今回の台風で奈良の南の方は大きな被害が出ました。

いまだに2012年のことを深刻に心配している人もいるようですが、僕はいくばくかの自然災害は避けられないと考えています。

それがどれくらいのものかはわかりませんが、世界規模で起こらざるを得ないでしょうし、日本とて例外とはならないでしょう。

ただし、地球が滅ぶというようなシナリオにはならないと確信しています。

それに対する心構えをされるならされれば良いし、何もしないというのだってありでしょう。

しかし時は確実に前に向いて刻まれていっているのです。

 

2012年12月21日(多少前後する説もある)にマヤ歴が終わるという説があり、それが2012年問題となっているわけですが、よく計算し直してみるとそれは実はもう今年の10月から11月くらいなのだという話もあります。

僕はそれについてはわかりませんが、少なくとも地球の波動上昇とともにこの秋から更に大きくシフトアップしていくことを強く予感しています。

当初の予定より地球の波動の加速が激しいので、1年前倒しになりつつあるとも解釈できます。

 

さて、その中で僕自身はどうかというと、本を出版した当初やホームページを書き始めた当初は、それなりに一所懸命その宣伝をしようとしていましたが、今はただブログを更新するだけで特に目立つことは何もしていません。

問われればスピリチュアルのことを話したりしますが、そうでない限りは特別そんなことを口にしません。

このブログを読まれた方はどんな人間なのだろう?と思われるかもしれませんが、ごく普通の人です。

パッと見て精神世界をかじっている人間には絶対に見えないと思います。

それでいいのです。

 

色々と偉そうなことを書いていますが、いつも申しますようにこれらのメッセージは自分自身に対してのものでもあるのです。

書きながら自分でも気づきをもらっています。

気づきというのは要するに注意深く自分を観察するようになったということです。

かつては自分のトラウマと対峙し、それに縛られている自分を見つめるとうことをやっていた時期もあります。

今でもそれは頭にはあるのですが、前との違いは今はすべてが軽いということです。

ふわっと、スッとすべてが過ぎ去っていきます。

感情にしても頭の中のマインドにしてもあまり一カ所にじっとしていません。

流れ去っていきます。

もちろんそうでない時もありますが、以前に比べるとその頻度とその捉われている時間が格段に短くなっています。

僕がインドに行ってこの世界に足を踏み入れたのが2006年ですから、およそ5年かかったわけです。

 

そして周囲の親しい人間からはおそらく僕は以前と何も変わっていないようにしか映らないでしょう。

それでいいのです。

相変わらず酒飲むし(量は減りました)、アホなこと言うし(アホなことしか言わないが正解)、組織の在り方という話になると熱くなるし、競輪競馬は(以前ほどではないが)するし。

そして何より母親との関係は相変わらずです。

でも昔とは全然違う。

生まれてからずっと自分と付き合っている僕がそう感じるのです。

 

何か努力したわけではありません。

むしろ自分の個性を殺してまで良い人になろうとするのを止めたと言った方が良いでしょう。

今まで無意識にそうしていたのを、いつの間にかしなくなっていたのです。

人に好かれるためにはどうすれば良いか?という考えを知らないうちに放棄していました。

だって、僕は僕として在ることしかできないから。

 

確かに時折強烈なエネルギーにさらされますが、自然にこうなったのです。

「手放せば目覚める」とか、「そのままの自分を愛する」とかどこかの本のタイトルや標語みたいなことを守ったわけじゃないのです。

皆さん、どうすれば?という方法を求められるのですが、僕はそれには疑問を呈します。

我慢強く現状で居続けること、という気がします。

 

どこかのスピリチュアルセミナーの体験談などを読みますと、何か一つのきっかけですべてが全く変わって良い方向に進んでいったなどと書いていますが、僕なんか「こりゃホンマかいな?」と思うのですね。

体験談を書いた時点ではそうかもしれないけど、人生そんなに甘いものじゃないです。

通常、強烈な神秘体験や上昇気流に乗った後には必ずといっていい位ドツボが待ち構えているものです。

そのように波があるのですが、全体としては上向きに行っているというのは本当でしょう。

その波乗りを楽しめるか否か。

まれにアゲアゲのまま行っちゃう人もいますけどね。

 

ごく初期の頃、五日市剛さんの本の影響で「ありがとうございます。感謝します」というのを心の中で常に言っていたことがあります。

これは確かに効果抜群だった気がして、やはり感謝がないと人間的な成長というのは望めないというのは本当のような気がします。

文句ばっかり言ったり、いつまでもウジウジしている人はほとんど感謝がないように見えます。

これがないと、すなわち自分の位置につけないのです。

なぜ、ここにいるのか?というのがわかっていないということですから、どこにも進みようがないという単純な物理法則です。

 

僕にだって現在、色々と頭を悩ますこともあるし、現象界的にすべてが満ち足りた状態ではありませんが、でもこれが幸せなのではないか、としみじみ思うのです。

僕の中は満たされている気がするから。

「あ~、幸せっ!」というのではありません。

何となく、これが幸せなのではないか?という感じです。

 

幸せの定義がありますが、それを知っているから幸せになれるかというと違うようです。

皆さん条件的には同じで、今いる所、今ある状況は自分が望んだ体験のための舞台設定なのに、その設定に苦言を呈する人が多いわけです。

今の僕は、その舞台設定でようやく自分らしい演技をしながら、その自分の演技を見ている自分もいるという状態になってきました。

こういう状態になると、あまり無理がありません。

自然体です。

 

本を上梓した当初、仮に他人に「あなたは今、幸せですか?」と聞かれたら

「ハイ、幸せです。だって僕は幸せというのが自分の生まれてきた目的通りに生きることだということを知っているから。そして僕はその通りに生きているから」と答えたでしょう。

でも今から思うと少々無理があった気がします。

そのように力んで答えるところが胡散臭いのです。

今は、最近のブログでも書いているように静かに自分の中で何が起こっているかを見ています。

相手に一瞬腹が立ったりもしますが、それは比較的短時間で消えていきます。

今なら、「ハイ、僕は幸せです。理由は・・・・特にありません」と言えるんじゃないかな?

 

皆さんは、何を求めていますか?

 

僕は現状に大いに満足しています。

 

でも、またこの状況はどんどん変化していくのも知っています。

 

必ず僕の思い描いた通り(あるいはそれ以上)になると知っています。

 

だから何も求めません。

 

そうなるのを知っているから。

 

だから、その状況状況でベストを尽くすだけです。

 

ベストを尽くすとは、現実をきちんと生きるということです。

 

そうすれば必ずや目的地に到達するのです。

 

Namaste

2011.9.7