人は胎児から幼児期にかけてその後一生消えない自分の性格に大きく影響する条件付けを受けます。

これをインナーチャイルドとかトラウマとか呼びますが、これだとマイナスのイメージが強くそれらの果たす役割について誤解を生じやすいのです。

でもここでは慣例通りにトラウマとしておきましょう。

本にも書いたのですが、このトラウマがあるからあなたはある出来事に対して人とは違う独特の反応をし、それに基づいた言動の結果、他人との間に感情というものが生まれるのです。

よってこのトラウマというのは神様があなたに与えた素晴らしい贈り物であると私は考えます。

 

赤ちゃんが両親からトラウマをもらった時に(もちろん両親にその自覚は毛頭ありません)、すべての細胞にそのトラウマが独自の振動数として刻み込まれます。

例えば心臓であれば心臓独特の振動数というのがあるのですが、それは心臓という臓器を全体としてみたときの話で、心臓の各細胞には数えきれない程の振動がインプットされており、これが宇宙における生命の記憶というものです。

さて、トラウマが刻み込まれた瞬間からすべての細胞はその振動も周りに対して発信しだします。

ラジオでもテレビでもそうなのですが、なぜチャンネルを合わせるとそれに応じた番組を受信できるかというと、原則的にあるチャンネルに合わせるとラジオやテレビ本体がそれに応じた独自の振動を発信し、その結果対応する振動数の音や映像を拾ってくるという仕組みです(ものすごく大ざっぱですが、勘弁してね)。

つまり、その後成長の過程でその子に起こる出来事はすべて本人の発している振動によるということであり、その中にはトラウマも含まれます。

ちなみに、この宇宙が出来る時に最初に何が起こったかというと振動です。

この世界は音とともに生まれました。最初に流れた音はあ・いです。

 

あなたに起こる出来事、それがあなたにとって好ましいものであろうと、そうでなかろうと、すべての原因はあなたにあります。

あなたの中の細胞が発する振動がすべての原因です。

もちろんそこにはあなたの感情や思いも関係します。

そしてあなたに起こる出来事は大きく三つに分類されます。

一つは、自分と同じ振動数のものを呼び寄せるということ。

類は友を呼ぶというやつですね。

これは例えば葉っぱの上にある二つの露が互いに近づいてきて一つになるところを想像してください。

これはすべての生命にとって非常に心地が良いです。

もう一つは、陰陽です。本質的に同じなんだけれど、見た目は逆でありながら、くっつけてみるとピッタリはまる、というやつです。

水と油ではなく男と女と言った方がわかりやすいでしょう。

例えて言うと、あなたが出会って心惹かれる異性がそうです。

三つ目は少々やっかいです。あなたを試すようなことがやってきます。

あなたと正反対のまったく異質なものがやってきます。

その時あなたは何故自分がこんな目に遭わなければならないのか?と思うかもしれません。

あなたが嫌だと思う人、出来事、そこであなたはいかようにでも行動できるのですが、そこであなたはこの世界に対して自分が何者と宣言するのか?が問われるのです。

別に「自分が正しい、相手が間違っている」と宣言してもいいし、 「わたしは愛である」と宣言してもいいのです。

人は自分と異質のものがなければ自分自身が何者であるか認識できません。

だから人生において時折、自分が何者であるかを宣言せざるを得ない場面がやってくるのです。

あなたが霊的に覚醒していく過程にいるのであれば、その宣言の機会はより頻繁によりシビアにやってくるかもしれません。

 

自分と同じタイプの人と接する時、人は自分が正しかったと認識します。

自分の価値観が間違っていなかったと考えるのです。

ところが、いくら考え方が似ていようがすべてにおいてまったく同じように考えるわけでも行動するわけでもありません。

この時に相手のことが嫌になります。

自分と違う所を認めようとしないわけです。

認めると自分の価値観すなわち自分自身が否定されるように感じるからです。

自分と陰陽を形成する相手と接する時、人は自分が持っていて相手が持っていないものを与えることにより、相手が充足されていくことに喜びを感じます。

また、相手が自分の持っていないものを与えてくれることにより自分が満たされるのを感じます。

ところが、そのうち相手に与えることより相手から与えられることばかりを欲するようになります。なぜならその人は相手に与えるだけのものがもう枯渇してしまっているからです。

本当の自分、聖なる自分が大いなる宇宙とつながっていることを確信している人にはいくらでも大元からエネルギーが流れてきますが、本当の自分の姿を見失っている人はすぐにエネルギー不足に陥ってしまいます。

そうなるとこの人間関係はもうそれ以上たちゆかなくなります。

自分とまったく異質の人と接する時、人は自分が正しくて相手が間違っているというふうに考えます。

相手を否定することにより何とか自分を守ろうとします。

ただしその否定の仕方は人により様々で、相手を攻撃する、相手を無視する、拗ねてみせる等々です。

ことほど左様に人は自分という存在を何とか守ろうとするのです。

この原因はほとんどが幼少時のトラウマです。

妊娠、出産、成長の過程で子供は今のままではダメなのだと親に刷り込まれます。

そこで何とか親の希望通りの人間になろうとするのだけれど、そんなものなれるわけがないので(その必要がない)ずっと苦しみを抱えて生きていきます。

その中で何とか今のままの自分自身を守る必要性が生じ、しかたなく周囲を否定することにより自分の存在を正当化するわけです。

 

さあ、今、あなたは自分が何者だと宣言しますか?

わたしは、声高らかに叫びます。

「わたしは、真の愛である」

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