しかし、まあアレです。
中国は自分で自分の首絞めとりますな。
それよりも愚かしいと思うのは、自民党の総裁選に出馬している人たちのインタビュー番組。
韓国、中国の領土侵犯は(あくまでも日本側の見方ですが)”今”起こっているのです。
それについての考えを述べているのですが、「あんたら現役の国会議員やろが!」と思いません?
どうして、今、何らかのアクションを起こさないのでしょう。
それと、ある番組を見ていて思ったのが、彼らがフリップに書く字のあまりの下手さです。
字というのはその人の意思を表します。
例えば僕は患者さんの書かれた問診票をみて、まずはその人の状態を間接的に観ます。
アレルギーの有無とかのチェック項目も大事ですが、それよりもまずその人の名前の書かれ方をみるのです。
字の巧拙を問うているのではありません。
他人に読んでもらうという書き方がされているかどうかが大切なのです。
字からはその人の様々な情報が読み取れますが、詳細はここではおいときましょう。
で、総裁選の候補者の字の拙さというのは、字そのものの下手さもあるのですが、この状況ではその候補者の国政に対する強い意思が現れていなければなりません。
それをどいつもこいつもフニャフニャした字を書きやがって・・・・・ペケッ!!
今回の中国のデモをみて日本企業はよく考えて欲しいのです。
賃金が安いから海外に生産拠点を移す。
それがその土地の人たちに経済的な豊かさや文化的な豊かさをもたらすのも事実でしょう。
中国の巨大な市場に活路を求める。
それが中国人民の生活水準を上げるかもしれない。
でもね、結局はその企業がどうやって生き残ろうか考えてるだけじゃない?
常に経済的に成長しなければならないという呪縛を手放したらどうなのでしょう。
皆さん、歴史ってどうして(何故)勉強するんだと思いますか?
これには三つの理由があります。
まずひとつは、人の集合意識というのがどのように働き、どのような過程を経てどのような結果をもたらしやすいのかを学ぶということです。
どれだけ専制君主のような組織であっても、その君主単独で物事は進みません。
例えヒトラーであっても、ナチス党を後押しした民衆の意思があったわけです。
ある国において、それを縦軸で見ていくとどうなるのか?ということです。
(たいていは同じことの繰り返しですけどね)
ふたつめに、違う集合意識(文化)が出会うとどうなるのかを学ぶのです。
多くは戦闘になりますが、一方において侵略・略奪・征服などで文化の融合が起こり新しい文化が創造されるという現実もあります。
これは歴史の横軸ですね。
ですから、年号を覚えるのが大事なのじゃなくて、時間軸で地球全体の各国々がどのような関わりを持ったかをみることが重要なのです。
そして、みっつめ。
上のことより、ある国の人の(自分の国も含めて)現在の考え方や感じ方の背景にあるものを理解し、それを受け入れるということ。
以上のことを学んだ上で、あなたはどのような歴史を作っていきたいのか?それに対する戦略を練るということこそ歴史を勉強する最大の意義であります。
人間というものは情けないことに非常に愚かな一面を持っています。
尖閣諸島にしても、竹島にしても、お互いに利益が絡むのですから歴史認識が違うのは当然でしょう。
古事記、日本書紀にしてもそうなのですが、歴史を記したものというのは原則として時の政権に都合の悪いことは書かれません。
これは編纂したのがその政権なのですから、自分に都合の悪いことは書かないのです。
それどころか、事実を多少曲げて書くことすらあります。
ですから、日本、韓国、中国に残存する文献をいくら読み説いたところで真実などには至りません。
どちらも違うことが書かれているからです。
であれば、我々はどうするべきなのでしょう?
望むのは日本だけの利益ですか?
僕は、あらゆる子供たちのことを自分の子供のように考えています。
同じように韓国のことも中国のことも平和で幸せであって欲しいと願います。
現状は皆、自分さえよければという外交政策と内政になっています。
歴史を勉強するということは、過去の過ちを繰り返さないために、新しい未来を創造するために、人の思考や行動の傾向というものを学んだ上で、違う個性のものが調和する世界(ワンネス)を作るために必須ともいえるのですね。
2012.9.18
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