The way to go

最近、地球環境に関する夢を見ることが多くなりました。

おそらくあと10~20年後には原発事故とそれによると思われる癌との因果関係について泥沼の裁判が繰り広げられるだろうと思います。

facebook等では現場で働いている作業員からの告発のようなものが行き交っておりますが、僕はこの手の情報は直接インスピレーションで受け取るのであまりそういったものに惑わされはしません。

しませんが、原発の現場は相当にひどい状況のように感じます。

日本だけの問題ではなく地球規模で汚染水が海を汚している。

もう魚は食べない方が良いのではないかとすら思います。

起こった事は仕方がないにしても、問題は真実をいつまでも隠蔽しようという体質にありますね。

 

昨日近くに新しく出来たお好み焼屋さんに行きました。

ごく小さな店ですが、すでに何人かの常連がいるよう。

食べている時は美味しく感じたのですが、勘定済まして帰り道にはすでに口の中が気持ち悪いのです。

おそらくはソースの中の砂糖か化学調味料のせいでしょう。

でもそこの常連さんはそれを美味しいと感じているわけだし、美味しいと感じて作っている店主がいるわけです。

さすがに日本人の味覚に対して心配になります。

 

とかいいながら、本日夜は北新地でドックセメントの小峰先生らとハモ料理を食べる予定。

小峰先生のドックセメントセミナーのスタンスが好きなのは、他院との差別化というようなことを全く考えていないところ。

要するに歯は削らない方がいいですよ、治療すればするほど早く歯を無くしますよ、だから病気の原因となっている免疫力や生活習慣を見直しましょうね、というところが素晴らしい。

もうね、本当の意味での予防や健康増進(世間ではアンチエイジングという言葉が流行っている)の時代なのよ。

ここで言う“本当の意味での”という言葉は少々深いです。

面倒くさいので説明しません。

小峰先生は一緒に歯科界を変えていこうよとおっしゃいます。

御意。

 

歯科界では今、CTや顕微鏡を使った精密治療が流行りです。

確かに高い精度の治療はより良い予後を招くでしょう。

でもね、虫歯や歯周病は無くなっていくし(無くならないと嘘)、歯を抜かなくなるわけだからインプラントもMTコネクターも必要なくなる。

妊産婦に対する正しい育児教育がなされれば、歯並びが悪くなるなんてことも激減し、矯正治療はごく特殊なケースに限られるようになる。

そうなると今、歯科界でもてはやされているオピニオンリーダー達は、自分たちのスタディグループで何をしていくのだろう?

治療に関する知識や技術よりも、予防に関するそれらが優先されるようになった時、人間の心と身体と霊性とがきちんと認知されるようになった時、きっと大変革が起きるでしょう。

時代はそれを求めている、というよりは我々医療者がそういう時代を創っていかなければならない。

そう考えます。

 

歯科においてレーザー・CT・顕微鏡が現代の三種の神器と言われています。

何度も申しますが、治療行為がこれからの時代は必要なくなっていく、いや、なくしていかなければならないのです。

では三種の神器とは何なのでしょう?

今、一般的に行われている熊谷崇先生のおっしゃるところの予防の概念も僕は少々違和感を感じます。

皆、結果に対する対処法しか考えません。

一見、原因に見えることも結果に過ぎなかったりします。

甘いものを摂り過ぎるから虫歯になるのではなく、甘いもので自分をリラックスさせざるを得ない生き方が原因である、というように。

 

あらゆることに関する唯一無二の判断基準は、「幸せであるか否か」です。

虫歯が0でも、歯並びがきれいでも、その人が幸せでないのであれば、そのような予防的医療行為にいくばくの値打ちがあるでしょう?

ワクワク・ドキドキ系だったり、当院では患者様のことを一番に考えスタッフ一同笑顔で云々と謳っているところも、院内の人事トラブルだったり、院長自身が家庭内のトラブルを抱えていたり、上っ面ばかり立派なことを言ってるところも少なくない気がします。

すべて一番大切なことは何か? ということに気づかずにきているからです。

 

あなたはどこへ向かうのか?

 

東京の青山ブックセンターで偶然見つけた、というか、入ったら即山積みしてあった服部みれいさんの新刊「自由な自分になる本」

これを読んでみれいさんを教祖のように崇める人なんていません。

僕にしてもカッパの作郎にしても同様です。

だから言葉が水のように沁み込んでいくのだと思います。

言ってることはインドのカルキや他の著名なスピリチュアリスト達と何も変わりません。

それを等身大の自分から聞きたいのか、遥か上(と思っている)人から聞きたいのか。

 

あなたはどうありたいと願うのか?

 

うちの子供たちは近い将来、3人でお店をしたいそうです。

現在16歳と13歳と11歳です。

そのために今、何をしたら良いのか常に模索して生きています。

 

僕は今、咬合の真実が知りたいと願い、今さらながら、いや、今だからこそ基礎医学の勉強をやり直しています。

今読んでいるのは生理学の教科書の筋紡錘に関するところです。

常に根拠のある科学的態度をもって診療には臨みたいですが、世間で言われるところの科学的とは少し違うかもしれません。

論文を読んでから生体を眺めるのではなく、生体を観察してから論文を読むといえばいいでしょうか。

明日は名古屋に整体のセミナーを受講しに行きます。

 

2012年が無事終わったからでしょうか、認識不足も甚だしいと思うのですが、今、世界は本当に岐路にさしかかっています。

日本も同様です。

本当に、ここの舵取り間違うとマジやばいよ!というくらい。

ワンネスの感覚で言うと、日本国憲法がアメリカに一方的に押し付けられた、とは思わない。

 

個人の力をみくびることなく、まずは自分がしっかり幸せに生きたらいかがでしょうか?

不安や恐怖や怒りに踊らされることなく、自由な自分でいたらいかがでしょうか?

霊性に関する言葉というものは、結局、時や場所を超えていつも同じことが形を変えて伝えられているだけのような気がします。

 

あなたは長い時を経て、どのように歩んできたの?

そしてどこをめざしているの?

 

では、良き週末を。

2013.8.3

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