限界の向こうにあるもの ~宿題の答えは?~
うちの水槽でメダカが子供を産んでいました。
実際には産んでいるところを見たわけではないので、僕にすれば水槽の中にいきなり小さな小さなメダカの赤ちゃんが泳いでいるわけです。
昨日までいなかったものが、そこに存在する。
生命の神秘を感じるとともに、”いのち”というものの何らかの意図を感じざるを得ません。
”もし、絶対に失敗しないとしたら、あなたは何をやりたいか?”
この超難問は如何でしたでしょうか?
実はこれは先日、奈良市歯科医師会主催で行われた講演会で講師の鶴岡秀子さんが聴衆に問いかけたものなのです。
「夢の設計図の描き方~夢を実現出来る自分に出会う方法~」
う~ん。
僕も唸りました。
答えはすぐに出ませんでした。
だって、僕たちは常に失敗した時のことを考えておけと教えられてきたからです。
急にそんな枠を外されても、わけがわかんない。
これって、神様に背中に羽をつけてもらって「さあ、これでおまえはどこへでも飛んでいけるよ」とポンと背中を叩かれても、「イヤイヤイヤ、ちょっと待ってチョンマゲ」ていうのと同じことです。
出来ないと思っていた事を急に出来るからと言われても身体が動かないし、頭もそういうふうに働きません。
限界をはずす。
自信を持つ。
明確な未来ビジョンを持つ(想像が創造をよぶ)
その未来ビジョンをなるべく高い次元に設定する。
”何をやりたいか?”というのは言うまでもなく、かなり高い次元の話をしています。
こう言われて、お金儲けとか言う人はまずいないでしょう。
別にそう答えても良いんだけれど、ここで聞いているのは、”お金を儲けて、そしてどうするのか?”ということです。
「総理大臣になりたい」なんだけど、
総理大臣になって一所懸命仕事をして、日本国民が健康で幸せに暮らしている、それを総理大臣という視点から眺めていたい、その時の総理大臣でありたい、という感じなわけね。
何をやりたいか=どのような自分でありたいか です。
少なくとも僕らの子供の時って、「将来何になりたい?」とか「将来の夢は?」とか聞かれた時に、「野球選手!」「ケーキ屋さんっ!」「スチュワーデス!」と答えながら子供ながらに自分のその姿をイメージしていましたよね。
そして夢が実現した時のワクワクした楽しい気分を味わっていたのです。
それが「無理に決まってるじゃん」みたいなことを大人たちに言われるようになって、そんなイメージをすることすら忘れてしまった。
オーディションの話でもそうなのですが、とりあえずはオーディションに受かりたいという目先の願いがあるわけです。
その次に自分がモデルになることによって、その商品イメージをあげてクライアントに利益をもたらしたいという気持ち。
商品を多くの人に知ってもらい、買ってもらうことにより皆がより幸せになって欲しい(ま、ここでは”幸せ”をこういう使い方しておきます)。
これを延々続けていくと、自分はオーディションに応募しているだけなのに、最終的には人類の幸せというところに行きつきます。
このようなビジョンは現実化されやすい、つまり、こういう姿勢でオーディションに臨む人は採用されやすいということです。
なぜか?
この世界はワンネスだから。
たったひとつのものしかないのであれば、そのひとつのものの為になることは実現されるに決まっている。
ワンネスをひとつではなく、違うものの調和とするならば、全体が調和するような願いの元に行われようとする行為は宇宙的なサポートを受けやすい。
joyヒーリングで最初に唱える言葉
「もし大宇宙の御心に適うならば、そして全生命にとって善きことならば、わたしを電線(道具という意味)としてお使いください」
だから視点を高く持つということは、願望実現のために非常に大事なことなのです。
どのような願い事も、他人の協力なしには実現しません。
視点が高ければ高いほど、たくさんの人の協力を得ることができます。
ビジョンの共有が起こるからね。
願い事はまず大目的と小目的(目標ともいえる)とを分けて考えるべきです。
最終的には高い視点で、人類の為、地球の為ということを冠した目的になるでしょう。
しかし、そんなことはそう簡単に実現するものではありません。
一生かけて、あるいはいくつかの生涯をかけて為されるべきものです。
それとは別に、実現可能な短期的な目標を設定します。
その目標を次々にクリアしていった先に大きな目的が見えてくる。
この小さな目的、目標というのは比較的すぐに思いつくのですが、それを延長していった先が見えてこないので、宿題の答えを出すのが難しいのね。
ワンネスの実現とか、世界平和とか、そういった概念的なものではダメなのです。
もう少し自分の人生の生き方として具体的にイメージできながら、なおかつ壮大なものでなければならない。
無理やり考えて出すような答えには嘘が混じりますので、そういった時は無理に答えを出そうとせず、とりあえず小さな目標をコツコツ達成するようにして、いずれわかる時を待ちましょう。
ただね、僕が思うことは・・・・
自分で自分に限界を設けているって言いましたよね。
限界を設けていないことだってあるわけです。
例えば僕ならエッセイを書けと言われたら、かなり人の心を捉えるようなエッセイを書くことが出来るでしょう。
自分で文章が得意だと認識しているからです。
感性も豊かであると知っているからです。
それを大手出版社が出してくれたらベストセラーになるかもしれません。
でも今の僕にはスピリチュアルメッセージ以外は興味がないので、そのようなエッセイに対する依頼にも関心がありません。
つまり僕の大きな目的はどうやら、得意な文章を書くことの先にあるわけではないのかもしれません。
ということはですね、もしかしたら自分が本当にやりたいこと、絶対に失敗しないとしたらこれをやりたい!というのは、自分で設けた限界の向こう側にあるのかもしれません。
自分にはこういったことは絶対無理と潜在意識に刷り込んできたもの。
自分が自分の何に、どういったところに限界を設けたのか?
それを知ると、もしかしたら人間大きく変わって、人生開けるかもよ。
2012.7.24