いじめと不登校と引きこもり

え~、時々「これ、誰が書いたの?」と思うようなブログ(詩?)を書きますが、書く人僕しかいませんので、それって僕です(笑)

 

パンダの赤ちゃんは名前もつかぬまま死んじゃったし、人間界においても痛ましい事件が続きますが、今日の話題はこれです。

ほぼ例外なくいじめによる自殺をした子供の親は、誰に責任があるかを問うてきます。

一応、それにより次の同様の悲劇が起こらないように、ということだそうです。

子供を失った親の気持ちを無視するのか、と言われると返す言葉もありませんが、事の本質を見ない限りいつまでたっても問題解決にはならないと考えます。

 

自らの命を絶つ一番の責任は言うまでもなく本人にあります。

これはあくまでも非常に高い視点からものを述べています。

まだ12,3歳でそれを選択せざるを得なかったことを考えると何ともやり切れない気持ちになりますが。

でもそうなのです。

そして次にその親にも原因があります。

もう読者の方はお分かりだと思いますが、親が悪いと言ってるのではありません。

原因があるということです。

そしていじめた方の子供、その親は言うにおよばず、教師、学校(の体制)、教育委員会、ひいてはこの社会すべてに原因があります。

この僕だってその社会の一員です。

 

こういった事件で「ん?」と思うのは、いじめを見抜けなかったのは、苦しんでいた子供の気持ちをわからなかったのは、親も同様なんですよね?

じゃあどうして、学校を責めるのでしょうか?

問題の根本を見失ってはいけません。

 

今の不登校児や引きこもりの数の多さは何を物語っているのでしょう?

もう、大人が作り上げてきた窮屈なルールだらけの学校教育というのは限界に来ているということではないの?

すべてを根底から見直す時期なんじゃないでしょうか?

 

不登校に対する対策というのがあります。

学校からカウンセラーを紹介しますよ。

他の生徒たちと一緒が嫌だったら、個別に他の教室で授業を受けることもできますよ。

毎週のように担任や副担任の先生が、プリントなどを自宅まで持ってきます。

でも、どれもこれも全部大人側からの目線であって、すべてが対症療法でしかありません。

学校としては不登校に対してこれだけの考えられることをしていますよ、という姿勢がハナにつきます。

やってること、やろうとしていること、ぜ~んぶ大人が正しいと考えているものに子供を当てはめようとしているとしか僕には思えない。

そのどこにも、子供の心をわかろうとする意図はみえません。

問題の本質がわかっていません。

子供はもう、これ以上無理、ってことを訴えているのです。

現状にしがみつこうとしている大人の方がみっともない。

 

先日、妻が知り合いの年配の女性に相談を受けました。

その方のお孫さんが不登校になったというのです。

その子の母親(相談者の実の娘)は、嫌なものは無理に行かなくても良いという姿勢です。

父親の方は、朝起きてまだグズグズしていたら、とっとと学校に行かんかい!という態度だそうです。

相談した女性には、うちも非常にお世話になっており妻とも仲良しで、藍やふうさんのことも御存知な上での話です。

その方の質問としては、どうしたら良いだろうか、例えば〇〇に不登校児ばかりを対象にした学校があるから、そういった所へ入れた方が良いだろうか?といったレベルです。

 

後から聞いた妻の答えは、僕に相談されてもまさにそう言うだろうな、というものでした。

要するにその女性は、本当は孫の心配をしているのではなく、祖母としての自分の体裁を気にしているだけなのです。

しかし、よくあの機関銃のように喋るオバちゃんに、うちの嫁さんがそんなこと話せたねと感心しまんねん。

本人が不登校児対象の学校に行きたいと望めば、行かせればよい。

すべて本人次第です。

しかし周りの大人は、子供にそんなこと決めさせるわけにいかないし、そんな重大な決定を出来るとも思わない、と言います。

完全に子供のことを見くびっています。

これこそが問題の核心なのだと気がつかないのね。

 

子供は大人より劣ったもの?

知識も智慧もないもの?

だから大人の言うことを聞いておけば良い?

 

子供はね、大人よりもより色んなことを感じるし、もっとたくさんの真実が見えています。

ただね、それを大人に対して表現できないだけなの。

 

夫婦は共同創造のパートナーだと書きました。

子供だってそうなのです。

家族というのも共同創造の場なのです。

その大切なパートナーのことを馬鹿にして、上手くいくわけねえじゃん。

馬鹿はお前ら大人の方じゃ!

 

いじめや不登校、ひきこもりというのは子供たちに問題があるのではありません。

だからいくらそこを探っても何も見つかりません。

正すべきは大人の方なのです。

2012.7.12

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