僕の発表は土曜日の夕方でした。

結構受けたと思います。

”受けた”というのは、内容的なものと笑いとの両方の意味です。

内輪の勉強会での発表の場合、笑いを取るのも大切な要素です(学会じゃやらんけどね)

発表内容は前回のブログの通りなのですが、強調したかったことはこのHPと同様、僕の考えや視点の正否云々ではなく、自分で疑問に思ったことを観察を続けていって仮説を構築し、それを検証していくということの大切さでした。

そうやって各々の視点からの仮説が複数出会った時に、より真実に近づくのであるということです。

多くの場合、科学者とされる人は自説の正しさだけを主張します。

それではダメなんです。

スピリチュアルの話もほんの少ししましたが、何となく受け入れられた気がします。

だって、普通に臨床していたらどうやっても物理的なことだけでは説明できないことに遭遇しますもん。

 

ところが、直前に追加したはずのスライドがうまくUSBにコピーされていなくて、最も言いたい事が言えずじまいでした。

それは、歯科医療の、あるいは医療というものの最終目標についてなのですが・・・・

 

The docotor of the future will give no medicine but will interest his

patients in the care of the human frame, in diet, and in the

cause and prevention of disease.

Thomas Edison

将来の医術者は薬を使わずに、人間の骨格構造・栄養・病気の原因と予防に注意を払うようになるだろう

トーマス・エジソン

 

現代医学の祖と呼ばれているヒポクラテスですら、同様のことを遥か2500年前に言っているのに、今の医学の在り方はどうでしょうかね?

僕は究極的には医療というのは生活習慣に対するアドバイスと、たまたま歪みを抱えたらそれを除く手助けをするところに行きつくと考えています。

救急医療は話が別ですよ。

そして、心のあり方、スピリチュアルな視点というのも重要な位置を占めるということです。

 

ちょうど僕が発表する2時間ほど前、奈良女子大で開かれた講演会にて、以前にここでも紹介した松木正氏の話を聞いている妻の姿がありました。

講演中ずっと泣いていたそうです。

テーマは「自分を信じて生きる」

 

日曜日は、6か月間にわたる歯然の会「模型分析セミナー」の最終日でした。

車で京都の精華町にある会場まで行く間に通る並木道。

朝の光を受けて街路樹が非常に鮮やかに目に飛び込んできます。

緑や黄色、そしてわずかなオレンジ色の木の葉の数々がそれぞれの色を放ちながら、全体として初秋の樹木を作りだし、そして立ち並ぶ樹木たちはこの真っ直ぐな道をして僕をどこへ誘おうとしているのだろうという感覚にしてくれます。

 

2013年のテーマは、「僕たちはどこから来て、どこへ行くのか?」だそうです。

だそうです、て(笑)

ヒーリングやディクシャを用いた個人セッション・遠隔ディクシャなども今年一杯で止めにしようと思います。

来年からは、もし依頼があればですが、きちんと講演料を頂く形のお話会だけにします。

ディクシャはもはや必要ないし、かえってその神秘的・宗教的な形態が人々の覚醒を邪魔するようになるとのことです。

とのことです、て(笑)

 

バガヴァン系の人たちはよく、プレゼンス(presence)という言葉を使います。

直訳すれば”存在”となるこの言葉は、ハイヤーセルフと同義、つまり大いなる自己という意味合いなのですが、彼らはどちらかというと誤った使い方をしています。

頭で考える自分は本当の自分ではなく、プレゼンスこそが本当の自分である。

僕もこういう説明の仕方をすることもあります。

 

3次元から5次元へのアセンションの途中である現在、どうしても(スピリチュアル好きな)人は霊性の方ばかり重視しがちです。

物質的な現実世界は幻想であり、劣っているものだと軽く見がちです。

そうではない、というのが当方の見解で、今大切なのは ”霊性と物質性の融合” です。

そこを霊性ばかり追求している、いわゆる頭でっかちのスピリチュアル馬鹿がいます。

友達になりたくないタイプで、少々距離を置きたい人たちです。

いまだに物質面の豊かさばかりに関心がある人、成功重視の人がいます。

アムウェイじゃあるまいし(笑)

こういう人は、最終的に望む物をすべて手に入れて、最終的に幸せを求めるようになります。

 

どちらも大切なのです。

 

自分の最も神聖な部分、すなわち大いなる自己をプレゼンス等どんな呼び方をしても勝手ですが、それを自分と分離させて神を崇めるみたいにすると落とし穴にはまりますよ。

頭で考える自分というのは確かに幻想ではありますが、この仮想現実の世界ではそれこそが揺るぎない現実なわけですから、そこにも神聖な自分があるのです。

神やプレゼンス(ハイヤーセルフ)を自己と切り離したかのごとく扱うのではなく、自分がそれであり、全体の一部であるという認識を強く持って頂きたいのです。

それをあるセミナーでは「プレゼンスを呼びだしましょう」とか「プレゼンスにお礼を言いましょう」などとやりますが、僕は(そういう気持ちもあるにはあるが)それは違うと言いたい。

 

昨日行われた第73回菊花賞 京都競馬場 芝3000m GⅠ

3連単 12450円 かわいく的中

いくら賭けていたか恥ずかしくて書けないくらい、かわいいものです。

以下、競馬素人の人は飛ばしてください。

 

今回の出馬表を見たら、競馬を僕のようなスタンスからやっている人には、1枠1番に配置された1番人気の皐月賞馬ゴールドシップが勝つのは明白です。

4着以下はこのメンバーではあり得ません。

それでは面白くないので、それが2,3着になった場合の馬券を必死に考えるわけ。

ダービーを負けている皐月賞馬が菊花賞を勝つには特殊決着しかありません。

出走取消はありませんでした。(結果的に競争除外もなかった)

1番人気が抜けているので、それから万馬券になるような相手の馬もいません。

2番人気の馬は絶対に来ないので(NHKマイルカップで失格になっていて、一度そんなケチのついた馬はアウト)、1、2、3番人気決着もなし。

そうすると、”もし1番の馬が勝つなら”2着にゴールドシップと同枠の2番の馬が来るゾロ目か、2着に外国人騎手が来るか(それも特殊決着とされる)、そのどちらかしかないのです。

そして、ある理由から8枠の16番(外国人騎手)か17番の馬が来ることもわかっていたし(18番の馬の戦歴が示唆)、7番か15番の馬が来ることもわかっていた(テレビCMで流れていたミスターCBとマンハッタンカフェの戦歴が示唆)

結果   1着 1番 /2着 16番 /3着 15番

やっす~。。。。

でも今度の秋の天皇賞の軍資金にはなりました。

 

普通の話に戻ります。

故桂枝雀師匠が生前自分が理想とする高座についてこう語っていました。

「お客様の前にわたしがこう出てまいりまして、な~んにも喋らんとただニコーニコ笑うてるだけで、お客様も何や知らんけどニコーニコ幸せな気分になる。それがわたしの理想でございますが、今のところこうして喋らんならんような状態で・・・・・」

ならまちワンネス歯科の理想の高座、もとい診療は、患者さんが来られてヒーリングミュージックが流れる待合室で、大きなガラス面から外の景色をボーっと眺めていたら、なんか院長に診てもらったわけでもないのに癒されて、「ヨシッ!」と立ちあがって帰っていく、そんなのがいいなぁ。

でもそんな人ばっかりやったら、つぶれるけどね(笑)

2012.10.22