自殺について

HPを読まれた方から、お陰様で自殺を思い止まり前向きに生きていこうと決めました、という旨のメールを先日頂きました。
著書も含めて少なくない人の人生に影響を与えているのは知っています。
自殺に限らずいじめの問題にしても、その本質を書いています。
毎日70人くらいが自殺に関するHPの記事を読まれていることを考えると、その記事が救った命は少なくとも数人とかいう単位ではないでしょう。
救えなかった命の方がもっと多いのかもしれません。
いずれにせよ、良かったと思う次第です。

が、僕は別に自殺を止めようなどとは微塵も考えていません。
物事に良い悪いがあるという概念がないので、したけりゃ勝手にしたら?と思っています。
ただし、自殺すれば全部チャラになってやり直せるなんてことはドエライ甘い考えだということや、そもそも生きることの意味も知らないのに、人生がつまらないとか苦しいだとかを理由に自殺することがナンセンスでしょ、という旨のことを書いています。

ちなみに、最近では自殺というのをやめて自死と呼びましょうという風潮になってきていますが、これはとんでもない間違いで、自死というのはかつて人が今のように病気で死ぬということがほとんどなかった時代に、寿命を予感した老人が飲食を断ち、新たな生命エネルギーを取り入れるということを止め、静かにお迎えが来るのを待つ、という行為のことを指します。

よく何でそんなことを断定できるのか?何を根拠に言ってるのか聞かれることがあります。
そんな時僕は決まってこう答えるのです。
「知ってるから知ってる」
DNAが記憶していることの根拠を聞かれても、それは聞く方がおかしいのです。

2016.6.24

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