私、こういうメッセージを皆さんに届けるということをしていますと、以前はよく「それは宗教ですか?」と聞かれたものです。

正直言ってあまりいい気分ではないのですが、いったい宗教とは何でしょうか?

実は、世界中でこれほど誤解されている言葉もめずらしいのです。

通常は教祖や開祖と呼ばれる人たちの教えのことをさします。

つまり、仏陀やキリストやマホメットの教えのことなのですが、いいですか、本当はそういった教祖、開祖と言われている人たちは誰一人として一切、今言われているような教えなどは説かなかったのです・・・と言ったら皆さん信じるでしょうか?

 

”宗教”の宗の字のウ冠は、神(宇宙)の作用を表します。

つまり宗教とはその字の通り、「神(宇宙)の示すところの教え」という意味なのですが、この教えというのが間違って解釈されているのです。

教えというのは何か規則(教条)のようなものがあって、それを守りなさいというふうに捉えられていますが、そうではありません。

教えというのはものの理(ことわり)のことです。

要するにこの世界(宇宙)を支配する法則のことなのですね。

このことを理解している人が実に少ないのです。

 

ここでは、わかりやすく仏陀を例にとりましょう。

彼は長年にわたり苦行を続けますが、いっこうに悟りに達しないため、すべてあきらめてしまいます。

このあきらめるというのがミソなのですが、要するにどれだけ努力しても自分の力では何もできなかったと、すべてを天に委ねたのですね。

この瞬間です、彼が悟ったのは。

天に全託した結果、悟りが与えられたのです。

決して修行の成果として悟ったわけではありません。

ここを間違えないでください。

ただし、とことんまで修行した結果、それでも駄目だとわかったわけで、そういう意味では仏陀にとっては修行が無駄だったわけではないのです。

ところが現在、多くの雲水さんが「現在私は修行中の身で」なんてことをおっしゃるのですが、それは違うだろうと思うわけです。

 

では仏陀は人々に対して何を話したのかというと、彼らの悩みに対して宇宙の理を踏まえながらあくまでも相手に合わせて、相手が真理に気づき腑に落ちるように話しました。

これを対機説法というそうですが、例えば夫の暴力に悩んでいる妻がいたとしましょう。

その妻が経済的に裕福なのか、あるいは恵まれていないのかで話す内容が違うわけです。

場合によっては全く正反対のことを言うこともありました。

大切なことは何を話すかではなく、いかに相手が自分の中に眠る真理に気づくように導くかということなのです。

仏陀はあれだけの人でありながら、いや、あれだけの人だからこそ、どのような人間であろうともその人の中に仏性をみました。

十大高弟と呼ばれる人たちはいつも仏陀にくっついて回っていたのですが、皆が皆すべての説法を聞いたわけではありません。

先程の例で言うなら、ある弟子はお金持ちの主婦に対する話しか聞いていなかったりするわけです。

 

仏陀が入滅したのち、仏陀の話した内容を集大成して経典として編纂するわけですが、弟子が聞いた話はすべて非常に表面的なのです。

核心の宇宙の理ですら教えとして言葉にするともういけません。

この世界が空であるとか無であるとかいうのは、本人が体験して腑に落ちるべきものであって、教えとして言葉で語るようなものではありませんし、ましてや覚えたり学んだりする類のものでは決してありません。

理屈じゃないのです。

仏陀は入滅する際に「あとはお前たちが人々に教えを説いていきなさい」と言ったわけですが、ここで仏陀は間違えていました。

何を間違えていたかというと弟子たちが誰一人として悟ってはいないということに気がつかなかったのです。

仏陀というのは覚者(悟った者)という意味ですが、”悟った人の言ったことをいくらすべて覚えても自分が悟ったことにはならない”という当たり前の話が仏陀にはわからなかったのです。

悟りとはひとつの体験であって、学びの結果得られるものでは決してないということですね。

 

真に悟ったものだけが宇宙の理をもとに現世でいかによりよく生きるかということを自在に説けるのですが、その説法を学んだ者は同じような語りをするでしょうが、全く似て非なるものです。仏陀は自らは確かに悟りを得ましたが、弟子たちに悟りを与えるだけの力はなかったために、彼らは自分たちの立場を維持するためには経典を作ってそれを伝えていくのは自分たちしかいない、というスタンスをとらざるを得なかったのです。

これこそが仏教に限らず世界中の宗教が全く役にたっていない真の原因です。

いいですか、現在教祖とか開祖とか言われている人たちは皆、自分たちがそうなりたいとは思っていませんでした。

弟子たちが彼らの死後に勝手にまつりあげたのです。

それらの魂があの世で教団の現状を見て嘆き悲しんでいるのを知ったら皆さんはどう思いますかねえ。

言っときますけど、これ本当の話ですよ。

 

悟りについては別に述べたいと思いますが、おそらく近い将来に現在のすべての宗教は今のような形では残っていけなくなります。

いったいあと何千年待てば宗教が人を幸せにしてくれるのでしょうか?

これまでに述べたように、宗教の意味をそもそも履き違えているので現状のままでは絶対に無理なのです。

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