悟りの練習
競馬界に春を告げる桜花賞。
な・の・に・・・・
朝から夕方まで講演会で見れない~!
同志社大学でありますから、ちょっと行けば京都競馬場なのに(桜花賞は阪神競馬場)
毎年この日は何かあって、滅多に見ることができません。
さて、悟りの練習です。
話は極端に変わります。
これも電車に乗りながら思いつきました。
道を歩いている時でも、電車に乗って窓から外を見ている時でも何でもいいんですが、いろんな文字が目に飛び込んできますよね。
そのほとんどが看板でしょうが、なにかしらの文字が常に目に入ってくるはずです。
その時に普通は頭の中でその文字を読んでしまいます。
文字というのは既成概念の塊みたいなものですから、絶対に読んでしまうのです。
ところが速読が出来る人は文字を読みません。
イメージで映像としてとらえます。
いちいち頭の中で文章を読んでいたら速読なんて出来っこありませんもん。
その時に呼吸法と集中力がいるわけです。
この練習をやってみるのです。
文字が目に入ってきても、頭の中でそれを読まない。
ただ見るだけ。
まあ、やれるものならやってみてください。
かなりのトレーニングを積まないと無理でしょう。
僕も出来ません。
しかし、過去に見た映像と、それにまつわる記憶(つまり文字とその読み方、そして付随する意味)を今見ているものから切り離すことが出来れば、これは相当な悟りの段階に達したと言えます。
そして必要なら、その記憶を引っ張り出してくる。
つまり既成概念から完璧に自由になり、こちらが既成概念をコントロールするということです。
これできたら超人、ていうか仙人やね、その人。
ことほど左様に、人間というのはパターン化された既成概念にきつくきつく縛られているのであります。
文字というのはその典型なんですな。
てなことを考えながら(木曜日に大阪歯科センターに見学に行く途中だったんですけど)、近鉄特急を上本町駅で降りました。
いつもは号車指定の出来る券売機で特急券買うんだけれど、その時は時間がなくて、それが出来ない券売機任せの特急券を買いました。
するとラッキーなことにいつも指定する2号車禁煙席の券がでてきました。
そして上本町駅で乗り換え、駅のホームのいつもの場所で次の電車を待ち日本橋駅まで行く・・・・・・あれっ?
それって堺筋本町の整体のM先生のところへ行くときの話やないの。
今日は確か大阪歯科センターに行くんやから、ホームの向こうの端から改札出て、地下鉄谷町線に乗らなあかんやんかいさ。
おわかりでしょうか?
普段、歯科センターに行く時は改札に近い一番先頭の4号車をとるのです。
たまたま2号車だったものだから、そのままパターン化されたM先生ところへいくような錯覚に陥ってしまった。
このように既成概念というのは厄介ですねん。
おまけに、先ほどそのことについて考えてたところで、こんなことに遭遇してしまう僕。
これって、宇宙のサポート?(笑)
ということで、お勉強しに行ってきます。
春うらら 仁川の花は 咲きにけり
京の(今日の)治は 桜散るらむ
・・・・おそまつ
ていうか、今日は花まつり(お釈迦さんの誕生日)やんかいさ。。。。
2012.4.8
よく拝見させていただいています
ほんとうにありがとうございます
本文とはすこし離れますが
韓国に行ったときのことです
英語と違って、ハングルは一切読めないので
街中の看板を見ていて、不思議な感覚になりました
あらゆる文字が読めないと
かえって爽やかな気分に 笑
気持ちが軽くなって
感性が良くなる そんな体験をしました
おはようございます。
コメントありがとうございます。
これも本文とは意味合いが違いますが、僕は学会で地方に行った時に、周囲の人の方言をボーっと聞いていると、それがハングルに聞こえてくることがあります。
しかし、海を一つ隔てただけで、人間の気質が全然違うのは不思議です。