Danny Kaye with New York Philharmonic

土曜日は朝9時過ぎに家を出て一路東京は亀戸へ。

亀戸なんて行ったことないです。

総武線、乗ったことないと思います。

途中、乗り換えの秋葉原のホームに立って街を眺めてみると、一種異様な雰囲気ですな。

降りたくない、この駅って思いましたもん。

 

前にペガサスさんに会ったのが震災前の2011年2月22日。

その間いろいろとあったようですが、彼女の個人的なことはおいておきましょう。

僕は午後からの第二部のみ参加。

およそ30数名の参加者でほとんどが女性です。

ペガサスさんがどんな話をしたかというと、話なんてほとんどないんです。

ただ、運気を上げるために次から次へとめまぐるしくグルーピングを行い、そこで自己紹介するというもの。

ほぼ2時間それをやっていました。

では期待外れだったかというと、これが結構面白かったわけ。

そこでの気づきは、例えば僕であれば家族だったり、親兄弟だったり、スタッフや友人、その他多くの知り合いに支えられて生きているというのはわかりますが、全く離れたところに住んでおり、面識もないにもかかわらず、ある人(複数)の存在があって自分は動けているんだということでした。

これって結構普段気づかないのよね、当たり前だけど。

 

その後、懇親会がありましたが、僕は別件の懇親会のために赤坂の方まで戻らないといけなかったので不参加。

もうすぐ書店に並ぶペガサスさんの新刊「不可視の王国《アストラル界》へ行こう」が20冊だけあって、クジにあたったもので購入し、サインをもらいました。

ペガサスおつかれさま

一人一人違うメッセージを書かれるのですが、僕が書いてもらったのがコレ。

だっていきなり言われたもんね 「まあ、いろいろ大変でしたわね。ご苦労様です」 って。

同じようなことはシャスタクラブで治美さんのセッション受けたときにも言われました。

わざといろんなカルマを身に着けてきて、それを生き抜いていくことでメッセージを発信するみたいな。

考えてみれば、「魂の目的 ソウルナビゲーション」という本は服部みれいさんの本で紹介されていたのです。

で、その本は小峰一雄先生のパーティに参加するためだけにわざわざ奈良から東京まで行った時、会場のビオレストランの前が青山ブックセンターでして、入り口入ったらすぐにみれいさんコーナーがあり、「あ!みれいさんの新刊が出てる」と買ったわけ。

そもそもみれいさんの本を初めて買ったのは、梅田のファッションビルにある雑貨屋さん。

その近くの映画館に確か”いわさきちひろ”さんの自伝的映画を観に行った帰りだった気がする。

それで魂の目的を読んで具体的な今回の僕の人生の課題を知り、なぜかマヤ暦を学ぶ運びとなる。

こう考えますとね、なんか僕は自分の意思で生きてるんじゃない気がしますね。

誰かに動かされているに違いないと思うのです。

 

ペガサスさんの新刊については ”僕から” 少々申し上げておかねばならないことがあります。

まだ発売前ですので皆さん想像もつかないでしょうが、多少なりとも衝撃的な事実があり、それについては次のブログで詳しく述べます。

 

スカイ21という身体スキャナーの症例発表会は日曜日ですので、懇親会は前倒しで土曜の9時からホテルニューオータニでありました。

さすが東京の永田町近くとなると、ホテルの警備も厳しいですね。

そこで久しぶりに会う秋田の田中先生と話をし、酒を飲むわけですが、僕の近くにいた内科の女医さんがまた変わってらっしゃるのです。

飛行機に搭乗中に見た3機のUFOをビデオで撮ったり、ウミヘビが歓迎のダンス(らせん状に8の字を描いていた)を動画で撮ったり、竹内文書なんてことを口にしたり、当然ペガサスさんのことも知っていて、僕は思わず「あなたね、そんな話、僕と田中先生やから普通に聞いてますけど、頭おかしいよ、それ(笑)」

おまけにこの人、サラ・ブライトマンと楽屋で並んで写真撮ってるし、「真実のレムリア」の著者オレリア・ジョーンズにメール打ったら「家においで」て呼ばれたりして、ちょっと、だいぶ変わってますが、症例発表は真面目でした。

それにペガサスさんの色の性格の話を聞いていたもので、女医さんの服の柄といい色といいすごいパワーを持っている人だと感じました。

 

その後、セミナー主催者の社長と僕と秋田の先生で上野のフィリピンパブへGo!

横に座った叶姉妹のような女の子と英語で何を喋っていたかというと、福島原発のこと。

彼女いわく、フィリピン人はフィリピンのことをあまり好きでないのだとか。

治安は良くないし、経済も良くない、料理は脂っこくて嫌、何よりずっとどこかの支配下にあったから、自国愛というのが沸きづらい。

「わたし、ニホンのこと好きだから、ニホン人としてゲンパツ問題どにかしてください」

で、僕は確かにあれは不安になるようなことばかりだけど、でも、人や社会が変わるにはああいう極端な出来事がないとだめなんじゃないか。

だからこそ逆に希望が持てるんだ。

てなことを真面目な顔して、社長がステージで郷ひろみの物真似して唄っている中、胸と背中がV字に大きく開いたドレスを着た女の子にしゃべってました、わたし(←アホ)

 

東京の地下鉄の終電って遅いのね。

そこで解散して僕は赤坂まで戻って一人で飲みなおそうと街を散策しました。

ほぼ午前0時くらいです。

ところがいい店がないのね。

何気にレコードたくさん置いてますというジャズバーを見つけ、ビルの2階に上がって外から店を覗いてみると、大きなスクリーンにクラシックのオーケストラが映っています。

「こりゃ、だめだ」と思って階段を降り、ずいぶん歩いていったあたりで後ろから声を掛けられました。

「さっき来てくださってお客さんですよね。御免なさいね。いま、ダニーケイとニューヨークフィルのDVD流してたものだから、折角来てくださったのにすみません」 とやや年配の女性。

「いえ、別にいいですよ」 と言ってまた歩き始めたものの・・・

「ダニーケイ? ニューヨークフィルとダニーケイ? って、それ何?どゆこと?」

ダニー・ケイとはもう亡くなりましたが、アメリカのコメディアンであり俳優であり、有名なところでは映画「ホワイトクリスマス」でビング・クロスビーと共演していました。

実は彼、譜面は読めないけれど、指揮者としても活躍していたことがあったそうで、このN・Yフィルとの夕べという演奏は語り継がれるほど有名なものだったのです(知らなかった)

 

でね、わざわざそれを言いに結構な距離を追いかけて来てくれて、これで店に行かなかったら奈良の鹿男の名折れやんね。

ということで、今度は僕がママさんの後を追いかける形になり、ママがカウンターに入ってこっちを向いたときにはそこに僕が座ってたという図。

このダニー・ケイの指揮が滅茶苦茶おもしろいのよ。

指揮もきちんとしたプロのそれであり、かつ本物のコメディアンというか、エンターテイナーのそれでもありました。

 

お店は夜中の2時までなので、キリがないということで途中でDVD停めたんですが、その後、僕が学生時代ビッグバンドをやっていたという話をすると、また話が盛り上がり、そこからカウントベイシーのLPを2枚、裏表。

3時過ぎてたかな、もうそろそろということで失礼しました。

ウィスキーをサービスで入れてくれたり、早い時間は原信夫さん(シャープス&フラッツの)が来られてたりということで、とても感じの良いお店でした。

僕はその後、24時間営業の讃岐うどんの店で”しらすおろしぶっかけ”にコロッケつけて、ホテル帰って、きちんとベッドに着替えて入って(なんで、ここ太字?笑)、寝ようと思ったらオリンピックの開催地決定まであと16分だと。

結局テレビつけたまま寝てしまって、朝の5時くらいに東京に決定したことを知り、テレビ消してまた寝る。

東京開催についてはさすがに何か書かんとあかんのですが、これも次回。

 

次の日は普通に講演を聴いて、普通に帰ってきて(JR品川駅暑い~)、競馬の結果を動画で見て「よしっ、よしっ、よっしゃ~っ!!  え? ハナ差で4着?」

一家の大黒柱はモロい↓

市ヶ谷釣り堀

それにしても東京の駅って、すぐそばに釣り堀があるとこ多いよね。

なんか、なごむわぁ。

2013.9.10

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