Inner Trip ~自己内面への旅~

これはもう精神世界では必須のことでして、これをやらずに前には進めません。

自分の内深く入っていくとは、いったいどういうことでしょうか?

これは一年前に「インドへの旅」で書いたと思うのですが、もう一度ここで再確認しておきたいと思います。

人にある特定の事を言われると非常に怒りがわいてくるとしましょう。

なぜ自分はその事をつかれると腹がたつのか?と考える自分がいる。

これが感情に巻き込まれないということです。

 

過去に同じようなことがなかったか遡っていくと「あ、そういやあの時・・・。あれ?高校の時のあの出来事・・・・」などといくつかぶつかるはずです。

さらに進んで、小学校、幼稚園から、赤ちゃんの時、うまくいきゃ胎児の時まで。

その時に、ある一つの(多くは何てことのない)出来事が最初にあって、自分は子供で上手く対処できなかった、あるいは傷ついた。

その後の人生において表面的な形は変わっているけれど、同じような状況が何度かあり、その度に怒りを表してきた。

結局、ずっと同じことの繰り返しをしていただけなんだ。

こういう気づきがやってくることがあります。

 

わかってしまうと後はどうってことなくって、それから同じような場面に遭遇しても怒りはわくかもしれませんが、すぐに過ぎ去っていきます。

自分が同じ事ばかり繰り返してきたことも、その正体もわかったわけですから、いい加減、飽きてしまうのです。

他の場合でもすべてこれの応用です。

 

時折、メールでの相談に対する僕の返信に怒りをあらわにされる方がいます。

僕はブログを読まれてもおわかりのように、直截的なものの言い方しかしません。

返信が気に入らないとしても、それは最初にもらったメールに対してなされているわけですから、問題があるのであれば送信側の内容をこそ見直すべきでしょう。

送信内容が返信内容を呼び起こしているわけですから、当然と言えば当然の話。

相手は関係なくって、すべては自分の問題だと、あれだけ口を酸っぱくして言っているにもかかわらず、そしていつもブログを読んでますとかって書いてくださるんですが、僕に言わすといったい何をどう読んでるの?となるわけです。

 

偉そうに聞こえるかもしれませんが、読解力のない人が多すぎる。

書いている人間が何を言いたいのか?を理解しようとせず、自分の都合の良い部分だけピックアップしてそこだけ曲解してわかったつもりになっている。

これをそのまま人間関係でやってるからドツボはまるんでしょ?となるわけですよ。

人の気持ちをわかろうとしない。

自分が、自分が・・・・。

それじゃ上手くいかないのが当たり前じゃん。

 

あのですね、これはすべからく他のことにも当てはまりますので申し上げておきますが、もし僕の返信がムカつくのなら、それ即ち心のどこかで痛いところをつかれたと思っているからなんですよ。

例えばですよ、「シャングリラからの伝言って宗教でしょ?」と言われたとしても、僕は相手にもしないし腹も立たないわけです。

自分に対する批評や批判が全く的外れであったなら、人は腹が立たないものなのです。

腹が立つということは、表面意識はそんなことあるかい!と思っているけれど、心の深い部分でどこかわかっていて指摘されるのを恐れているところを言われたということに他ならないのです。

 

もう少し、きちんと読んで欲しい、とそう思うのであります。

かなり不遜な感じの記事ですが、たまには僕も自分のブログでガス抜きしないと気が済まないのでご容赦願います。

あ、言い忘れていましたが、一昨日の祝日、「なら健康ランド」の帰り道のこと。

車を運転して奈良ホテル前くらいでふと県庁北の上空を眺めてみたら、何やら一瞬ピカッと光る物体が。

光ったのは一瞬でしたが、その物体はその後飛行機のように動いていかないんです。

運転中でしっかりと確認できたわけではないですが、もしかしたら奈良で見る生涯二度目のUFO?

2011.9.25

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