What is right? What is wrong? ~何が正しくて何が間違っているのか?

本日アップした「メール相談について」にも書きましたが、基本的に間違った選択とか正しい選択とかいうのはありません。

僕がたまにそれを使う時は、何か明確な目的があってそのためにその方法は適切か否か?という意味であります。

その際には間違っているとか正しいとか書くことがあります。

人生における選択において、何を選択しても長期的な視野からはどれも損得や優劣はありません。

結局行きつく先は同じです。

その過程が多少変わるくらい。

大切なことは自分の意思で選択すること

そしてその選択の結果に対しては全責任を負うことです。

 

僕たちが生命の原則としてやってはいけないことというのはあります。

それは他の生命を傷つけ脅かすこと。

この生命をいま魂と言い変えましょう。

魂の存在理由はその魂が自由に創造し、それにより自らの可能性を知ることです。

それを侵すような行為は本来許されません。

しかし人間社会においてはこれが往々にして行われたりします。

この場合、侵略を受けた方の魂は戦うことが許されます。

自らの存在意義をかけて相手の間違った思考、行為に抵抗することは仕方のないことでしょう。

先ほども言いましたように、魂の存在理由からいって他の魂を侵略するのは適切な行為ではないので間違っているというのです。

こういった戦いは今までに数限りなくありましたし、今現在も数限りなくあります。

 

ところがね、考えてみてください。

自由を得るために戦い、それを勝ち取った国々が今どうなっているでしょう?

たとえば中国。

数々の小国同士の争いの中、隋、唐、清などの統一国家も出ましたが、最終的には日本の半植民地状態から独立して文化大革命等を経て、今どうなっていますか?

結局、自分がされたことを今、他国に対してやっていませんか?

そしてどう見ても国としてのバランスを失いつつあるでしょう。

いつも言いますように、戦って勝ち取ったものは必ず戦いで失うのです。

 

さて一方、侵略を受けた時に戦わないやり方もあります。

極端な例をだしますが、ナチスによるアウシュビッツのユダヤ人大虐殺。

一般的な善悪の観点からいうと、これはどう考えたって悪だし間違っているでしょう。

しかし物事に善悪や正しい間違っているがないという観点からは、これとて正しい行為とは言わないが、間違ってもいないのです。

ナチスの民族粛清の考えにたてば、それは正当な行為でしょう。

現在北朝鮮がやっていることだって、北朝鮮から見ればすべて正当なのです。

要はどの視点で物を見るかによって、善悪などはいとも簡単に変わってしまうということです。

 

先ほど魂の存在理由から云々と言いましたが、その観点からみれば大虐殺は言うまでもなく大間違いな行為です。

でもね、実際のところ我々は普段、表面的な善悪に捉われて、魂や生命の存在理由から見ればなんて観点は持たないのですよ。

今は言われているから、ああそうだ、と思っているだけです。

 

アウシュビッツで亡くなったユダヤ人たちは、極端に高い意識の魂がどう行動するかを端的に示しています。

これは「神との対話」でも書かれていることなのですが、HEB(Highly Evolved Being 高度に進化した存在)は、侵略を受けた場合に戦わず、ただ肉体を離れるという選択をすることがあります。

もちろん表層意識ではそれとわかっていません。

もっともっと深い意識レベルでの選択です。

こういう意識状態であれば、自衛隊も日米協定も一切必要ないでしょうな。

侵略されればあけ渡せば良いのだから。

まあ、ここまでは中々理解されづらいことと思います。

 

ここで滅多にやらない「神との対話」の該当部分を引用させてもらいましょう。

・・・・・・・・・・・・・・

わたしは、宇宙の高度に進化した存在は、決して怒りにまかせて別の知覚ある存在を「殺し」たりしない、と言ったのだ。

第一に、彼らには怒りはない。

第二に、彼らは他の存在の了解なしに、その肉体的な経験に終止符を打ったりしない。

第三に社会の外部、別の種からであっても、彼らは決して「攻撃」されたと感じない。

「攻撃」されたと感じるのは、相手に何かを奪われると思うからだ。

生命、愛する者、自由、財産、所有物、つまり何かをとられると思うからだ。

だが、高度に進化した存在は、相手が力ずくでも欲しいと思うのなら、与えてやる。

そのために、肉体的な生命を失ってもかまわないと考える。

なぜなら、高度に進化した存在は、もう一度すべてを創造できることをしっているから。

相手が遅れていてそれを知らないのなら、ごく自然に欲しいものを与えるだろう。

 

だから、高度に進化した存在は殉教者でもないし、誰かの「横暴」の犠牲者でもない。

高度に進化した存在は、もう一度すべてを創造する必要がないこともはっきりと心得ている。

そんなものがなくても幸福になれること、生存できることを知っている。

自分以外には何も必要としないことを知っている。

「自分自身」、本当の自分は物質的なことがらとは何の関係もないことを知っているのだ。

 

最後に、高度に進化した存在は、自分と攻撃側が「ひとつ」であることを知っている。

そこで、攻撃側を、自己の傷ついた部分だと考える。

その状況での仕事は、すべての傷を癒して、「すべてであるひとつ」が本当の自分を知るようにすることだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

いかが?

2011.8.30

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