自分の身体が健康でないと嘆く人がいます。
そのため例えばアトピーや何らかの自己免疫疾患などの疾病そのものよりも、それを発症した自分の身体や、場合によっては自分自身に対して嫌悪感を向けるようになることがあります。
こうなると生きていて非常につらいでしょう。
健康であるとはいったいどういうことでしょうか?
皆さんよくご存知のWHOの定義では次のようになっています。
Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.
健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいう。
新しい提案
1998年にこの定義に対して新しい提案がなされました。
結局見送りになったままなのですが、以下のような文言です。
Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.
ここでなにが見直されたかというと、人間の身体というものは健康な状態と病気の状態のどちらか二つに分類されるようなものではなく、それらの間を移行的に変化するのだという概念がひとつ。
そして精神的あるいは心理的(mental)という部分にspiritualという語を追加している点です。
欧米圏と日本とでは宗教観とそれにまつわる言葉がなかなか一致しないのですが、mentalは心理的、そしてspiritualは霊的ではなく精神的と訳した方が無難でしょう。
向こうでは精神性のどの部分を表すかで言葉が複数存在するようです。
さて、ここで原文のwell-beingが曲者です。
つまりこの満たされた(幸福な)状態というのは、誰が判断するのか?ということになってきます。
客観的に判断するなら、病気の人は当然のことながら健康でないことになります。
なんだか悩み事がありそう、というのも健康でないし、社会に受け入れられていない状態も健康ではないでしょう。
もしこれを主観的に判断するなら?
障害を持つ人を例に出して恐縮ですが、客観的判断で健康云々を言うのであれば、生まれつき障害を持っている人は、生まれた時から死ぬまでの間一生不健康ということになります。
そんなバカなことってありますか?
冗談じゃないですよね。
確かに不自由な身体であるかもしれませんが、その状態で本人が精神的にも満たされた状態で、社会的にもきちんとその存在を受け入れられている状態ならば、僕は健康と言っていいのではないかと考えます。
であるならば、例え余命数カ月と宣告を受けた末期がんの人であっても、本人がそのことを受け入れて、その状態で心地良く満たされた状態で過ごすならば健康なのかもしれません。
今も述べたように、僕の健康の定義は、「本人が自分のことをきちんと認識し、その状態で心地良く過ごしていること」です。
自分のことの認識という点がポイントですね。
2014年現在、僕の定義は「今おかれいる身体、精神、社会的状況において、いきいきと生きていること」です。
本質的には前の定義と変わりませんが、魂が曇らずに輝いているかどうかをみています。