マウスガード

ひと口にマウスピースと言っても様々な種類があります。

様々な種類があるマウスピース

通常よく歯科で用いられるのは歯ぎしり防止用のマウスピース、あるいは顎関節症の治療のためのマウスピースでしょう。

歯ぎしり防止といいますが、マウスピースをしたからといって歯ぎしりが止むわけではありません。

歯ぎしりの際の強烈な力が直接歯やセラミックなどの被せ物にかからないように、間のクッション材として使っているだけの話です。

 

また顎関節症の治療としてのマウスピースの効果については現在は疑問視する見方が優勢です。

ここで言う顎関節症というのは、開口障害、開口時の疼痛、雑音のことをさしています。

それらに対する現在の主流の治療法は、まず何もしなくても自然に治るというのがひとつ。

筋肉の緊張を和らげたり、精神的な緊張を和らげる薬を処方する方法、それらとともに顎の運動療法を行うものです。

僕も顎関節症に対する治療としてマウスピースを用いることは今はほとんどありません。

僕が歯学部卒業後、補綴学講座に入局し最初に配属されたのが顎関節症の研究室でした。

大学ではそういう患者さんが多かったので、比較的他の歯科医よりは顎関節症を扱う機会は多かったと思います。

マウスピースも山ほど作って調整してきました。

僕の今の率直な感想は、確かにマウスピースが奏功する場合も皆無ではないけれど、あまり有効でないことが多いというものです。

 

学会では咬み合わせ(の不調和)は顎関節症の原因ではないとされています。

僕はこれには疑問を呈します。

どう考えたって、また僕の臨床経験から言っても、深く関係しているとしか考えられない。

ただし、顎関節症の治療と称して歯を削るなどの不可逆的な治療は非常に慎重に行うべきであり、できるなら避けた方が無難。

咬み合わせが顎関節症の原因と十分なり得るが、治療として咬み合わせをさわるのはあまり勧めないということです。

運動療法で症状が緩和するのであれば、そっちの方が圧倒的にいいでしょう。

 

上で述べたのはあくまでも顎関節症に限ったものです。

不定愁訴(頭痛、肩こり、腰痛など)をマウスピースで治しましょうという治療法も存在します。

ここは魑魅魍魎の世界でして、胡散臭いのから理にかなっているものまで多種多様です。

ずっと車椅子だった人がマウスピースを入れた瞬間、自分の足で立って歩き出す。

奇跡のようなことが起こるのも事実だし、患者さんの喜びはさぞ大きいものと思います。

これについては最後にもう少し詳しく述べます。

 

スポーツ用のマウスガードというのはコンタクトスポーツにおいて、口の周りに衝撃や打撃を受けた時に、唇を切ったり歯を折ったりしないためのもので、上の前歯と上唇の間に入る軟質の樹脂の厚みが最低3mmは必要とされています。

スポーツ用のマウスピースというのは、咬み合わせのバランスが悪い選手において、きちんと左右の奥歯に均等に荷重がかかるように設計されたもので、主に運動能力の向上を目的としています。

世間にはそのようなマウスピースを作っている医院もありますが、これはネットワークビジネスと一緒で、皆がそれをつけ出したら結局何のことかわからなくなりますよね。

ならば、ごく一部のスポーツ選手にだけそういったものを提供するのは如何なものか?と思うわけです。

これは下手をすればドーピング扱いになりかねません。

そもそも、結果として運動能力が向上するのはあるかもしれないけれど、それをマウスピースで達成しましょうと謳うのは少しやり過ぎのような気がする。

 

例えば野球の打者にしても、ある種のマウスピースをつけたから飛距離が伸びた、などというような単純な話ではないのです。

打つ球のスピード、変化の仕方、どのコースに投げ込まれているのか、などで打者の筋肉や骨格の動きは変わっていきます。

そのどの動きにも対応して良い結果を出すようなマウスピースは存在しないと思います。

ある動きには非常に効果的に働くが、その他の動きに対してはかえって体を痛めてしまう可能性が高い。

だから運動能力の向上を謳ったマウスピースというのは恐いのです。

きちんともののわかった歯科医師の元でないとお勧めしませんし、むしろそのような危険性があるものは避けた方が無難でしょう。

何よりもスポーツ用のマウスピース、マウスガードの一番の目的は選手の体を守ることにあるということを忘れてはなりません。

 

マウスピース、マウスガードの両者ともどうしてもその厚みがありますから咬み合わせが高くなります。

通常、咬み合わせを数ミリ(5mm以上)高くした状態で、下顎に大きな衝撃が加わったり、瞬間的にものすごい力で咬んだりしますと、頸椎に大きなダメージを与える危険性があります。

だから注意して作らないと百害あって一利なし。

素人がお湯につけて口の中に入れて咬んだら出来上がり、みたいな既成のマウスガードは決してお勧めしません。

 

途中述べた体の様々な症状を改善するためマウスピースを用いている歯科医もたくさんいます。

これには様々なタイプがありますが、通常マウスピースを装着すると咬み合わせがかなり高くなります。

すると一時的に頸椎が引き延ばされ、歪みが減少したかのようになるので、圧迫されていた血管や神経の通りが良くなります。

その結果、頭頸部から肩にかけて、さらには腰や膝に至るまでの症状が改善することがります。

ところが頸椎が引き延ばされている状態というのは、本来生体の正常な姿ではありません。

その状態を長期間維持していると、かえって取り返しのつかない問題を起こしかねないのです。

二つの骨の歪んでいる関係を牽引することにより是正することは一時的には効果的です。

しかしそれら二つの骨は本来関節を介して、きちんと機能圧が加わり適度に圧縮されている必要があるのです。

それが全身の血行に重要な影響を及ぼします。

だからこのようなマウスピースは装着した最初は感動するくらい劇的に症状が改善したりするのですが、そのうちにまた悪くなってきたり、今度は別の症状を引き起こしたりして袋小路に入る可能性が非常に高い。

僕はそのようなマウスピースを否定するつもりはありませんが、その使用には非常に慎重であるべきだと考えています。

あまり厚みのないマウスピースを使い、咬み合わせのズレを是正し、症状を改善していくというやり方もあり、どちらかと言えばそちらの方が無難でしょう。

ただし、一生マウスピースを使い続けるわけにはいかないので、マウスピースで初期症状がとれたなら、マウスピースをはずしてもその良い状態を維持できるように、咬み合わせを安定させるような治療が次に必要になります。

その際になるべく最小限の治療介入で達成したいものです。

 

最後に自分自身への戒めとなっているケースをひとつご紹介します。

70歳代のその女性は杖をついてこられ、左の下半身が常に痺れているということでした。

僕は割り箸を使って、下顎をある特定の位置にもっていき、そこで上下の歯の間に咬み合わせを決める時に用いるシリコンを注入しました。

シリコンは1分ほどで固まり、それを咬んでいる限りその下顎の位置が保たれるわけです。

下顎がその位置にあると、患者さんはまったく痺れを感じなくなりました。

おまけに杖なしでもそこそこ歩けるようになったのです。

最終的にはその位置で上下の歯が固定されるようなマウスピースを作る予定で、その了解も得たのですが、残念なことにその患者さんが再来院されることはありませんでした。

僕はその痺れがとれた状態を維持できるように、マウスピースが出来るまでの間、そのシリコンを仮に使っておいてもらおうと患者さんにお渡ししたのです。

次の日にその方の娘さんから電話があり、予約をとっていたけれども母がこけて骨折したのでキャンセルしたいとの旨でした。

つまりこういうことです。

70年かけて徐々に体の筋肉や骨格が歪んできた。

それをシリコンを使って一気に治す方向にもっていってしまった。

その是正された体の状態を今の筋肉は維持できず、結局体の動きに体がついていけなくなってこけてしまった。

今まで動かなかった方向に筋肉は動こうとするし動けるんですが、その運動中の重心の変化を支えるだけの筋力までは回復していなかったということです。

正直言って、僕が骨折させたようなもので、汗顔の至りであります。

誠に申し訳ないことをしたと思うのです。

もちろんマウスピースをお渡しした時点ではそんなことには気が回りませんでした。

こういった治療は保険の適用を受けませんので、医院によればかなり高額な費用を請求されます。

僕は当時5万円を頂いていました。

 

僕が最後に強調したいのは、どのようなものであれうまくいった事ばかり吹聴するのではなく、うまくいかなかったケースを真摯に捉え、その原因を追及するべきだということです。

すると実はそのマウスピース治療のコンセプトには重大な欠陥があることに気づくはずなのです。

そこでそれを諦めることなく改善していけばよいのに、皆、それをしようとしません。

うまくいかない場合、自分の診断が間違っていたのではなく、患者さんが悪いのだとする歯科医の何と多いことでしょう。

 

今までどこに行っても原因不明と匙を投げられていた人が、咬み合わせ治療で劇的に改善することがあるという厳然たる事実もあるわけです。

そのことを頭から否定しても始まらないのに、大学や学会は検証しようともしません。

現状はそういうところです。