食べるということに関しては大きな誤解があります。
ただこのことについてはさすがに信じてもらえない気がしますが。
本来人間は食べなくても生きていけるのです
遥か昔はそうだったのです。
人の本体はエネルギー体であり、それはある次元からみると光から成っています。
人の体が光からできているならエネルギー源として取り入れるのは光であるということになりますね。
これをプラーナと呼ぶのですが、実際にある時、私には人の体が光に見えたことがあって、それ以来私の中で人の本体が光であるというのは常識になっていますし、プラーナに関しては昼間であればいつでも見ることができます。
プラーナを取り込むと今度はそれを三次元レベルで肉体が必要な栄養素に変換していきます。
ですから目に見えている肉体だけがすべてであると考えている人には栄養学は正しいことを言っているわけですが、私のような人間にとっては現代栄養学はお笑い草でしかありません。
食べるという行為にはもっと重要な意味があるのです。
詳細はここでは省きますが、要点だけ述べますと食べるというのは、この宇宙から(神様からと言ってもいいのですよ)恵みを頂いているんだ、生かされているんだということを日常生活の中で思い出し、そのことに感謝する機会であるということなのです。
咀嚼というのはその恵みを表層意識の自分(下の歯)と深い部分での真我(上の歯)との間でよくこなれるようにすり潰し、肉体が吸収しやすいようにする行為なのです。
そういう観点からみると今の日本人の食事の風景はちょっと問題であると言わざるをえないですね。
日本人の食事
元来日本人は肉食をするようにはできていません。
太古の昔は牛や豚だけでなく魚すら食べるのを固く禁じられていました。
その頃は誰かが禁を犯して獣肉を食べると、周りの人間は臭くてたまらずすぐにバレました。
ちょうど我々が西洋人に対して感じるような臭いがしたわけです。
そして、しばらくは小さな木の小屋に閉じ込められました。
ですから日本人にとっての理想の食事はやはり玄米菜食ということになります。
ただし現代において肉を完璧にやめるというのは難しいでしょうし、人付き合いだってやりにくくなります。
ですからほどほどというのがいいのでしょう。
でも霊的に進化していくと自然に肉を欲しなくなっていきます。
地産地消の言葉通り、人はその土地の食べ物を摂るのが良いのではないでしょうか。