さあ、ついにこの話です。

皆さんは神を信じますか?

そもそも神とはいったい何でしょうか?

我々がピンチの時に奇跡を起こして助けて下さるのが神でしょうか?

じゃあ、アウシュビッツでの大虐殺や原爆投下、阪神淡路大震災はどうして起こったのでしょう?

神社の祠の向こう側にいるのが神でしょうか?

お寺の仏様とはどう違うのでしょうか?

皆さん今までにそんなことを誰か大人から明確に聞いたことがありますか?

もう一度聞きます、あなたは神を信じますか?

神とはいったい何でしょう?

 

最初に申し上げておきます。

皆さんにこの世界のことを教えてくれたご両親、祖父母、学校の先生、お寺のお坊さんや神社の神官さん、皆、ことごとく無知でした。

というより無知であると教えられてきたのです。

真理はあなた方の外側にあると教えられてきたのです。

〇〇がこうおっしゃった、〇〇にこのように書いてある等です。

これ大いなる間違いです。

真理はあなたの中にしか存在しません

私はまずそのことを強調しておきます。

仮にあなたが「シャングリラからの伝言」に共鳴なさるならそれは、同じ真理があなたの中にあるから共鳴するのです。

なければ共鳴など絶対にしません。

もう少しつっこんでお話しますと、あなたの中の真理がずっと眠っていたのが目覚めようとする丁度そのタイミングに「シャングリラからの伝言」と出会ったのです。

 

この項では私はきれいなフィルターになりきります。

ですからここで書かれていることを私見だと思わないでください。

私を通して出されたあなた(神)からあなたへのメッセージだと思ってください。

 

ある視点から見れば神というのは別に神と呼ばなくても、それを示す言葉であれば何と呼んでもかまわないのです。

ところが日本では神と言いますが世界各国で呼び方は違うけれども神に相当する言葉がその土地なりに存在するのです。

これは言霊という観点からみれば非常に重要で、日本では神(カミ)である必要があるのですが、英語圏では言霊としてGODでなければならないのです。

他でも述べましたが日本語ではカミ=火・水=陰陽が溶け合っている状態なわけです。

 

この世界に最初に存在して、そして実は今も実態はそれしかないもの、それは意識です。その最初に存在した意識を難しい言葉でブラフマンと呼びます。

現在も本当の本当のところはブラフマンしか存在しません。

ところが自分自身を体験により知ろうとしたブラフマンは幻想の世界を巧妙に作ろうとしました。(今でも人をひっかけるような嘘のことをブラフって言うでしょ)

そして最初にできたのが幻想の世界担当大臣であるパラブラフマンと呼ばれるものであります。

実のところ今の宇宙はこのパラブラフマンが作り上げました。

パラブラフマンは次に自分の右腕であるところのものにこの宇宙すべてを統一する法則(OHM)を作らせました。

じゃあ左腕は?知らんがな、そんなもん(笑)。

その右腕たるもの(今のところ名前は知りません)は次に生命を司る担当大臣を決めていき・・・ということが延々続いていったのです。

すべて意識の中のエネルギーの動きの話です。

菩薩も如来もすべてこのようなカテゴリーの中に存在します。

もちろん、仏陀もキリストもマホメットもです。そしてその最終的想像(創造)の産物であるあなた(人間)も花や石もそうです。

さあ、どこからが神でどこからは神でないのでしょう?

もうお解りですよね。

すべてが神なんだけれど、じゃああなたは創造主かというと違います、ということですね。部分と全体という話であります。

 

この話を個から全体へと見ていきましょう。

さくっと定義しますがこの場合、神とは集合意識のことです。

空を飛んでいる雁の群れ、あるいは海で泳ぐ鰯の群れを思い浮かべてください。

複数いるのにまるで全体が一つの意識で統一されているような動きをしますよね。

あれが小さな単位の集合意識つまり雁や鰯の神というものです。

鳥や魚のひとつひとつをさすのでもなければそれらの集団のことをいうのでもありません、

そこに存在する集合意識のことを神と呼ぶのです。

これを押し広げていくと、鳥や魚の神というのも存在しますし、人間の神、哺乳類の神というのもあります。

このように考えていって宇宙に存在するもののすべての集合意識が大きな意味での神、先ほど述べたパラブラフマンやブラフマンであります。

 

100匹目のサル現象という話を御存知でしょうか?

ある島で一匹のサルが突然イモを洗って食べだした。

それをマネするサルが続出し100匹目になった時にその行為は群れ全体に広がっていき、さらに驚いたことにははるか離れた島でも誰に教わるともなくサルがイモを洗って食べだしたというものです。

これはある閾値を超えた時にそれは集合意識となり時空を超えて同じ種に影響を及ぼすことを示します。

 

確か聖書にも書いてあったと思うのですが、「汝三人集う時、わたしはそこにいるだろう」

今、三角形を三つ集めると(二つ並べた三角形の上に一つのっける)、真ん中に新たな逆向きの三角形ができかつ、全体として大きな三角形ができますよね。

3という数字は集合意識の最小単位なのです。

そして我々人間が神という場合、通常は多次元に存在する複数の神をさしていることが多いようです。

 

いかがですか?

お解りいただけましたでしょうか?

神がいるとかいないとか、信じるとか信じないとかいう話ではないということがお解りになりましたか?

さまざまな事由で人が亡くなることも、この宇宙全体という大きな視点から見れば完璧にして起こっています。

列車や飛行機事故で乗るはずだったものに、何らかの理由で乗れなくなって助かったというのも、その人がその事故で亡くなることは全体の調和からいって望ましくないと思われたからそのような一見天の助けのようなものが差し出されたのであり、事故で亡くなった人が見放されて、助かった人にだけ神の加護があったということでは決してありません。

すべては完璧なのです。

これらのことは、仏教大学や神学校で先生に習ったり、本を読んで勉強するといった類のものではないのです。

繰り返し言いますが、あなたの細胞のひとつひとつにすべての叡智が刻まれているのですよ。

だからこそ本当に悟った人は謙虚なのです。

思いだしたかどうかだけの差であることをよく知っているからなのですね。

私にはあなたの中の叡智が目覚めているのが見えます。

 

合掌(わたしの中の神があなたの中に神をみます)

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