これは読み方が大切です。

くさらずとは腐らずのことですが、木更津を読むイントネーションで読んでください。

僕が確か大学2年か3年の時に発見?しました。

 

今、ここにコンビニの弁当があります。

消費期限が本日の夜中12時。

保存料とかそういう話は今は一切無視してください。

要するに12時超えたら腐敗という過程に入るということです。

でもね、11時59分59秒には食べられるわけです。

それが12時ちょうどになり、12時1秒になったら急にその弁当腐りだしますか?

大丈夫ですよね。

じゃあ12時2秒は?

12時1分ではどうでしょう?

これを延々繰り返していくと、結局、物は腐らないということに行きつくのです。

いや、ある一定時間がたてば弁当の中に有害な細菌が閾値を超えて増殖しだし、食あたりを起こすようになる。

その一定時間が12時ちょうどなんじゃないの?

この理論は当時、阪急石橋駅界隈の下宿生に大きな福音をもたらしました(←ウソ、笑)

 

僕、理系のくせに超文系的なものの考え方をするのですが、この法則は一見、どこにも弱点がなさそうに見えます。

今度は少し角度を変えてみて、12時少し前くらいから弁当を開け食べ始めました。

でもその人、ものすご~く食べるの遅いんです。

ナマケモノとラクダと牛を足して7で・・・割り切れへんがなぁ、、、みたいな食べ方するんです。

次の日になってもまだ食べてます。

その次の日になっても・・・・。

この人はどの時点でお腹が痛くなるでしょう?

途中でなんか味が変になってきたと感じるんでしょうか?

マジメな話、これ、考えれば考えるほどわからなくなるんですよ。

 

先日、診療中に患者さんの歯の型取りをしていて、それが固まるまでの数分間トレーを押さえているわけです。

その時にふと脳波がスローダウンし、意識が周りの空気と溶けだしました。

すると完全に静止している僕の視界に時々衛生士の村上さんが入ってくるんだけれど、その動きは時間経過に沿った連続的なものではなく、彼女が僕の視界の中で占める位置が違う場面場面をまるで落ちている切り絵を拾うような感じでぼくが時空間の中を進んでいるような感じ。

わかりにくいでしょうが、説明もしにくいんです。

要するに時間というのが幻想という感覚になったのです。

時間というのは実は無くって、ただ違う瞬間という場面の中を揺らぎながら進んでいるということです。

どの瞬間もよく精神世界で言われるように「いま、ここ」

そしてそれらが連続してるんだけれど、連続している各々の場面は実は同時にそこに存在している。

村上さんはさっきはそこにいたのに、今はここにいる。

でもその間に流れているもの、あるいは変化しているものは決して時間ではない。

それを思う時、村上さんがそこにいた時に意識を向けると、そこにいるのは過去の僕、というか、そこにいる村上さんと同時に存在していた僕。

これが時間を行き来するということなんだろうか?

この話、これ以上説明不能。

あなたも体験してください、としか言いようがありません。

震災から一週間、そろそろ普通のメッセージに戻してまいります。

 

さて、最初の話に戻りますが、「奇跡のリンゴ」の木村秋則さんのように全くの自然農で育てた作物は腐りません。

腐敗せずに、朽ちて発酵していく過程をたどります。

人が死んだ時にその体が腐敗するのか朽ちるのかというのは生前に食べていたものによります。

動物性のものを食べていたのであれば腐るでしょう。

でも人間が本来食していいものしか食べなかった人の体は腐らずにミイラのように水分が抜けていくだけのようです。

弁当が腐るというのは、原材料も含め、その土壌も含めて、製造の過程で何かがおかしいのです。

 

僕が最近時々チェックしているサイト。

「地球人のためのスピリチュアルレッスン~VastStillness’s Channel 」

管理人のyukikoさんが、様々なスピリチュアル動画を日本語訳を付してupしてくださっています。

今はこ無私無欲でこういうことをなさっている方がいらっしゃって本当に有難いと思うのです。

その中での最新動画がコレ↓

 

2011.3.18