人は変わるのか?変わらなくちゃいけないのか?
「地球人のためのスピリチュアルレッスン・サマーキャンプ」からもう一週間が経ちました。
詳細はもう近々書きますのでお楽しみに。
今日はそのワーク中に出てきた一つの疑問を取り上げたいと思います。
由紀子さんがキーシャ・クラウザー(女性のスピリチュアルメッセンジャー)の言葉として
I’m willing to change.
というのを紹介されました。
わたしは喜んで変わる(直訳)
実際には、わたしは変わることを望むし、その変化を喜んで受け入れる、という意です。
そして由紀子さんは「変わることを無意識に拒んじゃっている人多いですよ」と付け加えられました。
すると僕の横に座っていた女性が手を挙げて質問されたのです。
「よく、『人は変わらなくていいんだ、そのままでいいんだ』と聞きますが、そうじゃないんですか?」
そこで由紀子さんはその質問を僕に振りました。
僕はきちんと説明すると長くなるし、あまりその場で何でも知ってるよみたいな空気を出したくなかったので、「難しい問題ですが、彼女の質問はもっともだと思います」とだけ答えました。
そもそもキーシャがどういう文脈でそれを言っているのかがわからないので、コメントのしようがないのです。
さて、人は変わるのか、あるいは変わらなくても良いのか、果たしてどちらなのでしょう?
多くの人間は程度の差こそあれ、自分は今とは違うこのような人間になりたいというふうに願っているのではないでしょうか。
それは性格の問題であったり、経済的な問題だったりします。
そういった中で「どうせ、わたしなんかそんなふうになれないわ」と最初っから諦めている人がいます。
これは、「成功する方法」とか「幸せになる方法」とかいった世に溢れる願望実現本の中でも必ず書かれていることなのですが、「どうせダメだ」と潜在意識で思っていると、その通りになってしまいます。
つまり何も変わらずダメなままということです。
また、ほとんどの本では「自分はすでにそうなっているのだと思って、そのように思考し行動しなさい」と書いてあると思います。
確かにその通りなのですが、難しいことも多いでしょう。
このホームページのあちこちに書いていますが、一度そうと願ったなら、そのことは忘れること。
これイージーじゃないですか?
さて、このブログでも著書の方でもこれまたあちこちに「あなたはあなたのままでいいのだ。変わる必要などない」と書いています。
これは自分の内面的な部分を指しています。
まあ要するに性格的なものかな。
あなたがその性格だから、周囲の人との間に感情が生まれるのであって、皆が同じ性格なら感情というのは存在し得ません。
それでは困るのです。
先ほど自分が変わるということを述べました。
でも変わらなくても良い・・・・・いったいどっちなの?
というのが至極当然の疑問なのですね。
自分の性格でココが嫌いというところがある。
そのせいでいつも人間関係ぎくしゃくしちゃう。
そこが変われば、こんなふうな私だったらどれだけ楽だろう。
と、一回願いますと、そのことは忘れてください。
で、どうするかと申しますと、その自分の嫌な性格のせいでぎくしゃくする人間関係の中にとどまるのです。
逃げずに戦わずにそこに居続ける。
その時の感情と一緒に居続ける。
それをやり切れば、もうあなたは体験したかったことを体験したということですから、次のステージに行きます。
そこでは以前のような性格は必要とされないかもしれません。
違うことを体験したいわけですから、あなたが引き寄せるものも変わらなければいけない。
ということは、あなたが発信するトラウマに裏打ちされた個性は少しその様相が変わるということです。
すると、あれ?
あれだけ自分のココが嫌いと思っていたのに、何もせずにただその感情を感じていたら、知らない間に昔憧れていたような人になってる気がする・・・。
ということでございます。
I’m willing to change.
わたしは喜んで自分の変化を受け入れる。
これが僕なりの説明ですが、いかがでしょうか?
実際にはキーシャは少し違うニュアンスで言ってる気がしないでもないけど。
2011.8.27