インド紀行 その7~苦しみの原因~
昨日は大阪の千里中央のライフサイエンスセンターというところで、インプラントのセミナーに参加してきました。
当院では大口式(OAM)インプラントというのを導入しており、これを使うと患者さんの手術の負担が従来の方法に比べて格段に軽減します。
手術時間そのものは少しかかるのですが、安全性や術後の腫れや痛みは例え骨の再生処置を伴ったとしても以前とは比較になりません。
それを使ったよりアドバンスなテクニックを勉強してきました。
当院のインプラント治療のコンセプトは、「できるだけ低侵襲で最大限の効果をめざす」です。
非常にためになったのですが、驚いたのは僕が座った一番前の席の隣に同級生が座っていたことです。
僕たち学生の時には競って講義室の後ろの方の良い席(笑)をとってたのに。
新しい機材も追加購入し、早速来週のオペで応用しようと思っています。
では今週も張り切ってまいりましょう。
コース開始7日目
昨夜のアンマとバガヴァンのダルシャンはあまりのことにかえって感激が少なかった。
現実感薄かった。
そういえば、阪神大震災の時も911テロの時もそうだったが、本当にすごいことが起こった時には現実感がわかなくなるみたい。
今、確信したのだが娘の藍がよくしゃべるのは彼女が不安だからだ。
誰かとつながっていたいからだ。
夜中に夢を見た。
アンマとバガヴァンに祝福される夢。
ガバッと起きたら、ちょうど祝福を受け取り顔に塗っている格好をしていた。
昨日のダルシャンの感想や体験を前に出て数人が話す。
みんないろんな体験をしている。
ある人が「アンマはあまり笑わないと思った」 僕もそう思った
でも実際は少し笑っていたらしい。
コスミックビーイングはこちらが歌で盛り上がっていても表情ひとつ変えなかった。
そこで彼らの心に入っていける人がいて、その人によると彼らの中は喜びで一杯で一緒に盛り上がっていたそうだ。
表情からはまったくそんな気配もないのだが・・・・
また日本人のグループも何か歌いたかったという若い男性がいた。
どんな歌がいいかと彼が自分のプレゼンスに尋ねたところ、「ふるさと」がいいとのこと。
それは日本人の心が一つになれるかららしい。
四季があり、山や川に囲まれて、それが日本人のふるさとなのだそうだ。
そこでダーサジーの許可をもらい、皆で「ふるさと」を3番まで歌う。
2番3番はよく覚えていないのだが、それでもやはり涙が出るね。
今回最年長で参加している、みんなからお父さんと呼ばれている男性が歌いながら泣いているのを見て、思わずもらい泣き。
その後、呼吸の観察をやった。
空気の粒子に成りきってみると空気の神様が降りてくる。
鼻の穴から気道を通って肺に行く。そして今度はそこから逆に出ていく。
そのたびに体が前後にガクッと動く。
その後休憩。
皆、各々にプレゼンスがいるんやなあ。
ほんまに、よかったね。
前にダーサジーが言ってた「プロセスは大変にユニークで、一人一人違います」というのが腑に落ちる。
コース終了までにもう一回バガヴァンのダルシャンが行われるかもしれないそうだ。
その時に日本人に歌ってもらいますとのことである。
ふとインドに来る前に島根で聞いた五日市氏の話を思い出す。
「嫌いな人を喜ばしてあげてください。どうやるかというと、その人の目を見てその人が喜ぶことを言ってください」
朝食に行く途中、サンダルの緒がとれる。
これ接着剤でつけてるだけなので、暑さのせいでとれたみたい。
なんとか食堂まで歩いていく。
またお粥がある。
柿の種を入れ、パンにマヨネーズを塗る。
僕はマヨネーズ好きなので、これさえあれば何でも来いだ。
それと日本茶。
段々リラックスしてきているのが自分でもわかる。
こちらの食事にも慣れてきて久々に美味しい食事だった。
帰りは砂利道を裸足で歩く。
痛いけど気持ちはいい。
もし今、「家族と会えなくて寂しいですか?」と聞かれたらこう答えるだろう。
「いいえ、離れていてもプレゼンスでつながっていますから」
午前の後半のセッション
ダーサジー: これまで自分の中に入り、人を傷つけ人に傷つけられたことを見てきました。
人生は人間関係です。
ではどうして人は苦しむのでしょう?
それは経験をきちんとしきっていないからです。
20年前に誰かとケンカをしたとします。
そしてそれは肉体的にも精神的にも終わっているかにみえます。
しかし本当のところは今もそれをひきずっているのです。
誰かに何かを言われてひどく傷ついたとします。
それは相手が悪いのでしょうか?
状況が悪かったのでしょうか?
既に見てきたように、相手を変えることはできません。
状況も変えることはできません。
たとえ相手が変わり、状況が変わったとしてもまた同じことが繰り返されます。
なぜならそれは、相手を通してあなたが体験しているからです。
あなたが相手をどう体験するか、受け止めるかということなのです。
少し長くなるが、このことをわかりやすい例え話で説明してくれたので、ここに記しておく。
ダーサジー自身の体験である。
5年前にインドでも有名な外科の女医さんを担当したことがあった。
バガヴァンに個人コース(一人だけで行う特別なコース)を君が責任を持って指導しなさい、と任された。
彼女のプロセスは4日目まで非常に順調に進み、この分だと自分は何もしなくてもいいなと思っていたところ、5日目になって彼女がすごく苦しみ出した。
彼女は自信をなくし、死んでしまいたいとまで思って泣きだしたそうである。
ダーサジーは焦った。
自分が任されたのに、責任を負っていたのにどうしてこうなったんだろう?
自分の祈りが足らなかったのか?
彼女のことを真剣に考えていなかったのか?
そこで沸き起こる感情をひとつひとつたどっていくと、ある出来事に気がついた。
~~~それはダーサジーが小学生の時のこと。
先生にクラス全員の教科書を集めて持ってくるように言われそうしたのだが、運悪く一人の子が風邪で休んでいて一冊足りなかったのである。
先生はすごく怒った。「頼まれたことはきちんと責任を持ってやらなくちゃダメでしょ」
今回もそうだった。
先生(バガヴァン)に仕事を任されたが、上手く責任を果たせなかったらどうしようという不安、恐れが根底にあった。
その事がわかったので思わず女医の前なのに笑ってしまった。
彼女は自分がこんなに苦しんでいるのにどうして笑うのか、と聞いてきたのでその理由を話した。
すると彼女も笑いだし、次のようなことを話してくれた。
自分が小さい頃からいつも優秀で先生に好かれて、先生に自分みたいな生徒を持って幸せだというふうに思ってもらいたかった。
そしてずっとその調子で人生を過ごしてきた。
今回の個人セッションもそうだったのだが、ふと、もし私が高い意識レベルに到達しなかったらどうしよう?ダーサジーに好かれなかったらどうしよう?と考えると不安でたまらなくなり泣きだしたのだった。~~~
このように人にはそれぞれ感情の元となる物語がある。
ある人に傷つくことを言われて沸き起こる感情はいろいろあるだろうが、そのひとつひとつを追っていくのだ。
すると警察が複数の証拠を集めて最終的に犯人をつきとめるがごとく、自分がなぜそのことにより傷つくのかということがわかる。
これが人の話を本当に聞くということの意味なのだ。
そう、人と話している時にわき起こる感情こそが我々を救う鍵なのだ。
決してそれをどこかへ押し込めてはいけない。
自分の物語を追うのはいつでもやれるので、やっておくように言われる。
これ、ちょっと怖いわ。
やっと昼食。
もう何でも美味しい。
余ると荷物になるので持参したカップヌードルのカレー味を食べる。
カレー食べながら、カレーラーメンって。
食堂からの帰りに雨がぱらついてきたので、大急ぎで洗濯物をとりこむ。
窓から見ると、外は大雨になってきた。
でも、どうして学校でこういったことを教えないんだろう?
夜はコスミックビーイングと瞑想。
女性のダーサジーが話す。
かつてある女性が「私は順調にプロセスが進んでいるので、コスミックビーイングとの瞑想はパスしてもいいですか?あれはとても不快になるんです」 ドキッ!僕と一緒
コスミックビーイングとの瞑想は自分のマインドと向き合うことです。
これはとてもつらいことです。
彼女は無意識にマインドと向き合うのを避けていたのです。
その事に気づいた彼女はその後素晴らしい進展をとげました。
(「わかりましたよ。やりますよ」と心の中で僕)
それと完全沈黙を守ってください。
目線も合わせないでください。
目線を合わすとそこから会話が始まってしまいます。
意識が外側に向かってしまいます。
これは自分の内側への旅なのです。
みんなあれだけしゃべるな言うてるのにしゃべるし、写真とるな言うてるのにとるし、ノートとるな言うてるのにとるし、何で守れんのかな?
せっかく金と時間使ってここまで来てんねんから、ちゃんとやれや!
さて、今回のコスミックビーイングとの瞑想ではプレゼンスを呼んで、彼らがどういう状態なのか、彼らの悦びの状態を僕に体験させてくれるように祈ってみた。
きっと、胸のところがすごく温かくなるようなことを体験できるかなと思ってたら、またしても突然に頭が動き出したのだ。
最初は時計回りに10回転、ちょうど円を描くように頭がくるくる回る。
次に前後に10回頭が揺れる。
そして最後に今度は反時計回りに10回転、頭が回った。
その後、合掌していた手が動き出し両手を揃えて下腹部を軽く押さえるような体勢になった。
それら一連の動きが終了すると同時に瞑想終了の合図、「シャンティ シャンティ」が聞こえてくる。
何で終る時間が正確にわかんねん?俺を動かしてる存在は。
この動きはおそらく次のようなことだと思う。
言葉に言霊があるように、数字にも数霊というのがあって、十=充であり「充ちる」という意味なのだ。
つまり、コスミックビーイングの心の中は「充ちて、充ちて、充ちている。まるで母の子宮の中にいるようだ」ということである。
ことごとく、こちらの予想を裏切るようなことをしてくるよなあ。
やりよるわい、プレゼンス!
夕食の後、食堂の前のトイレ(このトイレは主にキャンパスで働いている人が使うためのもの)に初めて入る。
トイレットペーパーを捨てるためのゴミ箱とおしりを洗う水をためておくバケツがあった。
こちらに来てから歩く以外ほとんど運動せず、ただ座って講義を聞いて、食って寝てるだけやけど、ウンコも一杯出るから全然太らんわ。
また明日。
2010.11.9