個人セッション
少し昨日の記事について言い訳をさせてもらいます。
僕はプールサイドから飛び込むのは大好きで、結構大胆にきれいに飛びます。
ところが飛び込み板からとなると、例えその高さが50cmであろうとも恐いのです。
不思議なことに飛び込み板(ビヨンビヨンするやつ)ではなく、各コースに元々設置されている飛び込み台(コンクリートの立方体のやつ)からだと50cmの高さでも恐くありません。
でもそれ以上の高さになると板だろうが台だろうが無理、不可能。
ということで、ビミョ~なヘタレということで宜しくお願いします。
さて、本日は久々に個人セッションの方がかなり遠方からお越しになります。
僕の個人セッションというのはヒーリングとディクシャを基本としていますが、別にお話だけするでも良いし方法論ではないので何だって構わないのです。
最初に専用の問診票を書いて頂きますが、ヒーリングで僕に伝わってくる身体のサインと照らし合わせて差し障りのない範囲でお伝えします。
例えばその方が診療室に入ってこられるだけで、僕の体の特定の場所に痛みなどを感じることがあり、それはすなわちその方の異常を示すものであります。
ヒーリング中に手を身体の各所に当てている最中に、僕自身の体に何かを感じることもあり、それが必ずしも手を当てている場所ではなく、おそらくはそこに異常を起こしている原因となっている場所だったりします。
また自分の手にその部位からの微振動を感じることもあります。
それらがおそらくは、その方の悩みの原因となっている感情の捉われのことが多いようです。
それらはほとんどがバーストラウマか幼少期のトラウマに由来します。
いきなりそこをついても良くない場合もあるので、相手を見ながらソフトにお話していきます。
こんなことを僕みたいな性格のきつい人間がやっていること自体が不思議なんですが。
ここでやることは、悩みの大元の原因を目の前に提示して光を当ててあげることです。
なんでもそうなのですが、原因不明というのが一番人間が不安になりやすいのでして、最悪の状況でも原因がわかっていると案外腹がすわっていられるものです。
次にその原因となっているトラウマを抱えている自分を癒してあげる作業に移ります。
俗に言う、インナーチャイルドの癒し、ですね。
あくまでもこれは典型的な話でして、すべてがこのように進むわけではありません。
ここが難しいのですが、癒すというのはそのトラウマを抱えている自分を全面的に受け入れてあげるという作業です。
これが簡単に出来るようであれば、そんなものわざわざ個人セッションを受けに来られたりしません。
出来ないから悩むのです。
西洋的な手法とすれば、自分が母親になって自分の中にいる傷ついた幼い時の自分を抱きしめてあげる、という風にするようです。
ヒーリングというのは実に様々な手法があって、皆自分に縁のある所に行かれて良いと思うのですが、ここで勘違いしやすいのは「あれが効く、あれはダメ」という錯覚に陥りやすいということです。
よろしいでしょうか?
あくまでもテクニックは副次的なもので、相性の良いものを選べばよいのだけれど、それがイコールそのテクニックの優劣ではないということです。
ヒーリングというのは単に意識の問題なので、テクニックなどあってもなかってもどちらでも構わんのですが、どうしたってヒーラーは基本コース、上級コース、指導者認定コースというふうにランクが上がるに従って少なくない受講料を払ったりしていますので、その落とし穴にはまりやすい。
そうではないということです。
僕は西洋的な手法はジャラジャラして(言葉は悪いが女々しい感じがする)合わないので、そこで登場するのがディクシャです。
「シャングリラからの伝言」はトラウマに関して決してネガティブなものではなく、自分の個性を決定づける神様からの贈り物だというスタンスをとっています。
こういう考えはスピリチュアルの世界では滅多にお目にかかったことがありません。
トラウマを取り除くというので多額のセミナー料(100万単位)をもらって財をなしているヒーラーだっているくらいですから。(僕に言わすとクソッたれ)
ここでの問題の核心は、クライアントは自分の思いや捉われに善悪の判断を持ちこんでしまっているということです。
トラウマは悪いものだ、それに捉われている自分は弱い人間だ、とこうなるわけです。
うちにセッションを受けに来られるということは、当然このホームページを読まれているわけですから、上で書いているようなことは頭ではわかってらっしゃるわけです。
頭ではわかっているけれど、どうにもならない、というのが現状でお困りなわけです。
それを僕がどうにかできるでしょうか?
あとはクライアントとプレゼンスとをつないでさしあげて、天にお任せということに相成ります。
それがヒーリングでありディクシャであるのですが、ディクシャは直接既成概念を取っ払ってくれるように働きますので、善悪の判断に捉われている人には効く時には効く。
効かない時には、まだそのタイミングでないということですが、よくよく自分自身を観察すると何も効いていないということはないはずなんです。
少なくともエネルギーが動いているわけですから、何の影響も与えないなんてことは物理的にいってもあり得ません。
でもそれを感じ取れないというのはあり得ます。
この際に奇跡のようなことが起こったりもします。
できれば悩み苦しみをすぐに取ってあげたいとは思いますが、そうならないことも多いというのが実際のところ。
なぜなら出来事自身が苦しいのではなく、体験の仕方の問題でして、その人がそれを苦しみとして体験しているだけだからです。
だから体験の仕方が自動的に変わるのを待つしかありません。
それはセッション後すぐに起こるかもしれないし、一年かかるかもしれません。
僕が一番強調したいことは、トンネルを抜けるにはトンネルを進むしかないということです。
ゴールはその向こうにあるわけですから、後戻りしたって仕方がない。
非常出口から外に出たって、そのトンネルからは一時退避できますがゴールには着きません。
なんらかの安物のセッションを受けて、人生を好転させるためのテクニックみたいなものを学んだとしても、単に別のトンネルにスリップするだけです。
だから進まなければいけない。
休憩はありです。
いくらでも休んで、そしてゆっくりとでもいいから足を前に動かしていけば必ず抜けます。
向こう側は当然光の世界です。
まれに豪雪や暴風だったりして、トンネルの中の方が安全だったりすることもあったりなんかして(笑)
人は皆、喜びのために生きています。
そのためには悩み苦しみが前にないとわからないのです。
そのうち悩み苦しみですら喜びを伴ったものになります。
悩みや苦しみの原因となっている事象が実際は幻想だということが腑に落ちるからです。
必ずそうなります。
ただ、あせらないでください。
あなたはただ、半歩ずつでも前進するだけ。
苦しければ、いつでも助けを求めたらよいのです。
これが屋久島での気づき(←ウソ、笑)
こんなオチいらんね。
この連休は何をしようかと考えていたら、嫁さんに「セミナーちゃうん?」と言われ、ああそうでした。
日、祝と義歯のセミナーを受けるのでした。
そのために他の先生と休日診療の担当日を代わってもらったのでした。
本日は友人と会食?のためにミナミに出動。
でも最近あまり、夜の街に興味ないんだなぁ、これが。
2011.9.17