アイコンタクトというのは、スピリチュアル系のセミナーでよく行われるワークのひとつです。

二人一組になって、向かい合わせに座り、膝と膝がくっつくくらいまで近づきます。

音楽はあったりなかったりしますが、お互いの目を見つめ合う、最低でも3分、長ければ5分間。

joyヒーリングなんかでは、この時に「わたしの右目からあなたの左目に愛を送ります」というアナウンスが入ったりします。

この場合は自分の右目で相手の左目、相手の右目が自分の左目を見ているわけです。

右目で愛を送りながら、左目で愛を受け取るという感じですね。

 

8月にあった「地球人のためのスピリチュアルレッスン・サマーキャンプ」では少し違って、自分の両目で相手の左目を見つめるというワークでした。

特に由紀子さんの誘導や音楽もなく、ただペア同士が見つめ合っている状態。

慣れないとまばたきが難しいのですが、慣れると結構まばたきせずにやれます。

やってみられればわかりますが、これね、なぜだか涙が出てきてしまうことがあります。

ケビンのセミナーで幾度となくやっていますが、相手の方が泣きだされたり、僕の方が「アレレレレ?」、涙が溢れてきたり。

 

さて、サマーキャンプで僕とペアを組んでもらってたのは当ブログの読者の女性で以前からメールのやり取りをしている方ですが、今回の場合は相手の方が泣きだされました。

ワーク終了後の感想でおっしゃったのは、僕の左目からオレンジ色の光の束のようなものが自分に向けて出されているのを見て思わず涙が出てきたそうです。

これを聞いても僕は特別驚かないのですが、なぜかと言うと以前にも同じことを言われたことがあるからです。

 

何年か前に知り合いの紹介で、滋賀県の澄禅寺の左藤滋光和尚主催の祈りの会に初参加した時のこと。

京都国際交流会館のロビーで会場が開くのを妻と待っていた僕は、ふと入口の方を見、初対面であるものの作務衣を着て頭を剃っているので明らかにそれと分かる和尚と目が合い、向こうの方から「あ、どうも。西塔さんですね」と声をかけられました。

「なんで僕だとわかったんだろ?」と当然思うわけですが、後から聞いたところによるとその時、僕の左目から光が出ていたので、和尚さんは僕だとわかったそうなのです。

このことがあったので、先日も左目から光が出ていたといわれても、まあそうなのかな、と思うわけです。

もちろん僕自身には左目から光が出ているなんて自覚はありませんし、見えもしません。

自分で見えたら、さすがに恐いよね(笑)

両目から出たら、こりゃウルトラマンか宇宙人やな。

 

見るという行為は、非常に凄いパワーを秘めています。

目以外の顔を隠し、その人の視線だけを感じていたら、そこから様々な感情が出ているのがわかります。

怒りだったり、寂しさだったり、愛だったり。

目というのは、それまでの人生でその人が見てきたものすべての記憶をその奥に蓄えています。

だから目だけを覗き込んでも、相手のことがおおよそわかったりもするのです。

 

目から出る感情は確かにその人の中にあるものを表していますが、反面それが見ている者に対しての能動的行為だったりもします。

怒りの目で見られたら、寂しい目で見られたら、溢れる愛の目で見られたら、、、。

それぞれこちらも影響を受けるわけです。

心にさざ波がたちますよね。

目は心の窓とはよく言ったもので、まさしく至言。

 

大脳皮質においても視覚野というのはかなり広い領域に存在します。

それだけ人間にとって視覚というのが重要な要素を占めるからです。

このHPだってそうですが、目に見えないものを扱うと変人扱いされがちです。

目に見えないものは存在しないというのが一般的な科学の基本的スタンスだからです。

「シネマパラダイス」でも述べましたが、この世界が実は幻想であり、その幻想を眺めているのが実態であるならば、やはり見るという行為は必要不可欠なのです。

もし視覚がなければ、我々はより悟りに近づきやすくなるのかもしれません。

本当はそれは間違いですけどね。

まあ、そうも言えなくもないというだけの話。

マインド(既成概念)というのは、視覚があってこそ成立するといえるのです。

だから我々は見た目というのにものすごく騙されやすいのです。

 

「神との対話」にも書かれていますが、このアイコンタクトというのを鏡を見て自分相手にやってみてごらんなさい。

その時あなたは自分の目の奥に何を見るでしょうか?

果たして溢れる愛を感じられるかな?

うまくいきゃ、これが自分を愛するってぇやつの特効薬になるかもしれません。

2011.9.22