素晴らしき哉人生
人生の目的と幸せの意味
本屋さんに行けば、幸せについて書かれた本はそれこそ山のようにあります。
でも「幸せとは何か」について明確に定義している本はないのですよ。
これおかしいですよね。
だって、何が幸せかわからないのなら、例え幸せな状態であってもそれと自覚できないわけですから、結局永遠に幸せにはならないわけです。
これがシャングリラからの伝言の根幹となるメッセージなのですが、
「幸せとは、自分が生まれてきた目的に沿った道に今、自分がいると確信すること。そしてそれを支えてくれる数多くのエネルギーの存在を実感すること」なのです。
詳しくは、著書の方を読んで頂きたいのですが、人が生まれてきた目的とはあらゆることを体験し、それに伴う感情を楽しむことです。
そして自分自身を自分の言動を通して自由に表現し、人生という白いキャンパスに自分にしか描けない絵を描くことなのです。
この人生の目的通りに生きだすと、さも偶然に見える人との出会いや出来事を通して宇宙はさまざまなお助けをしてくれます。
これに気づき感謝すると益々そのサポートは加速します。そのことを実感することも幸せの重要な要素です。
幸せの種って何?~新たなるパラダイムシフト
私たちは生まれてからずっと人生の目的と幸せとは何かというのを知らされずに生きてきました。
学校でも、もちろん親からも、とにかく誰もそんなことを教えてくれた人はいませんでした。
それゆえ生きることの規範となるのは自分が全体の中で優位にいること、それこそが安全で幸せな状態だと何となく思わされてきたのです。
何において優位かというと、学校の成績だったり、進学する学校のレベルだったり、会社の有名度だったり、あるいは経済的なこと人間関係における円滑度等々、とにかく人よりまさっている状態が幸せであり、そうなることこそ生きる目標であるみたいに暗に思わされてきたのです。
その結果が今の社会なのに、相変わらず多くの人は従来の価値観をひきずっており、それをそのまま子供に教え込もうとしています。
人生の目的について明確に定義している本はいくばくか存在しますし、私自身人に教えてもらっったことです。
ところが、くどいようですが幸せが何かと明確に書いたもの、あるいは言った人を私は知りません。
幸せとは本来仕合わせと書きます。
神(宇宙、創造主)と人間がお互い宇宙創造の目的通りに仕え合うという意味です。
つまり人生の目的であるあらゆることを体験し自らをより深く知ることと表裏一体、より正確に言うとそれを体験中の歓びの感情が幸せであるということです。
もし私たちが小学校低学年でこのことを習っていたら、その後の人生は全く別物になっていたであろうことは想像に難くないでしょう。
時々、著書「シャングリラからの伝言」が難解であるとの感想をもらうことがあります。
本書ではまず上記二つの大命題に対し明確な定義をしておいてから、次に宇宙創造について書かれています。
宇宙がどのようにしてできたかについて説明しないと、人の人生について語れないからなのです。
そこでは超物理的なことがめちゃくちゃ文系の言葉で説明されているのですが、必ずやどの一言一句をとっても決して間違っていないことがそのうち証明されるでしょう。
科学なんて人間の叡智のあとからついてくるものです。
ま、それはおいといて、皆さんは少なくとも本書を読むまでは「幸せが何か?」ということについて聞いたことがなかったはずなのです。
何度も繰り返しますが、シャングリラからの伝言はまずそれを明確にした上で、様々な三次元世界の現象の霊的説明がなされています。
ところが、あの本を頭で理解しようとする人の規範になっているものは、この文章の冒頭で述べたようなことであり、そこの枠組みの中で明らかに次元の違うことを理解しようとしてもそりゃ無理というものです。
普通の幸せに対する理解と言うのは、正確に言うと満たされた感覚です。
広辞苑ですらそう定義しています。
ここでいう満たされた感じというのは、「みんながつながっている、宇宙と自分もつながっている」と実感した時に感じるものとは違います。
他との比較の中で自分の方が人より多くもっている、あるいは昨日の自分より多くもっている、という安堵にも似た感覚です。
これは人生は基本的に必要なものが不足しやすいと考えている人特有のものであり、そう考えている人は一生幸せにはなりません。
ずっと生存競争を演じます。
例え勝ち組にまわっていても、その状態でいつづけるために死ぬまで競争です。
私が言いたいのは、まずあなたが本当に幸せになりたいのなら、パラダイムシフト(価値観の転換)をする必要があるということです。
あなたが教わってきた価値観はすべて間違っています。
そして、その間違った価値観のもとに勉強をし、仕事をし、家庭をもち、子育てをしています。
そんなものうまくいくはずがないじゃないですか!!
現にうまくいってないから、このホームページをご覧になっているわけでしょ。
TEAM KAPPAのモットーは「あなたの心に幸せの種をまく」です。
幸せの種をまくというのは、わかったようでわかりにくい言葉ですね。
ここで明確にしておきましょう。
まずは当然のことながら、幸せの定義をあなたの前に提示します。
そしてその後のメッセージは、本に書かれていることも、ここで次々と更新されるメッセージもその内容自体が重要なのではありません。
トップページでもお断りしていますが、そんなものを大事そうに理解しようとしないでください。
どのメッセージをとっても根底には同じものが流れています。
それはね、すべてはワンネスのために存在するのだということです。
元来の創造主はワンネスつまり、あらゆるものが一つに溶け合っている状態です。
我々の次元では、例えばいろんな調味料が混ざって一つの美味しいスープを作るということは理解できるけれども、これが人の個性となるとそんなことはあり得ないと考えがちです。
そのあり得ないことがあり得るんだと証明というか体験するためには、何十億年という人類の歴史が必要だったわけです。
そしてその中で人類は何度も滅び、またどこからともなく現れ、また戦争をし、和解をしながら「すべてのものは違っていていいんだ、でもひとつなんだ。
この世界があるのはそのことを体験するため。みなが自分自身を表現し、その可能性を深く知るため」と今、ようやく認識しはじめているのです。
「シャングリラからの伝言」はそのことを忘れているあなたに、言霊を使ってそれに気づき思い出してもらうように働くことを意図して書かれています。
そしてそれこそが、あなたの心に幸せの種をまくということの意味なのです。
ナマステ
人生のからくり(人生の起承転結)
すべての人間はおよそ3才くらいまでに何らかのトラウマを受けます。例外はありません。
それは妊娠中に胎児の状態で受けることもありますし、出産時に受けることもあります。
これらはインナーチャイルドとかバーストラウマと呼ばれたりします。
- 例えば、ある人がお母さんのお腹にいる時に、隣家が火事になったとしましょう。こういう場合は、生まれてから火や音に敏感になったり、その時の状況により閉所恐怖症になったりすることがあります。
- また、よくあるのは後継ぎを望まれているような家庭にあって両親が男の子を期待していた時に、女の子で生まれてきた子はその後自分自身の女性性を否定しようとします。
- 出産の時に陣痛促進剤を飲んだり、帝王切開を受けたりすると赤ちゃんは本当はもう少しお腹にいたいのに無理に出されるわけですから、母性回帰というか乳離れをしにくくなります。
生まれてから3才までは、子供は完全にワンネスの世界にいるのです。
みんながひとつだという感覚にどっぷり浸かっています。
だってそれまで魂は天国にいたわけですから。
ところが何でも口に入れようとする赤ちゃんに危ないからと「そんなことしちゃダメよ」と言いますよね。
ティッシュペーパーを何枚も引っ張ったりしてもすぐにダメ出しされるわけです。
親から言わすと“いい子にしていなさい”というわけです。
これが子供をワンネスの世界から引きずり出してしまいます。
そして子供は親のことが大好きですから、親の言うことを聞くことによって、親が望むような子になることによって親の愛を得ようとします。
つまり、自分が今のままでは親に愛してもらえないと感じてしまうわけです。
これこそがその後の人生を決定づけるのです。
トラウマというと何か悪いもののように思われるのですが、正しくは条件づけといった方がいいでしょう。
ある出来事に対して思わず独特の反応をしてしまう、その人の性格の一部を決めるものなのです。
先ほどはトラウマの典型的な例を示しましたが、何もそう大層なことばかりではありません。
クリスマスケーキを分ける時にお母さんはわたしより妹に大きな方をあげた、みたいなことの方が実は多いのです。
要するにトラウマとはたった一つではなく大小さまざまあって、それを自分の記憶というか細胞の中に刻み込み、かつその後の人生においてそれらをどんどん膨らませてしまいます。
そして、そんなトラウマが自分にあるということを気づかないことにより、無意識のうちに自分らしさというのが形成されるということなのです。
これが人生における起承転結の起の部分です。
これらトラウマ達に知らないうちに縛られながらその後20代、30代まで生きていきます。
この間、人がするのは基本的にトラウマから逃げるか、闘うか、あるいはトラウマのなすがままになる、そのどれかでしかありません。
極論するならそれ以外のことはやっていないのです。
そのことにより自分自身を守ろうとしつつ、自分が何者か一生懸命探しているのですね。
つまり、人は30代位までは人生を本当に生きているとは言えない、単に目の前の出来事に反応しているだけだと言えるでしょう。
これを人生のサバイバルゲームと呼び、承の部分に当たります。
さて、ここで文字通り人生の転機が訪れます。
それは結婚とそれに続く子育てです。
結婚すると常に自分の前に全く違う人間が存在することになるわけです。
その人がいかに趣味が同じで考え方が似ていようが、違うものは違うのです。
それにより人は自分が何者かを必然的に見つめざるをえなくなります(実際に結婚をそのようにとらえている人はごく少数だとは思いますが)。
そして子供が生まれます。
子供というのは親に愛されるために生まれてきます。
愛されることにより愛とは何かを親に教えようとするのですね。
子供がたずさえてくるメッセージはたった一つで、それは「お父さん、お母さん、人というのはもっと自由に生きていいんだよ」ということなのです。
人はそれまでずっとトラウマに縛られて生きてきました。
生きてきたというよりは単に無意識の防御反応をしてきただけでした。
その根底をなすのは今の自分のままでは人に愛されないという感覚です。
そこで子供は親に対してそのことに気づかせてくれるのです。
子供は全く自由でしょ。
親がいろんなことを禁止しなければ、やりたいことを何だってやるわけです。
それは自分が生まれてきたこの世界に対する深い信頼と安心感によります。
もし子供がまだ小さい時に「どうしてお父さんとお母さんの子供に生まれてきたの?」と聞いたなら、すべての子供はこう答えるでしょう。
「だってお父さんとお母さんに会いたかったから」
子供は本質的に親のことが大好きです。
たとえ世間で思われる良い親でなくても大好きなのです。
そのことにより、子供は親に対して「あなたはあなたのままでいいのだ」「何も自分を変えなくっても、わたしはあなたを愛しています」ということを伝えてくれるのです。
これにより心の解放が起き、親はそのままの自分自身を受け入れられるようになります。
同様に他人のこともありのまま受容できるようになります。
トラウマ自体は細胞に刻み込まれていますのでなくなりませんが、それがトラウマではなくその人の性格の質を決めるという本来の役割を果たすようになるでしょう。
この時、人はもうトラウマから逃げたり闘ったりしなくなります。
そして出来事に反応するのではなく、本当の意味で人生を生きる、自由に謳歌するようになります。
残念ながら実際にそうしている人はごくわずかですが。
これが転の部分に当たります。いや~、子供って有り難いですねぇ。
ちなみに、お子さんがいらっしゃらない方、結婚していない方には別の形で気づく機会が現れますからご心配なく。
結の部分はその後自分の人生を生きながら人が目覚める手伝いをして、やることをやりきったと思ったら人生の幕を引くように向う過程です。
人が目覚める手伝いというのは別に目立ったことをしなくても、その人が自由に人生を楽しむことそのものが他の人の役に立つのです。
アイ(愛)のかたち
この話は自慢じゃないですがちょっといい話です。
私もよく書くのですが「この世界は愛一元でありすべてのものは愛の一つの形である」という言葉があります。
でも世の中には悪いことをしている人もいるし、憎しみや嫉妬もあるし、大っ嫌いなあの人が愛の一つの形だなんてとてもじゃないけど納得いかない、という方も大勢いらっしゃることでしょう。このことを説明するのにわかりやすい例があります。
クッキーを作っているところを想像してみてください。
今あなたは大きく広げたクッキー生地に型抜きを使ってハートの形のクッキーを作ろうとしています。
次々に型抜きをしていった生地にはたくさんのハート形の穴があいています。
確かにこんがり焼かれたクッキーはハート形をしていますが、生地の方も穴という形でハートを表現しています。
つまりどちらも形自体はハートであるということです。
世間の闇のような出来事、いつもあなたにキツクあたってくる人、憎しみや不安で一杯のあなた自身、みな大きさや形は微妙に違えども空洞という形でハートを表現しているに違いないのです。
”あなたが呼び寄せるもの~トラウマの物理的構造”の項でも説明していますが、あなたには時々全く自分とは異質に見える人や出来事を呼び寄せることがあります。
それはこのような理由によるのですね。
もしあなたのハートが相手のぽっかり空いたハートにうまくはまれば、これは元通りの無傷のクッキーの生地つまりワンネスになるというわけです。
ただ先程も述べたように皆ハートの大きさや形が微妙に違うので、あなたの前にはあなたにしか癒せない人が現れます。
この地球上にはあなたと相似した形のハートの持ち主がいてそういう人と巡り合っていくのです。
あなたが呼び寄せるもの~トラウマの物理的構造~
人は胎児から幼児期にかけてその後一生消えない自分の性格に大きく影響する条件付けを受けます。
これをインナーチャイルドとかトラウマとか呼びますが、これだとマイナスのイメージが強くそれらの果たす役割について誤解を生じやすいのです。
でもここでは慣例通りにトラウマとしておきましょう。
本にも書いたのですが、このトラウマがあるからあなたはある出来事に対して人とは違う独特の反応をし、それに基づいた言動の結果、他人との間に感情というものが生まれるのです。
よってこのトラウマというのは神様があなたに与えた素晴らしい贈り物であると私は考えます。
赤ちゃんが両親からトラウマをもらった時に(もちろん両親にその自覚は毛頭ありません)、すべての細胞にそのトラウマが独自の振動数として刻み込まれます。
例えば心臓であれば心臓独特の振動数というのがあるのですが、それは心臓という臓器を全体としてみたときの話で、心臓の各細胞には数えきれない程の振動がインプットされており、これが宇宙における生命の記憶というものです。
さて、トラウマが刻み込まれた瞬間からすべての細胞はその振動も周りに対して発信しだします。
ラジオでもテレビでもそうなのですが、なぜチャンネルを合わせるとそれに応じた番組を受信できるかというと、原則的にあるチャンネルに合わせるとラジオやテレビ本体がそれに応じた独自の振動を発信し、その結果対応する振動数の音や映像を拾ってくるという仕組みです(ものすごく大ざっぱですが、勘弁してね)。
つまり、その後成長の過程でその子に起こる出来事はすべて本人の発している振動によるということであり、その中にはトラウマも含まれます。
ちなみに、この宇宙が出来る時に最初に何が起こったかというと振動です。
この世界は音とともに生まれました。最初に流れた音はあ・いです。
あなたに起こる出来事、それがあなたにとって好ましいものであろうと、そうでなかろうと、すべての原因はあなたにあります。
あなたの中の細胞が発する振動がすべての原因です。
もちろんそこにはあなたの感情や思いも関係します。
そしてあなたに起こる出来事は大きく三つに分類されます。
一つは、自分と同じ振動数のものを呼び寄せるということ。
類は友を呼ぶというやつですね。
これは例えば葉っぱの上にある二つの露が互いに近づいてきて一つになるところを想像してください。
これはすべての生命にとって非常に心地が良いです。
もう一つは、陰陽です。本質的に同じなんだけれど、見た目は逆でありながら、くっつけてみるとピッタリはまる、というやつです。
水と油ではなく男と女と言った方がわかりやすいでしょう。
例えて言うと、あなたが出会って心惹かれる異性がそうです。
三つ目は少々やっかいです。あなたを試すようなことがやってきます。
あなたと正反対のまったく異質なものがやってきます。
その時あなたは何故自分がこんな目に遭わなければならないのか?と思うかもしれません。
あなたが嫌だと思う人、出来事、そこであなたはいかようにでも行動できるのですが、そこであなたはこの世界に対して自分が何者と宣言するのか?が問われるのです。
別に「自分が正しい、相手が間違っている」と宣言してもいいし、 「わたしは愛である」と宣言してもいいのです。
人は自分と異質のものがなければ自分自身が何者であるか認識できません。
だから人生において時折、自分が何者であるかを宣言せざるを得ない場面がやってくるのです。
あなたが霊的に覚醒していく過程にいるのであれば、その宣言の機会はより頻繁によりシビアにやってくるかもしれません。
自分と同じタイプの人と接する時、人は自分が正しかったと認識します。
自分の価値観が間違っていなかったと考えるのです。
ところが、いくら考え方が似ていようがすべてにおいてまったく同じように考えるわけでも行動するわけでもありません。
この時に相手のことが嫌になります。
自分と違う所を認めようとしないわけです。
認めると自分の価値観すなわち自分自身が否定されるように感じるからです。
自分と陰陽を形成する相手と接する時、人は自分が持っていて相手が持っていないものを与えることにより、相手が充足されていくことに喜びを感じます。
また、相手が自分の持っていないものを与えてくれることにより自分が満たされるのを感じます。
ところが、そのうち相手に与えることより相手から与えられることばかりを欲するようになります。なぜならその人は相手に与えるだけのものがもう枯渇してしまっているからです。
本当の自分、聖なる自分が大いなる宇宙とつながっていることを確信している人にはいくらでも大元からエネルギーが流れてきますが、本当の自分の姿を見失っている人はすぐにエネルギー不足に陥ってしまいます。
そうなるとこの人間関係はもうそれ以上たちゆかなくなります。
自分とまったく異質の人と接する時、人は自分が正しくて相手が間違っているというふうに考えます。
相手を否定することにより何とか自分を守ろうとします。
ただしその否定の仕方は人により様々で、相手を攻撃する、相手を無視する、拗ねてみせる等々です。
ことほど左様に人は自分という存在を何とか守ろうとするのです。
この原因はほとんどが幼少時のトラウマです。
妊娠、出産、成長の過程で子供は今のままではダメなのだと親に刷り込まれます。
そこで何とか親の希望通りの人間になろうとするのだけれど、そんなものなれるわけがないので(その必要がない)ずっと苦しみを抱えて生きていきます。
その中で何とか今のままの自分自身を守る必要性が生じ、しかたなく周囲を否定することにより自分の存在を正当化するわけです。
さあ、今、あなたは自分が何者だと宣言しますか?
わたしは、声高らかに叫びます。
「わたしは、真の愛である」と
男と女~素敵な異性と出会うために~
どうしてこんな奴があんな美人とつきあってるんだ!なんであんなに素敵な人がこんなブス連れて歩いてるのかしら? なんて思うことありますよね、いや、絶対にあったはずなんです。
中には障害者同士が結婚されたりしますし、国によっては同性愛者同士の結婚だってあるわけです。
基本的にはどんな人だって結婚できたりするこの現実は何なんでしょう?
いったいこれらの男女の出会い(同性愛もその本質は異性の愛であるととらえています)というのは偶然に起こるものなのでしょうか?
それとも過去世によるもの?
今回は男と女の間に働く力学をお話します。
差別用語ギリギリの言葉が出てくるかもしれませんがご容赦を。
肉体的に男と女を分けるのはもちろん染色体によるのですが、その結果として男性ホルモンと女性ホルモンの分泌量が変わることが大きく影響します。
男女ともどちらのホルモンも併せ持つのですが分泌量が違うわけでして、ある男性が女性ホルモンの分泌が増えれば胸が膨らむなど確実に女性化していきます。
では精神的に男女を分けるのもホルモンの影響でしょうか?
確かにそれもありますが、でも考えてみれば竹を割ったような男前な性格でセクシーな体の女性もいるし、非常に女性的な性格でゴリラのような体をした男性だっているわけです。
でもその人たちが性同一性障害だということではありません。
ということは精神的な男らしさ、女らしさを決定しているのは別の何かがあるのかもしれません。それは何かについて考えてみましょう。
こういう例があります。
男兄弟の中で育った妹はお兄ちゃんみたいになりたいと思い男性化することが多いです。
そういう女の子は生理が始まると自分の女性性を否定するようになることがあります。
逆に女兄弟の中で育った弟はどうしても女性化しやすくなります。
また4人男兄弟がいると、末の弟は両親のこの次くらいは女の子が生まれて欲しいという願いを受けて生まれてくるので、成長するにつれて女性化していきます。
これらのことを考えると、人が男性的であるか女性的であるかというのは両親や社会からの刷り込みが大きく影響しているように思われます。
男性性とは統率力、決断力、勇気、経済力、知力、体力などであり、女性性とは調和、優しさ、寛容さ、健康、智力、情緒、感情などのことです。
一般に男性は当然男性性が優位なのですが、だからといって女性性がないわけではありません。
女性もまた然りです。
そしてその男性性や女性性はだれから受け継ぐかというと両親であります。
遺伝ではなく、家庭の中で父親、母親にどのように接してもらったかということです。
つまりある人の性質というのは、両親がどうであったかに非常に影響されるということなのですね。
ディクシャを受けハートが開いていくと自分の中の両性のバランスが整っていきます。
男であれば前までは男性性対女性性が7対3くらいだったのが、5対5のイーブンに近くなっていきます。
中性化するということではありません。
量的には5対5なんだけど、男性性の5の方が質的に強く現れるというふうになります。
つまり非常に筋骨逞しくリーダーシップを発揮する男性が、片面非常に寛容で優しいというようなことになるわけです(何か自分で書いてて羨ましくなってきた)。
文明が発達し、覚醒が進んでより高次元の存在になるにつれ、そのエネルギーは中性化します。
妖精や天使というのは両性具有というか中性なのです。
ですから高次の世界では人間のような性行為は行われません。
次元が上がるにしたがってSEXは肉体を使ったものから純粋なエネルギーの交換になっていき、最高に近い次元ではそれすらなくなります。
どうやって種を保存するかというと、そういう意図を持てば生まれてくるという、ちょっと想像しづらい状況です、ていうか何でそんなこと知ってんだろ、俺?
事のついでに性同一性障害と同性愛について書いておきます。
もうお分かりのように彼(彼女)たちはその魂のレベルで言うとかなり高い存在であり、中性化に向けて進化の途上にあるわけですが、社会通念がなかなか彼らの存在を認めてくれませんので非常に生きづらい現状があります。
ですからどうしても風俗関係の仕事くらいしか見つからないので、それが余計に彼らの評価を下げてしまう結果となっています。
自分の両性性を表現するのに往々にしてイビツな形になってしまうのも、社会の既成概念が強いからそれに対する反発となって現れるからであります。
話を戻しますが、男性性女性性を両親から受け継ぐということは、当然のことながらそこに過不足が生じるわけです。
だってそれらのバランスがとれている親なんて滅多にいないですからね。
父親との接触が少なければ成人してから経済的に困った状況になりやすく、母親との接触が少なければ健康面をはじめ人生において多難な状況を招きやすいと言われる所以であります。
そして異性関係について考えてみると、例えば父親を早くに亡くした女性はどうしても父親の影を求めてしまいます。
恋多き女になるか、あるいは非常に男性っぽい人を好きになるか、いずれにせよ根底にファーザーコンプレックスがあるのですね。
また小さい時に母親に愛されなかった男性はずっと女性を求めてさまよい歩きます。
浮気っぽい人はまず例外なく母親に無償の愛を注いでもらわなかったのです。
息子を愛さない母親なんていないのですが、愛の形が違うのですね。
私の知り合いの中での経験上でいうと、女性にすごくモテて次々と違う女性と付き合う男というのは「あなたは〇〇家の息子だからちゃんとしなさい」などと家系のことを常に母親が頭において子育てをしていたことが多いようです。
そして父親からは男らしさというのを少し誤って植え付けられています。
あくまでも子育ての過程でそうであったということで、今のその親子をみても窺い知れないことが多いです。
ん?じゃ何で僕はわかるのかって?そりゃあなた、わたしゃプロですから・・・なんのプロやねん!!(笑)
人は成長するにしたがって自分と同性の親から受け取れなかったもの(親もその親から受け取らなかった)、統率力や経済力、寛容さや健康が自分に不足していることに気づきそれに悩んでいくようになります。
それが不足しているのはすべて自分のせいで、何とかしなければならない、と一生悩むのです。また異性の親から受け取れなかったもの、これは父性愛と母性愛と言ってもいいと思いますが、それを一生追い求めます。
それを与えてくれるかに見える相手を探し続けるのです。
もうお解りでしょうが、例えそれっぽい相手が見つかったとしても向こうも当然のごとく不足しているのですよ。
最もやっかいなことはね、なぜ自分がそうなのかということを知らない点にあります。
人はこのように同性の親からある種の不足状態を条件づけられ、異性の親からは愛される経験の不足という状態を作りあげられます。
その中で自分自身に落ち込み、また求めても絶対に得られないはずの愛を求め続けるわけです。
人には誰でも生まれる前に親との間で体験しようと決めてきたことがあります。
例えばある女性が自分の父親が門限にすごくうるさく、何事につけ干渉してくるので嫌になって早々に家を出て一人暮らしを始めたとしましょう。
そのうち恋人ができるのですが、この彼がしょっちゅうメールしてきてはすぐに返事を返さないと後からめちゃくちゃに怒りだすのです。
これね、要するに男性に束縛されるという体験をしたかっただけなのです。
本来父親との間で終っているべき体験を中途半端にして家を出たものだから、当然のごとくあなたの前に現れる男性は父親とは違った形であなたを束縛するに決まっているのです。
でもそのうち嫌気がさしますから彼と別れますよね。
さあ、新しい恋人はどんな形であなたを縛るのでしょう?本当に縛ったりして・・・失礼。
もしあなたが素敵な恋人と出会いたいと思うなら、異性の親との体験をないがしろにしないで、とことんそれを体験しつくしなさい。
するとあなたが出会うのは、より霊的に高度な体験をするような人であることでしょう。
はっきり言いまして、相手から自分が不足している何かをもらおうとするのじゃなく、相手に与え続けることに喜びを感じるようになります。
そうしますとね、今まで出会ってきた異性の親と相似形の相手はあなたの人生に登場してこなくなります。
誤解を招くかもしれませんが、同時にたくさんの異性を愛するのは別に悪いことじゃないのです。
ところが、多くの場合それは相手を愛しているのではなく、自分の力を誇示することにより安心を手に入れようとしているのですよ。
普通の人はもう浮気心が出なくなります。
そして自分がこの世界にやってきた本当の目的のために、一緒にそれを体験しようと決めてきた相手があなたの目の前に現れるでしょう。
男女関係、特に夫婦というのはね、霊的にこの世界を体験していきながらお互いに成長していく大切なパートナーなのです。
「え?そうだったの?でもすでにこんな人と結婚しちゃった。もう手遅れ!」
・・・いえいえ、そんなことはありません。
あなたが異性の親と体験しなかったことを親が健在なら今一度体験し直すか、あるいは今のその気に入らないパートナーと十分体験しつくせば、相手は変わっていきます。
いや、違うな、そのパートナーが変わるというよりは、パートナーとの関係が変わると言った方が正確かな。
それとですね、一晩だけあなたの横を通り過ぎて行った人も、今つきあっている人も、もしかしたら出会えるかもしれない理想の相手も、すべて生まれる前に決まっていました。
お互いの約束事として決まっていたのです。
ただ、あなたが人生でどういう選択をしたかによって、あなたの前に現れたり現れなかったりするだけなのです。
もちろん過去世も関係します。
前世では親子だったのが今世で夫婦になるなんてのは頻繁に見受けられます。
役柄を変えてまた違うゲームをしましょうということですね。
過去世の真実のところでも書いていますが、実際に前世で親子でなくってもそういう記憶を刷り込んでくればいいだけの話です。
大切なことはどういう人と出会うかではなくて(それはあなたが呼び寄せているだけだから)、その人との間でどういう体験をするかということなのですね。
う~ん、このメッセージはすごく長かったけど我ながらいい内容やなあ。
僕は記事を書く時に大まかな内容は頭に入れた状態で書くのですが、具体的なことはパソコンのキーを叩きながら決めていきます。
男女の出会いについては本の中でもここまで詳しくは書いていません。
実はこの「男と女」という記事を書きながら「へ~、そうやったんかぁ。なるほどなぁ」と得心することしきりでありました。なんじゃそりゃ(笑)
ということで、「素敵な異性」というのは見た目のことや性格のことじゃなくって、あなたが本来出会うべき人ということであります。