秋競馬が始まりました。

夏はほとんどやってないので、勘を取り戻すために少し頭を使った昨日のメイン。

神戸新聞杯は取り消しがあったからこそ、二冠馬オルフェーヴルが勝てたのであって、こりゃ本番とんでくれるな。

菊花賞当日は久々の淀かな?

でも僕、秋も何かと週末は忙しいのです。

というか、普通の歯科医としたらこんなもので、研修会やら歯科医師会の用事やら。

 

それはいいとして、ちょっとした勝負レースだった中山メインの産経賞オールカマー。

9頭立てとはいえ、僕の軸馬は6番人気。

これを3着に固定しての3点買い。

テレビ観戦していてゴール前、久々に声が出たんですが・・・・。

おまえ(僕の軸馬)が2着に来てどうすんねん!

3連単6千円の中穴。

そのうち見とけよ、という日本全国で少なくとも100万人は口にした言葉を僕もつぶやくのでした(笑)

 

昨日のダメ押し。

僕はかつてワンネスユニバーシティというところのスピリチュアルセミナーを受けに21日間インドに滞在しました。

前後の行程いれたら1カ月近く仕事を休んだわけです。

そのキャンパスには視界を遮るものはなにもありません。

約1~2時間のセッションが終わって外に出てみると、目に入るのはキャンパス内の白い建物(2棟の3階建ての寄宿舎と平屋の食堂に、大講堂)と青い空、彼方に背の低い山。

着ているのはクルタと呼ばれる白い服。

日本の作務衣のようなもので、汗をかいてもすぐ乾くので過ごしやすいのです。

建物の間を移動する際はサンダルを履きますが、その他は裸足。

時間すら止まっているような、流れているような感覚。

時計などほとんど見ません。

極言すれば、あるのはインドの粒子すら見えそうな空気と自分だけ。

 

そして21日間誰とも喋ってはいけないのです。

あくまでも無言で自分の内深く入るということですから。

日本への電話なんかもっての外。

この体験が現在日本各地で行われている2日間のディクシャギバー養成セミナーとは決定的に違うのです。

 

そこでどのような講義(智慧)を聞いたかではない。

どのようなエネルギーを受けたかでもない。

神秘体験すら関係ない。

ワンネス体験をしようが、何をしようがそんなものはどうだって良いのです。

まずは世俗から3週間遮断されて、そこにいるのは自分だけという状況にあることが何よりも代えがたい体験であったのです。

このために100万円という参加費を払ったと言っても過言ではないでしょう。

そう、わざわざ自分一人になるためにそんな大金を払ったのです。

 

今のセミナーでディクシャギバーになられた方を馬鹿にするつもりで書いているのではないのです。

ただ、そこが違うよ、ということを強調したいのです。

自分の内深く入るには、9時から17時まで働いたり、家事をしたり、学校に行ったりと、そういうことをしながら夜に瞑想をするだけではイマイチ弱い。

あくまでも比べれば強弱があるということです。

いくら地球の波動が強くなっているといっても、バガヴァンのエネルギーが強くなっているといっても、大切なのは自己内面への旅。

 

人生航路において、まず自分の現在地を常に知っておく必要がある。

こりゃ当然の話です。

自分の位置というのは、この言葉から受ける印象以上に重要なのです。

そして現在地までの軌跡もわかっている必要がある。

どこから出発したのか?

どこをどう通ってきたのか?

これこそが、次の航路を決める羅針盤に他なりません。

ディクシャ等のエネルギーは気づきに利用するためのものであって、それ以上でもそれ以下でもありはしないとも言える。

 

世俗から自分を隔離された状態に置くというのをずっとやっているのが延暦寺とかにいるお坊さんです。

これはこれで、それでええんかい?と思うわけですが、僕たちが生きるのはこちら側の現実世界であって、ずっと寺に籠っていて何すんねん?

ところが現実世界というのはいわゆるマインド(既成概念)が強く支配する世界ですから、そこに身を置きながら毎日瞑想の時間をとるというようなことでは、自分の内深く入ろうとするその時に、実生活の雑音なり雑念が入ってくるわけです。

これじゃなかなか前に進みません。

 

「じゃあ、私たちはどうすればいいの?今のままじゃ望みなしなの?」というご質問が当然出てくるのですが、なにもインドに限らず21日間世俗から離れてくださいと言っているわけではないのです。

僕が最近ディクシャギバーになられた方を見ていて強く思うのは、上に書いたようなことをよく認識してくださいということです。

僕は最近ディクシャ関係の方々とは疎遠ですが、たまにトレーナーの方(インストラクターのこと)を通して体験談として耳に入ってくるのは良い事ばかり。

皆がどんどん覚醒していっている。

無条件に幸せになっていっている。

それが本当なら素晴らしいことだと思いますが、実際には中途半端なところで悩んでいる人だって多いはずなのです。

だから、こういうことを書くのであって、日本においてはそれこそお遍路さんのようなことをしない限り、厳密には内面への深い旅というのは難しいのじゃないでしょうか?

 

しかし一方で、現実世界が実は幻想であるということが何となくわかってきて、そこで起こっている出来事に惑わされることなく、また感情に踊らされることなく生きれるようになると、これは世俗に身を置きながらもそこでの自分に対する既成概念の影響が少なくなってきているということですから、例え一日に15分間瞑想するだけでもその効果は以前とは比較にならないでしょう。

なんだかややこしい、矛盾するような話なのですが、

じゃあそのためにはどうしたら・・・・・?

もういい加減、その手の質問はなしにしましょうよ。

この記事が本日付で書かれているということは、これまでの記事の上に成り立っているということです。

そうでなければもっと以前に書かれていたはずなのです。

 

ちなみにマインド(既成概念)が悪いわけじゃないですよ。

それがなければ、世の中収拾がつかなくなってしまいますからね。

既成概念は皆が心地良く過ごすために必要なのです。

決まりごとがなければメチャクチャです。

ただ、それを利用するんじゃなくて捉われすぎるようになるとアキマセンという話です。

 

覚醒しようとする人、悟りを求めている人、ちょっと違うけど無事にアセンションしようとする人の実に多くが、自分を無くそうとします。

本当は自分など無いんだ、だから自分を無くさなくちゃ、とやってしまいます。

ワンネス、ワンネス、と呪文のように唱えちゃいます。

(ワンネス歯科の院長が言うのもなんですが、笑)

その結果どうなるかというと、自分を失くしてしまいます。

 

また、スピリチュアルやってる99.9%の人がエゴという語を誤解しています。

本当はエゴとは自分を知りたいという欲求のこと。

ほな、そんでええやん、ということです。

僕たちは、自分など無いんだ、幻想なんだ、ということを理解した上で、自分がある、自分を知るというゲームをしているということなのであります。

この宇宙は究極のアンビバレントな世界、一見矛盾するかの如く見えるものが実は一体となっている世界なのです。

 

例えば愛。

漢字では一字ですが、読みはア(我)イ(汝)です。

わたし と あなた がひとつだけど違う、違うけどひとつという状態。

ドイツ語でいうところの、ウムラウトですな。

実際には存在しませんが、アを発音する口の形で実際にはイと発音するみたいな感じ。

 

あ~、今日のは書いてて難しかった(笑)

2011.9.26