依存症はどうして起こるのか?

今日はまずはじめに、お詫びとお断りがあります。

一昨日のブログで、このことは釈迦もキリスト等々も誰も知らない話だと書きました。

そして昨日のブログでは、これこそが釈迦やキリストが伝えたかった真髄ではないのか、と書きました。

明らかに矛盾しているわけです。

すみません。

どこかが間違っているのですが、普通に考えたら僕の不遜な態度がおかしい気がします。

現在の宗教家は誰一人として釈迦やキリストから直接話を聞いたわけではなく、弟子が覚えていたことを経典にしたものを書き写しながら口伝も含めて伝えられてきたのです。

だから今、聖書や経典を読むと教えというよりは何かを守らせるみたいなニュアンスが強い。

果たして彼らは現在書物にあるようなことを本当に言いたかったのだろうか?

彼の聖者たちはわかってはいたけれど、うまく言葉に出来なかったのかもしれない。

どちらが正しいのかはわかりませんが、また、どちらも正しいのかもしれないけど、まあどっちでもええ話です。

すでに読まれている人がいるので記事の途中訂正をするとフェアじゃありませんから、件の記事はそのままにして、ここで矛盾があったことだけお伝えしておきますね。

 

さて、

僕は「お酒は飲まれますか?」と聞かれると

「飲みます」と答えます。

「お強いですか?」と聞かれると

「弱い人よりは強いけど、強い人よりは弱いです」と答えます。

「どのくらい飲まれますか?」と聞かれると

「お金があるだけ」と答えます。

「何がお好きですか?」と聞かれると

「何でも飲みます」と答えます。

「いや、その中でもこれが好きというのは?」としつこく聞く人には

「本当に何でも飲むのです。エチルとメチル以外」と答えます。

 

そんな僕はアルコール依存と呼べるのかもしれない。

これだけ依存は絶対禁忌と言ってるのに、またしても棚上げ爆発です。

アルコール依存は基本的に肝臓とリンクします。

つまり常にある怒りを中和させるために、アルコールを飲んでしまうのです。

別に言い訳してるわけじゃありませんよ。

アルコールを飲めば肝臓が働かざるを得ない。

要するに肝臓にもっと怒りを濾過してくれとやってるわけです、知らないうちに。

タバコは肺です。

つまり常にある寂しい気持ちを緩和させるためにタバコを思わず吸っちゃうわけです。

異性にだらしない人、あるいはしょっちゅう浮気ばかりする人、これは幼少時の異性の親とのスキンシップの問題です。

 

泣き上戸、笑い上戸等々、お酒を飲めば変わる人いますよね。

これは先ほどのとは似ているようでほんの少し違って、いわゆる理性による溜め込んでいる感情の抑制が外れた時にどうなるかということです。

僕の場合はやはり怒りが出てきます。

マナーの悪いのに対してはてきめんに腹が立ちます。

その時、腹から胸にかけて妙なムカムカした感じとともに、罵声が喉元まで出かかり、もう少しで手をあげそうになる。

実際にやったことはありませんが、その寸前にまで僕の感情は膨れ上がり身体はジーンと痺れます。

また、僕はアホが大嫌いです。

ここで言うアホというのは物事の本質が見えてないヤツ、近視眼的な目しか持たず、長期的展望のない人のことです。

医者や官僚などはその典型なのですが(もちろん全員だとは思いませんが)、組織の上の方にいる人間がアホで、僕がそこに属しているとなると、これまた酔ったらメチャクチャ怒りが沸いてきます。

 

いわゆる薬物依存というのは、僕は全く経験がないし何の直感もわいてこないのでここではコメントできません。

小学生の時、ドイツ軍の戦車のプラモデルに塗装を施す際(僕の好きな戦車はキングタイガー)、モデルカラーの揮発性の臭いがたまらなく嫌でした。

窓を開けて換気をしても気分が悪くなる。

まあこれは薬物の話じゃないけれど、さあ僕はいつの日かアルコールから抜け出せる日が来るのでしょうか?

 

人間の体は本来、アルコールはもちろんのこと、ニコチン(タバコ)、カフェイン(コーヒー等)、肉類(獣肉、鶏肉、魚肉)を摂取するようには作られていません。

文字通りそのように作られていないのです。

Flour of Life ~生命の種~

僕たち人間は農家の人やバイオ産業がハイブリッド作物を作り出すように、崇高な存在により作られました。

その際に上記のようなものは消化出来ないようにセッティングされたのです。

だからいくら大酒飲みが人間ドックに入って検査の結果肝臓がすごくきれいだと言われようが、ヘビースモーカーが肺がんにならなかろうが、霊的次元ではそれらの臓器はものすごくダメージを負っているということです。

 

怒りは親からの血で受け継ぐものなら、僕がお酒を止めるのは無理なのかもしれない。

しかし僕の勘では近々酒量が減っていき、やがては完全にお酒を辞める日が来るのがわかる。

考えてみれば日本という国ぐらい、あちこちの繁華街などで夜にお酒を供するお店が多い国はないと思うのです。

バー、スナック、ラウンジ、クラブ、居酒屋、その他ありとあらゆる和食洋食中華のレストランで。

これ異常です。

なぜかというと、それらすべて日本の誤った男尊女卑、父親信仰の産物だと考えます。

父親が一番偉く、その家長の言に家族全員が従わなければならない。

どこに妻や子供の自由があるでしょう?

我々日本人はそれを連綿と引き継いできたのです。

こうやって長年にわたり蓄積してきた不平不満がストレス(怒り)発散の場としてのお酒供給の場を作り出しているのではないでしょうか。

では韓国はもっと父性社会ではないのか?

おそらくは儒教文化という背景があるから、日本ほどではないのかもしれません。

 

先ほど、フウさんが花カッパの絵をホワイトボードに書いていました。

「お父さんもカッパ風に描けるで」と言うと

「うん、わかった」

描き始めました。

慧と二人で交代べんたんに

お父さんカッパバージョンとお父さん人間バージョン。

腹立つことに似てる。

おまえら、そのうち仕返しするからな(笑)

20116.12

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