというのは実はすでに開発されていて、今はいかにそれを世界の権力者の手中に収めておき一般に普及させないかというところに注意が払われています。
そうでないと世界の経済的価値観がひっくり返って、石油メジャーが用をなさなくなるからですね。
話を戻しましょう。
宇宙人の中には我々に近い次元のものもいるのですが、だいたいはその知性は我々よりはるかに発達しています。
どのような姿をしているかというと、人間そっくりのものもあれば、映画に出てきたような形のもの、鉱物のようなもの、様々です。
宇宙人について考える時、それが存在する次元とそれらの文化度は分けないといけません。
三次元の存在でも地球人より知性の劣るものもあれば高いものもある、ということです。
そして、我々の目に見えるような形の宇宙人は少なくともこの太陽系には存在しません。
高次元の存在はいますが三次元に近い知的生命体は太陽系の惑星に住んでいないのです。
映画って完全なフィクション?
皆さん、映画って完全なフィクションだと思ってらっしゃるでしょうが、それは違います。
これは「神との対話」という本でも書かれているのですが、SF映画の多くは神様が脚本家にインスピレーションを与えて書かしていることが多いのです。
だから案外本当のことだったりするのですね。
未知との遭遇、スタートレック、スターウォーズ、コクーン、マトリックス等々・・・すべてそうなんです。
もちろん人間用に脚色されていますので必ずしも正確ではありませんが。
また現在、地球人として生きている宇宙人もいます。
別になりすまして地球侵略を計画しているとかじゃないのでご安心ください。
それだけのことができる宇宙人なら、その気がありゃとっくの昔に侵略してますって。
要するに地球という星、人間という生物を長年にわたり観察して今後どうしていくのかを、そう、地球に人類の種を蒔いた人たちに報告しているんですね。
にわかには信じ難いでしょうが、まあ最後まで読んでください。
「この星の守り手たち」にも書かれているように、純粋な地球人なんだけれど宇宙人としての過去世を身にまとって生きている人もいます。
あ、あなたの周りにもきっと宇宙人にさらわれて色々調べられた後に解放された、という人がいるんじゃないですか。
そういう人たちは通常頭がおかしいと思われるのが嫌なので、あまりそのことについて話さないみたいです。(私のごく信頼できる知り合いにもそういう人たちはいます)
さて、2012年には我々は宇宙人と未知との遭遇をするんでしょうか?
でもさっきも言いましたが、もうすでに遭遇しているのかもしれないのですよ。
最近は流れないですが、少し前テレビで缶コーヒーのCMに出ていたあの人、ほらそのCMの内容も今ここで書いたようなことじゃなかったでしたっけ?
あの人絶対、宇宙人ですよ。
みんな、見てるのに見てないんだよなあ、これが。
え?おまえが頭おかしいんじゃないかって?
う~ん、ビミョ~ (笑)
名前と生年月日に隠された秘密
皆さんは知っていましたか?
名前というのが実はその人が生まれてきた目的を表していることを。
そしてその名前は実は生まれてくる赤ちゃん自身が自分でつけてくることを。
さらに人は誕生日や生まれてくる時間まで決めてくることを。
名前=その人が生まれてきた目的を表している
名前の場合、その使われている漢字そのものの意味であることもあるのですが、読み方としての音霊(おとだま)のこともあって大変に複雑な、それこそ一生をかけて研究するに足る話です。
ここでは最もわかりやすい例でお話ししましょう。
”愛”という名前があったとします。
この名前には二通りの意味があって、ひとつはその子がまさしく愛そのものであり、人に愛を振りまき教えるという目的を持っている場合ですが、これは非常に稀なのです。
多くの場合、その子は不足の中で愛を体験しようとします。
つまり、両親ともに愛にあふれ家庭が幸せで満ちていると、愛が何か、幸せが何かということがわからないのです。
自分の色が白だとして、この世界すべてが白だったら自分の白色がわからないようなもので、愛を体験するためには愛でないものの中に自らを置かないといけないのですね(本当はこの世界で愛でないものなどどこにも存在しませんが)。
よく子供の名前に愛をいう字をつけるとその子は幸薄い人生を送る、と言われたりするのはこういう理由によります。
そして子育てを通して親は自分が愛に溢れていないということを嫌というほど見せつけられるので、だんだん自分の子供に腹が立ってくるとともに深い自己嫌悪に陥ります。
子供は親の鏡であるとはこういうことなのですね。
また子供は通常両親が達成できなかったワンネスへの道を引き継ぐようになっています。
その道は多種多様にありますので、そのどれかの道に則した名前が両親についており、両親のやろうとしていたことを統合するような名前がつきます。
名前は誰がつける?
名前は親が(名付け親であっても)つけるものと思いますよね。
でもね、それは違うんです。
生まれてくる前の、あるいは生まれてきた後の赤ちゃんの魂が親の意識に対してインスピレーションという形でアクセスし、わたしは今回こういう目的を持って生まれてくるので、この名前を付けてくださいとお願いするというのが実態です。
ですから、あなたが自分の生まれてきた目的を知りたいと思うのなら、今の自分の置かれている現状と今まで通ってきた人生を自分の名前に照らし合わせて考察してみるというのもひとつの方法です。
どこの国でも名前に意味があるのですが、どうもここまで深い意図が込められているのは日本人だけのような気がします。
やはり日本は言霊の国ですねえ。
いったいいつの頃からこのように名前に特殊な意図がはいるようになったのかは不明ですが、少なくとも昭和の時代からは完全にそうなっているようです。 (戒名についてのお話はコチラにあります)
さて、生年月日というのも自分が決めてきます。
人は生まれてくる前に天国で自分が歩むであろう人生を一通り見せられて納得づくで生まれてきます。
その際人生の中である年齢に達した時に、自分の人生が大きく動き出すように設定するのです。
あるタイミングで人生の転機となるような出来事(それはほんの些細なことかもしれませんし生死に関わるようなことかもしれません)に出会い、 原則としてワンネスに目覚めるように進んでいきます。数字にも数霊(かずたま)というのがあり、それぞれに意味があって毎日毎日が地球上の誰かにとっては特別な日であるのです。
夢路はるかに~Beautiful Dreamer~
今回は夢のお話です。
皆さんは夢は現実の世界ではないと思っていませんか?
お聞きしますが、夢が現実で逆に普段現実だと思っている世界が夢であり非現実だと言われたら、それは絶対に違うと言い切れますか?
実はどちらも現実なのです。
肉体だけが人間の真実の姿であると考えている人にはわからないのですが、人は霊的な存在であり肉体というのは魂が三次元世界で作りだしている幻影であると思っている人には理解できる話です。
魂というのは非常にエントロピー(自由度)が高く、ずっと肉体に付き添っていると疲れてくるのです。
そこで一日のうち数時間を肉体から離れるということをするのですが、それが睡眠でありその時に魂が作りだす現実が夢と呼ばれるものです。
人が眠りに入って夢を見るごく直前の瞬間
人が眠りに入って夢を見るごく直前の瞬間には体中の全細胞が超高速に振動しだします。
普段でもそれぞれの細胞は独自の振動数で振動しているのですが、それがもっと速くなるのです。
それにより肉体を包んでいた魂という名のエネルギーは三次元から別の次元へと移動します。
ただし、魂がすべて肉体を離れるとこれは臨床的に死亡という状態になるので、いくばくかのエネルギーは肉体に残るのです。
まれに肉体に残る魂がごくごくわずかになることがあって、このとき人は幽体離脱というものを経験します。
魂がすべて肉体を離れないようにちゃんと防御システムが備わっていて、それはすなわち”歯ぎしり”や”くいしばり”と呼ばれるものです。
かみ合わせというのは上の歯が真我を表し、下の歯が表面的な自己を表しますので、これを強く結びつけることにより魂の一部を肉体に固定しておく役割をするのです。
歯科の世界ではいまだに歯ぎしりというのは寝ている間にストレスの発散をしているという程度の認識しかないのですが、これが歯ぎしりの本当の役割です。
でも、学会で発表しても相手にしてもらえないでしょうから僕は黙ってますけど(笑)。
三次元を離れた魂
さて肉体という三次元を離れた魂は、好きな次元で好きなことをします。
思考が現実を作りだしますので、見たい現実を作りだしていくのですね。
そしてそれを肉体に残っている魂を通じて夢という形で我々は見せられるわけです。
この思考が現実を作るというのは普段三次元にいる我々もやっているのですが、いかんせんこの世界では時間と空間という概念が人を強く縛っているために、思考してから現実化するまでの時間がすごく長いので実際に出来事にあった時にそれが自分の思考の結果だとなかなか気づきづらいのですよ。
より高い次元においては考えが現実化するのに時間はかかりません。
というより時間というものが存在しないのです。(時間については近いうちにわかりやすく説明します)
思考が現実を作るということについてもう一つ付け加えておくべき重要なことがあります。
例えば自分にとってあまり望ましくない出来事や人との出会いも、自分の思考のせいなのか?ということです。こんな病気になったり、事故にあったり、自分を傷つけるような人との出会いを自ら望むはずがないではないか・・・もっともな疑問ですよね。
でもね、あなたという存在はあなたが思っているような小さなものではなく、もっともっと大きいのです。
普段あなたがこれが自分だと思っているのは、あなたの中でも最も表面的で最も小さい部分であります。
潜在意識よりもっと大きいものが超意識、それよりもっと大きいものが神の意識、どれもあなたなのです。
ですから、あなたはより高次元の部分の自分の思考により、さまざまな体験を呼び寄せているというのが真実です。
そこには善悪や損得の判断はなく、それらの一見ツイテないようにみえる体験を通じて自分の愛の一部分を知るのです。
ところで、こういうことはどう考えればいいのでしょう?
昨晩の私の夢にあなたが出てきました。
そしてあなたの夢にも私が出ていました。
でも二人が見ていた夢の内容はまったく別のものです。
どちらも現実ならば、私の夢の中で私がとった言動と、あなたの夢の中で私がとった言動は違うのに、複数の現実があるということでしょうか?
ハイ、そうなのです。
現実というのは人の数だけありまして、あなたがいる現実はすべてあなたが作りだしているのですね。
ですからあなたがいる世界と私がいる世界は違うんです。
わっかるかな~、この超ややこしい話。
数限りない膨大な数の現実がさも一つの世界を作っているように見えるのはね、それがワンネスだからです。
この宇宙の本当の姿というのは言葉を使っては言い表せないし、誰も見たことがないので「こんな風になっている」と言ってもイメージできないでしょう。
もしできるなら、それはあなたが自分が何者かを思い出してきているのです。
ワンネスの宇宙力学というものは、水槽の中につまった常に模様を変化させるオーロラのようなもの、とでもいいましょうかねえ。
As Time Goes By~時間とは何か?
さあ、時間のお話です。
時間のことを説明するのにはまず、”この世界がどうしてできたのか?”から喋らないといけません。
宇宙の誕生についての詳細は著書に書いてあるので、ここでは必要な所だけ述べます。
(ちなみに本には時間のことは書かれていません)
まず、あなたが創造主だと仮定してください。
そしてあなたは自分自身を体験的に知るという意図のもとに、人生ゲームを作ることにしました。
まあ、この時代ですからコンピューターを使ったゲームですので、そのゲームソフトが書きこまれているCD-ROMを作成するわけです。
あなたは創造主ですから、そんなものは一瞬で作れるのですが、その内容はプレイヤーが人生の中で考えうる限りの選択とそれに対応した結果が書き込まれています。
これ、当たり前ですよね?
だってゲームやってる最中にゲーム本体を作るわけにはいかないんですから。
ということはです、プレイヤーが何を選択しようと(どのような発言をし、どのような行動をとろうとも)すべての結果はすでに起こったこととしてソフト上には存在しているわけです。
問題はプレイヤーのゲーム上での位置というか視点なのですね。
これこそが時間についてよく言われるところのすべては今起こっているということです。
ゲームをやっている最中、あなたがある局面で一つの選択をし、それに基づいて行動する。
次の局面ではそれに対する結果を経験する。
つまり、ゲームソフトというのはつきつめて言うならすべて原因と結果から成り立っているのです。
結果はまた次の選択を要求するのでそれ自身が次の瞬間には原因となり、さらなる結果を生むわけです。
さて、ここに至って創造主たるあなたはゲームをより面白くするためのあるアイデアを思いつきました。
それこそが時間という概念の導入です。
原因と結果が連綿と続いているところに、時間という制度が入ると話ががぜん盛り上がるのです。
たとえば、後悔という感情、不安という感情、これは過去未来という感覚がなければ生まれ得ないものです。
夢というのは、時間の概念から解放されている世界です。
だからこそ、夢でかなり長い物語を経験した後に目が醒めてもたった五分しかたっていなかったなどということが起こるのです。
でもね、確かに夢はそれなりに楽しいのですが、あれだけポンポン場面が変わったら全体として何が何やら分からなくないですか?
ですから、少なくとも三次元とか五次元とかの世界では、時間という幻想があった方が楽しいのですよ。
それとですね、これものすごく大切なことなのですが、時間という概念がないと生命の基本的特質である進化というのがわかりにくくなるのです。
ですから、どのような高次元の世界でも全く時間の概念がないということはなくって、ただそれがゲームを面白くするための幻想だと認識しているという違いがあります。
さて、今までは人生ゲームのプレイヤーが1人というお話でしたが、あなたはあらゆることをすべて仮想体験したいと考えているので、今の地球で言うなら約70億人のプレイヤーが同時にゲームをしているわけです。
そして、あるプレイヤーのゲーム上に他の多数のプレイヤーも登場し、彼らは彼らなりの選択をし結果を生むという非常に複雑にして精緻なゲームソフトなのですねえ、これが。
あ、ちょっとそこのあなた、あのですねえ、何気に読んでらっしゃいますけど、世界中どこを探しても時間についてこれほどわかりやすく説明しているものなんて、ちょっと見つからないですよ、マジで。
問題は、一体どれだけの人がこのホームページを見てくれているのかという点にあるのですが・・・。
現在の時の基準になっている太陽暦というのは、これはもう滅茶苦茶以外の何物でもないのでして、まず太陽が昇って沈むところから地球の自転を1日と決めました。それを24で割って時間を決め、さらに60で割っていって分と秒を決めました。
また、地球が太陽の周りを回る公転に365日かかるところからそれを1年と定め、さらに12で割り月という単位まで作りだしました。
これらすべて人間が作りだしたものです。
365日を12の月で割るわけですから当然すべて同じ日数にはならないため、日が多い月と少ない月ができ、おまけにうるう年などという特例まで設けました。
よろしいですか、宇宙の法則というのは非常に高度であるがシンプルでして、もし例外とかがあるのであればそれは宇宙の真理からかけ離れているということなのです。
真理には例外は絶対にあり得ません。
ということで、現在のグレゴリオ暦をもとに生活していると生命本来のリズムを崩すことになり、逆に言うなら暦を変えるだけで(月の満ち欠けを基準にする)世の中の病気はずいぶんと無くなること必定なのでございます。
天使と妖精
え~、私この記事を書いた翌日から一週間ほどアメリカ西海岸に行ってきます。
ロサンゼルスから主な目的地はシャスタ山です。
シャスタというのは世界七大霊山のうちの一つでマウントシャスタとシャスティーナという男性エネルギーと女性エネルギーを持つ二つの山があり、それらをある角度から見ると重なるようになって、まるで富士山そっくりなのです。
実際シャスタは富士山と霊的につながっていると言われ、千円札の裏側に描かれているのは実はシャスタ山じゃないかと言われているほどです。
この両性のエネルギーがバランスがとれた状態で共存するのは大変珍しいのです。
またこの二つのエネルギーの産物であるベビーシャスタ(ブラックビュート)という山もあり、渡辺謙はじめ日本の著名人もよく訪れる非常に癒されるパワースポットです。
私は昨年に引き続き二回目のシャスタ行きなのですが、ここには伝説の理想郷シャンバラ(シャングリラ)や 地下都市テロスへの入り口があると言われている所でして、このタイトルのメッセージを書いている私としてはツアーが組まれ、機会が目の前にあるのに行かないわけにはいかないのです。
天使の話
さて、天使の話ですが、人は皆誰でも天使です。
広義においてはヒットラーもフセインもマザーテレサもみんな天使です。
狭義においては、天使というのはいまだ肉体を持って輪廻転生の輪に入ったことのないエネルギー体のことをさします。
ここ最近、地球上にはたくさんの天使が降りてきています。
彼らはクリスタルチルドレンとかインディゴチルドレンとか呼ばれますが、その目的は地球を人間を救うため以外のなにものでもありません。
なぜたくさんの天使が舞い降りるかというと、それだけ我々の社会が行くところまで行ってしまっているからですね。
緊急事態なのです。
前世を持たないエネルギー体というのはクリスタルと言うがごとく非常に純粋で透き通っていてきれいなのですが、いざ人間社会に生まれてくるとあまりにも既成概念が強くて(社会が汚れているという意味ではありません)彼らが生まれてきた目的を果たす前に自分が社会に適応できずに苦しんでしまうケースがほとんどです。
そういった子供たちは引きこもりだったり、情緒不安定になったりします。
そういう危険性があるのも承知の上で天使は勇気を持ってこの世界に降りてくるのですが、まあ結果は見ての通りです。
ならまちワンネス歯科にも「あ、この子天使だ」とわかる子が来院することがあって、時には親にその旨を伝えたりするのですが、さてどこまで本気にされているでしょうか。
親が自分の子供が天使であるかどうか見抜くのとそうでないのとでは雲泥の差があって、親自身もそうなのですが、天使とわかって育てるとその子はどんどん光を放って周りを光で包むようになっていきます。
その逆が引きこもりですね。
妖精の話
妖精はまた全然違って、非常にいたずら好きです。
私は妖精のエネルギーを感じることはありますが、よく言われるように小人が出てくるというような経験はありません。
彼ら(両性具有なので彼と言うのもおかしいのですが)は花や樹が好きなのでだいたいその周辺にいることが多いようです。
天使と違ってなんのメッセージ性もない、単なるいたずらというのするのですが、よくやるのが物を隠すというやつです。
さんざん探した揚句、見つからずに結果的にとんでもないところから出てきたり、「ここさっきちゃんと探したのに」というようなところにあったりします。
一時的に消して、探した後にもう一回そこに置くみたいなことをするのです。
昨年シャスタに行った時、シャスタリゾートというホテルのロッジに宿泊したのですが、チェックインして部屋に入って同室の人がシャワーを浴びている間、私はベッドに寝転がっていました。
すると突然、窓際のカーテンがボワッとめくれ上がったのです。
私は「ウワッ!」とめちゃくちゃビックリして、何事かと近づいてみるとそこには据え置き型のエアコンが置いてあり、どうやらその風でカーテンがめくれたみたいなのです。
でもね、エアコンのスイッチを入れた覚えなんて全然ないし、だいたいそのスイッチもL,M,H (Low,Middle,Highつまり弱、中、強)とあるうちM になっておるのですよ!
私は咄嗟にこれはシャスタの妖精たちの仕業だとわかったのですが、そのM に設定したところがなんかムカつくというか、「してやったり」と喜んでるんやろなと思うと、まあ可愛くもあるんですけどね。
後から聞いてみると一緒にツアーで行った他の人たちも同じようないたずらをされていたことがわかりました。
中には指輪を隠された人もいました、結局見つかったそうですが。
さあ、今年はどんないたずらをしてくるかな? と思ったら、この記事のシャスタの妖精のくだりを書いている時に二回も記事を消されちゃいました。
ホンット、腹立つ、ていうか、お前らそこにおったんかいっ!!(笑)
というわけで一週間ほど記事の更新はありませんので、あしからず。
星に願いを
本日は2010年、平成22年7月7日であります。
七夕です。
あいにく奈良地方は突然の豪雨で患者さんもお気の毒にビショビショで来院されます。
せっかくですので願い事について書いてみたいと思います。
そういう類の本にはよく書かれているのですが、願い事をするときは「〇〇になりますように」とやってはいけません。
この宇宙は巨大なコピー機なのであなたの思考を反映して現実化するだけです。
ですからあなたが先ほどのように願い事をすると、宇宙はその状態をコピーして現実化します。
つまりあなたは〇〇ではないので、それを欲している・・・その願い事をしている状態がそのまま再現されます。
つまり永遠に願い続けなければならないことになっちゃうわけです。
正しく願い事をするには過去完了形、つまりあなたはもうすでにその状態であるとしてやらなければなりません。
「わたしは〇〇です。ありがとうございます」とやるんです。
大切なことは120%願い事が叶うと信じ、また叶った状態の満足した楽しい気分をその時に想像してその気分の状態で願い事をするということです。
もっと言うなら、すでに叶っているなら、このように行動するというのを先にやっちゃうと益々願い事は叶いやすくなります。
その行動が具体的であればある程、また自分のエゴを満足させるためじゃなく宇宙全体の調和がとれるように働くようなものであればあるほど、超高速で現実化するでしょう。
例えばこんな具合です。
宝くじですでに3億円当たっているので(そう確信する)、土地も決めて建築事務所も決めて、もう設計図も出来上がっている。
そしてそこでずっと別々に暮らしていた両親と暮らす、あるいは施設に丸ごと寄付する。そうすると長年何となくうまくいっていなかった両親と自分たち夫婦が笑顔で会話している、または孤児たちや障害者の人たちが笑顔で暮らしている、ああ自分のことのようにうれしいっ!!
これは平行現実(パラレルワールド)を使っても説明できます。
パラレルワールドそのものについては本を読んでくださいね、ここではわかっておられる前提で話を進めていきます。
あなたは今ケーブルテレビを見ています。
全16話一挙放送というやつです。
ところがこのケーブルテレビはちょっと変わっていて、100チャンネルすべて同時に同じドラマを放映するのですが各チャンネルごとに少しずつ物語の展開が違っていくので、全話完結の頃には1chと100chではどえらい違いの結末を迎えます。
そこであなたは最初から見たい結末を予約しました。
だからあなたは何もしなくても16時間後には自動的にテレビがついてそのハッピーな結末を見ることになるのです。
ところがあなたは往々にして予約していながらも、ピコピコとリモコンのチャンネルをいじっちゃうのですよ。
これやるともうその予約は取り消されちゃいます。
ケーブルテレビ側とすればあなたが何を見たいのかがわからなくなって混乱してしまうのです。
これを願い事とコピー機である宇宙とに当てはめてください。
とにかくブレないこと、これがコツです。
ノートに3ヶ月間願い事を書き連ねる
もう一つ効果的な方法があって、ノートに3ヶ月間願い事を書き連ねるというものです。
毎日1ページに同じ願い事をすべての行に書いて、それを90日間続けるのです。
私たち夫婦でやってます。
色々やったけれど全然ダメだったという方、そういう場合はそのタイミングであなたの願いを叶えることがあなたにとって最善ではないか、あるいは他の人とのバランスの問題で叶えない方がよいか、どちらかです。
最後に大事なことをひとつ、神社仏閣にお願い事したら必ずお礼参りに行ってくださいね。
例え願い事が叶っても叶わなくてもです。
今申しましたように、後になってみればあの時にあの願い事が叶わない方が良かったんだと気づくことなんてたくさんあるのですよ。
さて本日、七夕の日に私は何をお願いするでしょうか?
シンクロニシティ~驚異の世界~
さあ、いよいよシンクロの話です。
これは共時性と訳されますが、さも偶然に見える出来事のことです。
「えっ!今さっきあなたのこと話してたのよ」という感じでかかってくる電話。
ある人のことを考えていたら、今まさにその人が道の向こうからやってくる。
「え!?あの人今、ニューヨークじゃなかったっけ?」etc・・・
こんなこと誰だってたくさん経験しているはずなのです。
そして上のような例で言うなら、これはお互いに何か相手にとって必要な情報を持っている時に起こります。
そのタイミングでその情報を渡すことが大事な時に起こるのです。
でも往々にして人は、ただ「すごい偶然だね」くらいで済ませてしまって、より深くつっこんで話しようとしないことがあります。
それダメなのよん。
この世の中で偶然に起こることは何一つない
この世の中で偶然に起こることは何一つないということを肝に銘じなければなりません。
すべては必然です・・・って言ったらオーラの泉みたいになっちゃうのですが、まあそうなんですよ実際のところ。
そこで何らかの切符を手にして次の列車に乗る、という時にそのようなシンクロが起こるのです。
あなたが今いる現実から次のより統合された(ワンネスに近づく方向の)別の現実(パラレルワールド)へと移動する時の切符なんです、それって。
通常各駅停車で2つ3つの駅をとばす位ですけど。
私のシンクロ体験
では私のシンクロ体験をお話ししましょう。全部本当の話です。(って当たり前か)
その壱
2006年の3月のことです。
僕はその頃、五日市剛氏の「ツキを呼ぶ魔法の言葉」というのにハマっていて、とにかく「ありがとうございます」という言葉を心の中で連発していたのです。
そんなある日、ものすごい水難に見舞われました。
医院のある診療台はバキューム(口の中の水を吸う器具)が水詰まりを起こして吸わなくなるわ、もう一台はスピットン(患者さんがうがいをするところ)の排水が悪くなって水が流れなくなるわ、トイレ近くの洗面所の排水溝が詰まるわ、もひとつおまけに自宅の洗面所の排水も詰まるわ、こりゃ一体どうしたこっちゃ!という状態でした。
実は以前からある人に水の神様をお参りしなさいと言われていたので、これはさすがにいかないとだめだと思いました。
ある日、近くにある春日大社が実は水の神様をお祀りしているのを知り本殿まで行ったのです。
お参りした後、記帳をしようとしたのですが、僕の立っている左右どちらにも記帳台があり、つまらないことですが、どちらに書こうかと迷いました。
右側の記帳簿の最後にはたまたま僕の親友と同じ名字が書かれていました。
左側には”水口”さんという名前が最後に書かれており、その下の名前は僕の母親と同じだったのです。
そのころ僕は母親に対してあまりよい感情を抱いていなかったのですが、なぜだかそちらの横に記帳したいと思ったのです。
でもよく考えてみると僕は水難のためにお参りに来た上に、歯科医なのです。
そこに“水口”ですよ。
偶然だと思いますか?
そして、記帳を始めたときです。
僕が自分の住所を書いて徐々にペンを持つ手が記帳簿の下の方にいくにしたがって、水口さんの名前の横に何か言葉が書かれてあるのがわかりました。
住所を書ききって僕の手が一番下までいった時にそこに現れた言葉は・・・
「ありがとうございました」
だったのです。
僕は大袈裟じゃなく、震えました。
背筋に電流が走りました。
そして涙があふれてきたのです。
そこで思わず僕の口から出た言葉が 「ありがとうございます!」
今考えればこのことがきっかけになり、その後の僕の人生が大きく変わっていった気がします。ただの歯科医ではなく、皆さんの癒し、そしてワンネスへと意識が転換していったのです。
その弐
その「ありがとう事件」があった年の秋に僕はインドに21日間の悟りのコースに行ったのですが、これはまだ行くかどうか迷っている(そりゃ迷うわ!)状態のある夏の日曜日のことです。
インドへ行くにはパスポートも取り直さないといけないし、なによりビザをもらうために領事館で手続きをするのが面倒くさいなぁ、どうしようかなぁ、と思いながら朝食をとり終えた僕は自分の部屋に戻りテレビのスイッチをつけました。
するといきなり画面に映ったのはケビンコスナ―が数人のインド人を後ろに従えて、「旅行に行くならビザカード」と言ってる場面です!!
僕は思わず吹き出しました。
そしてその瞬間天に向かって「わかりました、そういうことならインドに行きます!」と返事したのです。
ちなみにその後、実はケビンコスナ―自身もそのインドでのコース参加することになります。
もちろんVIP扱いで。
その参
同じ時にインドでセミナーを受けた女性が出版された”幸せのさくら咲く”という本があります。
セミナーの翌年のある夏の日曜日の夕方のことです。
たまたま大阪に出ていた僕はミナミで食事しようと知っている店を三件ほど回ったのですが、どれも一杯だったり普段開いているのにその日に限ってやってなかったりして、結局自宅のある奈良まで帰ってから食べることにしました。
その帰りの電車の中で”癒しへの旅”という本を読んでいたのですが(僕は時々2,3冊の本を同時に読むことがあります)、その中に書かれているある文章が印象に残りました。
それは「・・・一度自らの真髄に触れたなら、その叡智が私たちを導き、体の中に蓄積されている感情的な記憶を発掘させてくれるのです」 というものでした。(これって、シャングリラからの伝言に似てますね)
駅に着いてから自宅近くの串カツ屋さんに行ったところ、そこも定休日じゃないのに休みでした。
いよいよ困った僕はその近くにある初めて行く焼き鳥屋さんに入ったのです。
そしてカウンターに座って目の前にあったのが写真の焼酎です。
どうです?
ビックリするでしょ。
僕は思わず「えーっ!?」と声をあげました。
このお酒(正確には焼酎リキュール)は、はじめは写真のような琥珀色をしているのですが、少し水を加えるとワイン色に変化するのです。
先ほど読んでいた本の内容と照らし合わせてみるとどうでしょう?
焼酎の真髄とはまさしく水です。
それに触れると(水を加えると)、焼酎の記憶を呼び覚まし元々の色であるワインレッドに変化するということですよね。
この話は焼き鳥屋の店長にも話して二人でビックリしていました。
おまけに私はその店に至るまでに合計四件の店に振られているのです。
そのうちどれか一軒でも開いていたらこの焼き鳥屋さんには入っていなかったでしょう。
こんな話は日常茶飯事にあって、いちいち覚えていないのですが上に書いたのは私の人生の転換期にあったことなので強く印象に残っているのです。
でも中にはこんなのもあります。
番外編
先日のことです。
待合室の大きなガラス面から下の歩道を眺めていると、一頭の鹿がお尻をこちらに向けて立っています。
「ふ~ん、鹿の尻って白いんや」と思っているとその鹿の向こう側から黒人がこちらに向かってやって来るのです。
あのね、わたし奈良に来て約10年、いまだかつてこの辺りで黒人に出会ったことないです。
「なんじゃ、そりゃ」と思いながら、ズッコケました。これって何のメッセージ???
基本的にはシンクロというのはあなたをワンネスの方向に導きます。
あるいはそちらに向いていることを後押しする、つまりそのままでOKというサインだったりすることもあります。
ただし、わざと今行く道をそらして一見遠回りさせることで、より深い体験をさせるように意図されることもあるので、シンクロに従ったけれどドツボにハマったということも一時的にはあり得るかもしれません。
シンクロというのは意識していないと気づきづらいものです。
でもそれに気づき宇宙に感謝をすると益々シンクロを呼び寄せるようになります。
それは即ちあなたのワンネスへの道程が加速するということを意味します。
すると人生が楽しくって仕方がない、次はどんなことが起こるのだろうとワクワクドキドキするようになるでしょう。
そうなったらしめたものです。
もうあなたは意図して自分の人生を作りだしている状態なのですから。
なぜこのようなシンクロが起こるのでしょうか?
なぜニューヨークにいるはずのあの人は、今あなたの前に現れたのでしょうか?
見方を変えれば、彼女はNYから帰国したらいきなりあなたと出会ったとも言えます。
それぞれのワンネス体験を助けるためにすべてのものは動かされている、確かにそうなんだけれど本当のところはみんなでひとつのいのちを生きているからなのですね。(これは山元加津子さんの言葉をお借りしました)
そう、すべてはワンネスのためになのです。