「こどもの心」もそろそろ最後のメッセージに近づいてきたかもしれません。

大切な真実はひとつ、子供は親を映す鏡であるということです。

今、幼児虐待による死亡事件が後を絶ちません。

先日のある事件では僕の同級生が裁判員に選ばれました。

しかし世間では、どうすれば虐待を防げるかという問題に対して、まず医療機関や学校がいち早くその兆候に気付くことが重視されています。

あるいは、育児のことで相談相手を持たない母親が気軽に悩みを打ち明けられるように、そのような窓口を設けたりもされているようです。

それぞれ確かに大事なことではあると思いますが、そもそもなぜ親が自分の子供を虐待するようになるのかが論じられることが少なすぎる気がします。

過去世に起因

一般に殺人事件の場合、過去世に起因することが多いです。

過去世での加害者、被害者の役割を入れ替えて今生で体験しなおす、あるいは自分のしたことの結果がいくつかの生を超えて自分の元にやってくるとも言えます。

では幼児虐待の場合はというと、もう少し因果関係が早くて今生において親から虐待されていた人が結婚して子供が出来ると、自分の子供に対しても虐待をしてしまうというのが圧倒的多数だと思われます。

自分が子供の時に親から虐待を受けていた場合、その子が親になった時に取る態度は次の二つのうちのどちらかです。

ひとつは自分も子供に対して虐待をする、もうひとつは自分は親として自分の子供を傷つけないように非常に優しく接する、その中間というのはほとんどありません。

いわゆる戦うか、逃げるか、みたいなものです。

虐待とは

さて、虐待とは決して暴力だけではありません。

火のついたタバコを押しつけるようなことだけではないのです。

やっとお父さんとお母さんに会えると思ってやって来た子供を無視するのも立派な虐待です。

自由に羽ばたきたいと思っている子供を親の考える枠に無理やりはめ込もうとするのも虐待になり得ます。

あるいは実際に態度に出なくても、頭の中で子供のことがうっとうしいと考えるだけでもそうなる可能性はあるのです。

つまり、子供が親に愛されてないのじゃないか、と考えてしまうようなことはすべて、それが大人にとってどんなつまらないことでも、純粋な子供の心には大きな傷を与えてしまうということです。

 

人が生まれてきて最初に愛されるという体験をするのは親以外にありません。

そしてその体験が欠落していると、自分は愛されない存在だと心のどこかで思ってしまいます。

そして、いざ自分に子供が出来てみると、子供はそれこそ命がけで親が愛を知らないということを見せてくれます。

それは、親になつかないという態度を通して行われるかもしれません。

あるいは子供が同級生をいじめるという行為を通してかもしれません。

また万引きだって、ゲームセンター通いだってそうかもしれません。

引きこもりもそうでしょう。

その親にとって最適な形で子供が愛を知らない鏡になるということがなされるわけです。

そして、それと同時に子供はそれらの行為を通して何とかこの世界における自分の存在を確認しようとしているのです。

 

その結果は最悪の場合、虐待死まであるわけですから文字通り命がけなのです。

子供は生まれる前、天国にいる時にそこまでの可能性があることを十分承知しています。

それでありながら、その子は「お父さん、お母さん、愛してるよ!」と伝えるために生まれてくるのです。

その伝達は非常にシビアなので、通常こういうことを教わらない限り親は気づかないでしょう。

 

虐待を行った親は裁かれ、罰を受けます。

死刑だってあり得ます。

これは今の法律では仕方のないことかもしれません。

しかし皆さん、本当に気の毒なのは死んだ子供だけでしょうか?

彼らは自分の命と引き換えに、親を助けようとしました。

親はその時には気づかず残念な結果を招いてしまいました。

しかし、たとえ死刑になったとしても死ぬその瞬間には親は気づきます。

すべてのことを理解します。

確かに生きている間に気づくことはできなかったかもしれないけれど、子供の命がけの行為は決して無駄になることはありません。

必ず、向こうの世界で泣きながら抱き合うことでしょう。

でもね、少し考えて欲しいのです。

人を殴った時に、殴られた方の頬は確かに傷つき痛みますが、殴った方の拳もそれと同じかあるいはそれ以上に痛みます。

そして殴られた方より殴った方の痛みの方が消えるのに時間がかかるのです。

 

幼児虐待を考える時に、以上のようなことを頭に入れてよくよく熟慮すると、親を加害者として裁くということだけでは何も解決しないのはもうお解りでしょう。

親だってかつては被害者であったのです。

それでは次の虐待を防ぐことは絶対にできません。

すべての原因は、わたしたちが愛を知らないことにあるのです。

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