この話は興味のない人には全くどうでもいい話でごめんなさい。 

少し前に「ディクシャ批判」という記事を書きました。

これは僕がディクシャを批判しているということではなく、ディクシャの批判をする人が少なくないことを受けて、このブログを書いている人間として僕とインドとの関係を明らかにしておこうとしたものです。

そこでは、僕はバガヴァンの熱心な信奉者ではないけれども否定もしない、またディクシャの効果がある人、ない人(感じられない人)について書かれています。

おそらく何らかの形でディクシャ活動やワンネスの活動をしている人間で、バガヴァンについての印象をこのように正直に書く人はなかなかお目にかからないのじゃないかと思います。

先日の神戸で行われたワンネスフェスティバルにしてもそうなのですが、会自体は素晴らしいものだったものの、インドの方でその一カ月前からムーラマントラを108回毎日決まった時間に唱えると当日大きな恩寵が受けられます、みたいなことを言ってくるわけです。

アホか!!と思います。

おそらくバガヴァンはムーラマントラを唱えなさい位のことは言ったかもしれませんが、あとの恩寵云々はギラン氏か誰かわかりませんが、側近のダーサジーの作文じゃないかと思うのです。

僕はこういうのが大嫌いです。

恩寵や祝福を願ってそれを受け取るというのは全然いいのですが、でも例えば一日だけ自分で決めた時間にマントラを唱えられなかった人がいたとしたらどうでしょう?

ずっと、あの日に時間を守れなかったから恩寵が来ないんだと悶々としませんか?

本当に、いい加減にしてくれ、というのが僕の正直な感想です。

こういうことを考えると、昨年バガヴァンの元を離れて行った息子さんや大矢さん、アーチャリアはじめ多くのダーサジーの気持ちもわかるわけです。

奇跡とか恩寵とかあまりに言いだすと、意識を個人の内側に向けるのが難しくなるのですね。

ただし分裂して離れた彼らは行った先が悪い。

以前にも書きましたがワンワールドという名前が最初につくものは(日本の航空会社もそうだったかな?)すべて精巧にできた偽物です。

ワンワールドアカデミーとて例外ではありません。

残念ながら彼らは世界を牛耳ろうとしている人たちの手の中に落ちていったわけです。

本人たちはその事に気づいていません。

それもひっくるめて、まあそれぞれの自由だから構わないと思います。

僕はあえて言えばバガヴァン側の人間ですから、日本で聞く昨年のワンネスユニバーシティ分裂の事情はすべてバガヴァンから見たものしか耳に入ってきません。

こういったものは、いくらバガヴァンの言うことが正しいとしても、僕たちがその分裂の出来事を判断する時には両者の話を聞く必要があります。

そうでなければ不公平でしょう。

またワンネスユニバーシティのセミナー費などのお金の問題にしても、そこの総責任者はバガヴァンであるわけですから、彼が何らかの形で責任をとるべきであって、弟子たちが勝手にやったことだから知らないというのは通用しないのじゃないでしょうか。

例えば僕の医院でスタッフが患者さん相手に医療事故を起こしたとしても、もちろん患者さんには当のスタッフから謝罪はさせますが、すべての責任を負うのは当然院長の僕であるべきです。

ケビンは大矢さんとも親しく、当人から詳細を聞いたそうですから、大矢さんの話は間接的であったとしても我々の耳に入ってきました。

しかし数多くのダーサジーの気持ちや話はこちらには全くわかりません。

ケビンの話を聞いた方はお分かりだと思いますが、すべてバガヴァンの口を通してそれらのことは語られました。

僕はケビンのことが大好きですが、これは公平さを欠きまずかったかな、と思います。

でもあの時はしようがなかったともいえる、 と感じてもいます。

 

さてワンワールドアカデミーですが、そこで語られることは結局バガヴァンの教えであり、やることと言えば自分の内面深く入っていき、プレゼンスと固くつながるということでしかありません。

ところがこれは再三申し上げていますように、教えというのは有効な道具、手段でありますが、それらはあくまでも気づきのきっかけであり、それを理解したからといって悟ったり、覚醒したりはしないのです。

要はあなたがその高い意識状態になるかどうか、その状態があなたに与えられるかどうか、それだけの話なのです。

そしてそれが出来るのは、ディクシャエネルギーの責任者であるバガヴァンだけ、と言ったら少し語弊があるかもしれませんが、まあそれに近いわけです。

ワンワールドアカデミーの人たちは皆、意識の高い素晴らしい人たちですが、いかんせん人をその意識状態に引き上げるような能力は持ち合わせていません。

ここは勘違いしてはいけないところです。

 

「ディクシャ批判」の記事は毎日結構アクセスがあります。

僕が以前母校の同窓会誌に投稿した文に、虫歯のスピリチュアルな原因というのがありますが、多くの同窓の先生からは相手にされないわけです。

皆が皆、そうではないですが、ある先輩なんかは「虫歯の原因は寂しさなんか?そんなこと考えて臨床してるんか」とバカにしたように笑います。

「知性の足りない人だ」と僕は思うのですが、自分が理解できないことは理解できないこととして、どうして放っておかないんだろう?

なぜ自分が分からないことを馬鹿にしたり否定したりするのだろう?と切に感じます。

ディクシャもね、それがいかにも怪しそうだから私は絶対に近づきたくない、と最初から敬遠するんならまだわかるんですよ。

でもディクシャを一度や二度受けて何も感じなかった、何も変わらなかったからといって、どうしてワンネスムーヴメントやバガヴァンやひいてはケビンのことを悪く言う必要があるのでしょう?

このホームページや著書を読んでもワンネスの意味や書いてあることが皆目分からないという人も大勢いらっしゃいます。

その人たちを馬鹿にするつもりは毛頭ありません。

ただ、「分からない」という事実があるだけだからです。

ここが、なかなか理解してもらえないところなんですねえ。

困ったもんだ。

2010.11.10 おまけ