皆さま、こんにちは。

わたくし 沙取 真子(さとり しんこ)と申します。

香取慎吾じゃございません。

ここでこんなことばかり口うるさく書くのは嫌なのですけれど、お節介なものですからどうしても一言二言言わずにはいられないんですの。

 

それは、いわゆる悟りについての誤解に関してなんです。

わたくしたちが目指している先は悟りじゃありません。

ここを勘違いしないで頂きたいのです。

生命体が最終的なゴールに達した場合、その時の状態は悟っているとも表現できるというだけの話です。

あくまでも、その時の状態をそういう表現方法を用いて説明しているだけなのです。

しかし、多くの人は悟りを求めます。

それがゴールだと思っておられます。

そうではないのです。

 

これをカッパ先生は、ご著書の中で次のように書かれております。

 

究極の一点とは”わたしとあなた”が完全に溶け合っている状態です。

(中略)

この思考と感情が行為によって結び付けられ、すべてが溶け合っている状態、この想像もできないような至福の状態を目指してこの宇宙のすべてのものは進化していっているのです。

真の愛とも思考の悟りとも究極の三位一体ともいえる状態、これを神とよぶならば我々は神との合一に向かって何度も何度も生まれ変わり進化していくのです。

 

よろしおすか?

すべて”状態”と書かれていますね。

状態とはあくまでもある瞬間の様(さま)のことです。

それは目的たり得ません。

たとえば誰々のようになりたい、と思う人がいます。

そして努力してあこがれの人の境地に達した時、それは目指していた状態ではありますが、その目標とした人そのものになっているわけではありません。

そういうことです。

 

我々は究極の一点から出発して、究極の一点を目指します。

しかしその目的たる一点とは元居た場所ではありません。

不思議ですが同じようで同じでないのです。

生命体はすべからく進化しますので宇宙の始まりと同じであっては困るのです。

 

究極のゴールに着いたあと、わたくしたちはどうなるのでしょう?

実はこのゴールには何ものたりとも、たとえ一瞬でも留まることができません。

そこに着いたと思ったら、スルッとそこを通り過ぎ再び次のステージへ進んでしまうようになっているのです。

これも先生の御本に書かれておりまして、次のようになっています。

 

では宇宙の一番外側を膨張より速いスピードで駆け抜けるとどうなるのでしょうか?

実はね、元のところつまりビッグバンの爆発の中心近くに戻ってくるのです。

中心ではなく中心近くなのには理由があり、かなりややこしい話なのでここでは省略します。

 

本ではあくまでも物理的な話として宇宙の果てが実は中心に繋がっており、循環しているのだけれど、中心そのものには何ものも留まれないと書いてあります。

わたくしが本日お話しております、生命体の進化としてのゴールは元の一点ではないというのとは、微妙に話が異なるのですが、それについての説明は難解ですので省略いたします。

 

ゴールに着いたのにまた次が始まる。

この宇宙には終わりはないのです。

創造と進化に終わりがないのと同じように。

ただし、一見、終わったかのように見える小宇宙というものは存在します。

嗚呼、これもややこしい話ですので控えておきましょう。

 

以上、要するに何が申し上げたいかといいますと、悟りは目指すものではない、そのために何らかの努力をするのは少し違うということなのです。

目覚めているというのは、悟っているとは意味合いが違います。

覚醒というのは、この世界が幻想であることを理解しており、その幻想の中でせいぜい幸せに生きることが生命の目的であるとわかっていることをさします。

その幻想世界において、何が周りで起きており、何が自分に起きており、何が自分の中に起きているのか、冷静に見ていることをさします。

 

悟りを求める最大の問題点はね、悟れば今の現状から解放される、苦しみから抜けられるという、思いっきりネガティブな動機によるということなのですよ。

あるいは、自分が悟って人類・地球を救ってあげたい。

悟ってもっと素晴らしい人間になりたい。

これらも言葉が悪ぅおすけど、大きな勘違いどすえ。

 

ということで大変にお聞き苦しい話であったかもわかりませんが、本日は最近本業がちょっと忙しいカッパ先生に代わりまして、わたくし沙取真子がお送りいたしました。

またの機会がございましたら、お目にかかりとう存じます。

どうも、物書きというものは、ネタに困ると新しいキャラを立ち上げるようでございますわね。

2013.4.15