Happiness brings happiness ~幸せが幸せを呼ぶ~

親というものは子供のことで悩むものですが、僕に言わすとそこが間違ってる。

子供の人生は子供のものであり、例え生まれつきの病気があったにせよ、すべて子供の責任ですから、親が必要以上に気にかける必要はない。

薄情なようですが、それが本当。

だからといって放っておくわけではありません。

心の持ち方の問題を言っておるのです。

ほとんどの親は何でもかんでも自分の責任みたいに背負いこむか、あるいは極端に放任しすぎになっています。

 

前にも述べましたが、「息子が引きこもりで、主人にも手を上げるし、どうしたら良いでしょうか?」というような質問に対し、僕は「それは息子さんの問題ではなく、あなた自身の問題であり、あなたとご主人の関係、あなたとご両親との関係が反映されているに過ぎません」と答えます。

これを言われると、相手は目が泳ぎ出し何を言っているのかわからない、となります。

ここでいう親自身の人間関係が子供に反映するということをして、それが親の責任であると言ってるわけではありません。

それは単に原因と結果であるというだけです。

 

例えば子供が生まれつき障害を持って生まれたなら、親はどこか自分の責任だと感じてしまうことでしょう。

そして「どうして私のところにこんなことが・・・・」とつい思ってしまう自分に対しても引け目があります。

だからこそ不自由な身体をしている子供が非常に愛おしく思えることもあるかもしれません。

これも薄情な言い方をするならば、子供がその体験を選んできただけ、そして気づいてないかもしれませんが、その親もその体験を選んできただけです。

そこに責任もへったくれもありません。

ただ体験したかっただけなのです。

 

唯一、親に責任があるとするならば、それは子供を授かる時に親自身が幸せでなかったことでしょう。

親が幸せなら子供は問題を起こしません。

仮に起こしたところで、幸せな親にとってはそんなことは問題にならないのです。

一つの体験としてとらえるから。

 

子供の幸せを願わない親はいないと思いますが、そのために必要なのはお金をかけてあげることでも、習い事に通わせることでもなく、極端な言い方をすれば愛情を注いであげることですらありません。

そんなもの親の自己満足以外の何ものでもありません。

子供の幸せに絶対不可欠なのは、親自身が幸せであること以外にあり得ないのです。

 

今、世間に溢れだした覚醒しつつある人たち。

その人たちが陥りがちなのは、かつての僕がそうであったように、いまだ目覚めようとしない人を裁いていくということです。

そのような状態で発せられるメッセージは、不安や怖れ、怒りなどが見え隠れし、あまり心地良く響いてきません。

まあ、誰でも段階を経て覚醒が進んでいくので、いいと言えばいいのですが、できたらそのあたりをよく考えて欲しい、自分自身の姿をよく観察して欲しいと思うのです。

ここでも大切なことは、他人を無理に揺り起こすことではなく、自分が幸せであるということなのです。

そんな人の出すメッセージは、他人を裁かないし、肩の力も抜けていて、読んでいて心が軽くなります。

当方もそうであるように気をつける所存です。

2012.4.10

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