この宇宙はあらゆる体験を通して、自らを深く知るために生まれた。

この世界に理由というものがあるならば、ただそれだけだ。

あとはただ体験があるだけ。

体験とはすなわち、それに伴う感情のこと。

つまり自分にどのような感情があるかを知るためにこの世界は存在するのだ。

 

どのように考え、どのように行動すれば良いか、と問うなかれ。

言ったではないか。

あらゆる感情を知るのだと。

あなたがいかに思考し、行動しようとも、それは特定の感情をあなたにもたらす。

あなたはそれを体験すればよいのだ。

 

だからよいか、よく聞きなさい。

出来事を頭で判断することなく、ただ体験しなさい。

そしてその時の感情を十二分に味わいなさい。

たとえそれがどのような感情であろうとも、それが自分の中にあるということを見るのだ。

それがあらゆる体験を通して、自らを知るということ。

それがあなたの中のあらゆる可能性であり神秘なのだ。

 

出来事そのものには全く何の意味もない。

それは単にあなたに感情をもたらす道具にすぎない。

あなたが特定の感情を好まないのであれば、それは避けることができる。

ただあなたの思考と行動を変えれば良いだけだ。

しかし、多くの者がここで勘違いをする。

どうしてその感情を避けるのか?

その感情がわいたのに、自分はそういう人間ではないと、どうして言えるのか?

それを十分に味わうことなく、別の所に行こうとするから失敗する。

まずはそれを体験しなければならぬ。

そうでなければあなたはどこへも行けないのだ。

 

ここで疑問がわかないだろうか?

あなたの本体は意識であり、それは思考と感情と行為で構成されるものだったはずだ。

しかし、自らを知るというのが自分の中のすべての感情を知るということならば、あなたは感情だということになりはしないか?

この二つは矛盾するのではないか?

 

すべての事象はどの視点、どの次元で見るかによってその様相が変化する。

実際には変化するのではなく、観察者にとって変化したように見える。

言葉とて同じなのだ。

あなたは意識であり、思考であり、感情であり、行為である。

一方で、あなたはあらゆる感情そのものである。

ここで感情という言葉はより深遠なる、そして究極の言葉に変化するのだ。

すなわち・・・・

 

あなたは愛である

 

人は皆、善悪という目で物事を見る。

それが感情にもあると勘違いしてしまう。

だから、あなたたちには愛というものが、いつまでたってもわからないのだ。

あなたたちが言うところの愛とは、厳密には愛のようなものでしかない。

 

あなたがいかに思考しようとも、いかに行動しようとも、いかなる感情がわこうとも、

あなたは常に祝福されている。

Amen

2011.9.3