これは精神世界においては究極の質問とされるもので、はるか昔から論じられてきたものです。答えはさまざまあって ・I am that. ・在りて在るもの ・わたしは意識である 等です。
そしてどれも正解というか、質問の的が広すぎて何を言っても間違いにはならないのですね。
でもね、ほとんどの人の言うことはわかりづらいです。
わかっている人にはわかりますが、そうじゃない人に「在りて在るもの」と言ってわかりますか?僕は次のように説明します。
まず、何も考えずに目を閉じてください。
そしてその一切何も考えない状態を続けられるだけ続けてください。
それを意識と呼ぶことにします。
意識とは何かとは考えないでください。
その何も考えない状態を意識と定義するのだと思ってください。
そしてこの意識こそがこの世界(宇宙)の実体です。
こう考えると「わたしは何者か?」の問いに対する答えは「わたしは意識である」が正しいと思われます。
ところが、話はここで終りません。
この世界(現象界)が始まる前からずっとそこにあったものは確かに意識なのですが、気の遠くなる位長い間(時間のない世界ですので、一見矛盾するのですが)何も考えずにただ存在だけした意識がある時、「わたしは何者か?」と自ら問うたのです。
やっとものを考えたのですね。その時のやりとりは本にも書いてあるのですが、以下の通りです。
「わたしは何者か?」 「わたしは愛である」
「愛とは何か?」 「愛とはすべてである」
「すべてとは何か?」 「すべてとはあらゆるものである」
「あらゆるものとは何か?」 「それをこれから見せよう」
という自らの内でのやり取りの後、ついにこの世界の創造を開始します。
ただしその創造は想像の中で行われました。
そして現在も行われている最中です。
要するにあなたが目を閉じた状態で物事を色々と空想するのと同じです。
結局、この世界(三次元世界に限らずあらゆる時空間にあるすべての世界)はあくまでも空想上の産物でしかありません。
それこそが般若心経曰くところの無と空です。
ちょっと一概には信じがたいですが、僕たちや僕たちを取り囲むこの世界はすべて本当に精巧にできた幻想なのですね。
というと、なんかどこかで見たような気がしませんか?
そうです。
映画「マトリックス」の世界なのですね、これは。
非常に精巧にできているため、幻想だとはわかりません。
わかったらそこでゲーム(創造)が終わっちゃうからです。
これも少しややこしい話なのですが、幻想だとわかってしまうというのは例えて言えば、腕を切り落とされた次の瞬間にもう腕が元通りに戻っている、というようなことです。
これだとすぐにネタばれするわけですから、最初の腕が切られた時の体験がつまらないわけです。
その時の恐怖感や、切られた後の喪失感が味わえません。
だから体験に真実味を帯びさせるために、原因に対する結果がきちんと与えられるということになっています。
つまり切られた腕は生えてこないということです。
でも幻想なんです。
これが絶妙なんですね。やりよるわい、意識。
人間が愚かなのは、幻想を幻想として認識せずに幻想に踊らされて生きている点にあります。幻想だったら何をしても良さそうなもんですが、自分がやった結果は必ず自分に返ってきます。ですから幻想を幻想として活用すればいいだけの話なんです。
みんな忘れちゃってるんですが、あなたが存在するのは自分が何ものかを知るためです。
そのために、すべてのものの中のごくごく一部分を表すべくあなたは作られました。
文字通り意識により作られたのです。
あなたがやるべきことはその一部分を体験的に知ることです。
自分を知るためにはまず自分を外に向かって表現しなければなりません。
そうすれば他者からの反応が返ってきますから、それにより自分が何ものかを知ることが可能になるわけです。(今、この記事書きながらちょっと感動しています。
そうやったんか、と納得しているところです。こりゃ自動筆記やな、まるで)
もう一度、意識の会話の部分に戻ってみましょう。途中、「わたしは愛である」という一文があります。
ここでいう愛とは「ア」と「イ」、これは「わたし」と「あなた」という意味なのですが、二元的な意味からもう少し解釈を広げて、「様々なものが集合したもの」ということだと思ってください。
我々は皆、様々なものの一部の代表として存在するわけです。
さて、ここで「わたしは何者か?」という命題について考えてみますと、確かに意識なんですが、その意識自体が「わたしは何者か?」と問うているわけです。
そしてその答えを体験を通して知ろうとして、今この世界があるわけです。
ということは現在、解答の真っ最中じゃないのか?ということになるんでございますよ。
ここまで話についてこられたあなたは偉い!!
つまり究極の命題の答えは「現在進行中」というのが一番正解に近いのではないでしょうか?
ここまで理解した上で、ではもう一度お尋ねします、「あなたは、何者か?」
あえて再度聞くからには、今度は違うスタンスなわけです。
つまりね、ここでは全体の一部分であるところのあなたは、じゃあどの部分なの?ということを聞いておるのです。
全体の何を代表しているのですか?ということなのです。
これに答えられる人はよほどのツワモノです。
禅の公案より難しいかもしれません。
さあ、あなたはどう答えます?
どのように答えられようが、それが正解かどうかは誰にもわからないのですがね。
ところが僕は自分自身が何者か知っています。
自慢じゃないけど「わたしは何者か?」という具体的な方の問いに対して明確に簡潔に答えられる数少ない人間です。
僕が肉体を離れた時に僕の本体たるエネルギーが帰っていく場所であり、僕の向こうの世界での呼び名でもあり、今回身につけてきた過去世の一つでもあります。
それは何か?
その答えはいずれ、どこかに書きましょう。
要するに僕が何を体験しに来たのかという答えですので、そう簡単には教えられません(そんな大層なことやないけど、ホントは、笑)
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