THE GAME OF LIFE(いわゆる人生ゲーム)
昨日タカラの人生ゲームを引き合いに出して説明しましたので、もう少しこれを広げていきましょう。
このゲームはこの世界、特に「すべては今起こっている」ということを説明するのにうってつけなんです。
普通は実際の盤面に書かれている程度のマスしか思い浮べないわけですが、あなたの誕生からこの世を去るまでのありとあらゆる可能性がそこのマスという形で存在していると考えてください。
そうなると、実はゲームボードが平面では成り立たないのですが、ここではその話はおいときます。
ただし今プレイしている盤は宙に浮かんでいて、その上と下に一枚ずつ別の盤がある、この話は最後に出てくるのでちょっと覚えておいてください。
一応、その平面の盤面にはものすごい数のマスがあります。
でもプレイヤーはあなただけではありません。
休日に家族でやっているのなら、あなたも含めてプレイヤーは5人(4人でもいいけど)います。
そのそれぞれのあらゆる可能性がその盤面にあるということです。
正直言って、マスに書いてある字が小さすぎて見えへんぞ!くらいの勢いですね(笑)
そろそろこの話に馴染んで来られましたでしょうか?
では本格的に参ります。
今あなたがこの世に誕生した時からゲームは始まります。
プレイヤーは3人。
あなたと、あなたのお父さんとお母さん。
そのうちそこにお祖父さんとお祖母さんも参加してきて、何年かすると妹と弟ができてプレイヤーは7人になっています。
タカラの人生ゲームではゲーム中にお金のやり取りが生じますが、あなたは今家族とプレイしているのでお金は動きません。
実際にはあなたはお年玉をもらったり、塾代を払ってもらったりするでしょうが、立場がイーブンではないのでここではそのことは無視します。
では、その代りに何が動くかというと、こりゃあなた、言うまでもなく感情であります。
プレイヤーのそれぞれに起こる出来事について、当事者はもちろんのこと他のプレイヤーも心理的な影響を受けます。
学校に行くようになり、友達ができだすとあなたはそこでの人間関係において今までとは違う感情を味わうようになります。
原則的にはそれまでの期間、一緒にプレイしていたのは家族ですから、あなたは他のプレイヤーたちから守られる立場にあり、そこで起こる感情といってもある程度の枠があります(あくまでも原則的には、ですが)。
ところが友達は違います。
恋しく思う気持ちもわくでしょうし、裏切られたり傷つけられたりもするでしょう。
そうするとその気持ちが、あなたが振るサイコロの出る目に大きく影響しだします。
要するに出したい目、出したくない目というのがでてくるし、サイコロが一個なのならば①から⑥までの数字が出た時にそれぞれどうなるかというのがすごく気になりだします。
これは間接的に他のプレイヤーの感情にも影響します。
ややっこしいので限られた話し方をしていますが、当然その友達たちも本当は皆ゲームに参加しています。
ですが、ここでは話を単純にするためにその部分を省略します。
あなたはついに社会人になりました。
そうするとあなたがゲーム中にやり取りするのは感情の他にお金も加わってきます。
またゲームの途中にあなたの家族つまりプレイヤーは減ったり増えたりするでしょう。
それも大きくあなたの感情を動かします。
さあ、そろそろゴール間近です。
これだけは通常その(ゴールするべき)時になれば、誰が振ってもピッタリその目が出るようになっています。
でなければこっちに戻されます。
50歳の時にあなたは交通事故に遭ってしまいました。
横断歩道を青信号で渡っていたのに、左折の車がよく確認せずにつっこんできたのです。
ほぼ全面的に向こうが悪いと言えるでしょう。
全治6カ月の重傷です。
ところがベッドに横たわるあなたの胸に不思議と怒りや恨みはありません。
実はこれまでの人生の中で、さんざん人の欠点を指摘してはそれが改善されないことに腹を立ててきたからです。
その結果、人間関係はうまくいかなくなるし、自分は孤独になるし、なによりいつまでも胸の奥にいや~な感じがこびりついてそれが取れませんでした。
そして今回、相手が誠意ある対応をしてきたわけではありません。
でも不思議と怒りはわかないのです。
これが許すということなのだろうか?
許すという言葉自体がなぜか違和感があります。
なんなのだろう?この今までに味わったことのない感覚は?
妙に満たされた感じがします。
そして・・・・
そろそろ、やることはやり尽くした気がする。
逝ってもいいかな?
あなたはサイコロを振ります。
あとは③を出せばあがりです。
見事!③が出ました。
よく見てみると、サイコロのどの面にも③しか書かれていません。
そうか、そういうことか。
俺はよく頑張って生きてきたよなぁ。
考えてみれば、50歳の交通事故の時のあの感覚、今までに散々人を傷つけたり傷ついたりしてきたすべての出来事がなければ、あの様にはならなかった気がする。
全部が一本の糸でつながっていたんだなあ。
実際のところ、ずっと自分でサイコロを振ってきて自分で自分の人生を決めてきたんだと思っていたが、何か違う、でもすごく身近な存在が俺の手に手を添えていてくれたのかもしれない。
今はただ、すべてのことに感謝の念しかわいてこない。
そろそろお迎えの時かな。
あれ、あそこにいるのは死んだお父さんとお母さんじゃないか。
それもすごく若い。
ん、あの格好は何か見覚えがあるぞ。
そうだ!俺が小学3年生の時、お父さんがどうしても休めない仕事を休んで遊園地に連れていってくれたんだ。
その時の服、その時のズボン、その時のにおい・・・・。
その横に立っているのは、あれ?
あれは、まだ生きているはずの子供たちじゃないか!
あまりいい父親じゃなかったのに、こんな形でお父さんを迎えてくれるのか。
それもそんな笑顔で。
決して生きている時には俺の前でそんな顔はしなかったのに。
なんだか、とても安らかな気持ちになってきた。
自分がすごく限られた視点でものを見てきたことが今やっとわかった。
もう、じゅうぶんです。
ありがとうございます。
そしてあなたは旅立ちます。
そう、あなたがずっとプレイしてきた人生ゲームの上にあるボードに向かって。
みんな、元気な姿でまた会おう。
ありがとう。
2011.3.1