ある晴れた日に

それは突然やってきた

ある晴れた日に

蝉の声は消え

街は色を失った

ある晴れた日に・・・

 

私の妻は被爆二世です。

ということは子供たちは被爆三世になるわけです。

彼女のおばあちゃんは建物疎開(たてものそかい、空襲による延焼が広がるのを避けるため前もって木造の家を壊しておくこと)を手伝っていた時に爆心地近くで被爆しました。

遺骨も遺品もなく、今はただ元安川のほとりに建つ慰霊碑に名前が刻まれているだけです。

焼け野原と化したところを当時10歳だった妻の母親は自分の母親の姿を探し求めてひたすら歩いたそうです。

 

私は大阪大学歯学部付属病院を辞した後、約2年間広島で勤務していてその時に妻と知り合ったのですが、結婚前にお互いに健康診断を受けたにもかかわらず被爆のことに関してはまったく考えもしませんでした。

広島という町は住んでみればわかりますが、決してヤクザ映画で出てくるような感じの町ではなく、非常にゆったりとした人情味のあるところです。

また浄土真宗の門徒さんが多い町でもあり、あの日、当初の目標地だった小倉上空が曇っていたのも、広島上空が晴れていたのも偶然ではないと考えています。

あれが大阪だったり東京だったりすると、今の知事さんを見てもわかりますが、果たして広島が発信するような平和の祈りを世界に向けて出すでしょうか?

被曝された方々やそのご家族の方々には大変お気の毒なのですが、非常に勇気のある魂達が集まって自らの犠牲により100年先に来るであろう平和な世界へのさきがけとなられたのだと解釈しています。

長崎には実は行ったことがないのですが、爆心地は浦上天主堂でした。

平和の鐘.jpgまりこちらは西洋の神様ですね。

このように昭和20年の8月6日と9日の両日にかけ、日本という国において仏さまとイエス・キリストがあえてそれを引き受けたのです。

世界で唯一の被爆国である日本に生まれた私たちがするべきことは、平和の鐘を世界中に響かすことではないでしょうか。

 

安らかに眠って下さい

過ちは繰り返しませぬから

 

平和記念公園にある慰霊碑に刻まれたこの文言には、特別に深い意味が込められているのです。

そしてこのような言霊をだせるのは日本人だけでしょう。

合掌    

 2010.8.6