昨日の池川先生の講演は非常に良かった。

本当に聴いて良かった。

そう思うのであります。

突然降ってわいたようなお誘いだったのですが、行くべくして行った感があります。

僕をそこにいざなってくれたすべての人(もの)に感謝であります。

唯一問題だったのは、会場の市役所が名張駅から歩いて遠い~。

知ってたらタクシーでした。

地図見た時に、駅から数ブロック真っ直ぐ行って右に曲がったらあると思っていた、そのワンブロックが長かったという誤算がありました。

 

こういう場合、細かい講演内容を書くことはしません。

著書も多数あるのですが、機会があれば是非是非ご自身で、友達と、家族で聴きに行かれることを強く強くお勧めします。

子供連れOKです。

胎内記憶の話聴くのに子連れがダメなんてそんなアホなことはないわけです。

特にこれから妊娠する可能性のある人、現在妊娠中の人、子育て真っ最中の人たちに聴いて頂きたいです。

池川先生はそのお人柄なのかすごく軽妙洒脱な話のされ方をなさいます。

全然偉そうでないです。

ちょっとビックリしました。

 

僕が池川先生の事を知ったのは、「いやしの村だより」でケビンこと中西研二氏と対談されていたのを読んだときです。

それから本屋さんで「子どもは親を選んで生まれてくる」を買い求めました。

書籍案内でも紹介している葉祥明さんの絵本もそうでしたが、こういうのを読むと途中で涙が止まらなくなります。

 

会場に着き受付で事前にメールのやり取りをしていた主催者の女性と挨拶を交わし、席をとって頂いているということで案内されたのが演台のまん前の席。

こんなん学生の時やったら絶対に「もっとええ席とろうぜ」て言って、一番後ろの出席取ったらすぐ出て行けるようなところを選んでたのに。

え~い、どうせやったらここで聴いたるわい、と一緒に行った男性と着席。

講演が始まって先生が、自分や知り合いで胎内記憶などがある人を募ると、結構な数の手が挙がりました。

もちろん僕も挙げたわけですが、まず通路をはさんで僕の隣に座っていた女性にマイクを向けられ、彼女は自分の誕生前記憶について話されました。

ついで僕がうちの子供たちの胎内記憶の一例を話しました。

最初にこういう話がポンポンと出ると、後がすごく話しやすくなるそうです。

ちなみにその彼女は奈良から来られていて、僕のブログの読者でありました。

奇遇~~!!

 

講演の中では様々な実例をお話になりましたが、信じるとか信じないとか言うけれど、池川先生はすべてお子さんに聞きとりしたことを伝えておられるだけなのです。

それを否定するということは即ち子供の言うことを信じないということです。

それ、あきませんよね?

様々なスピリチュアル系のセミナーに参加していて思うのは、皆さん結構小さい時から不思議な体験をしている人が少なくないにも関わらず、周りが相手にしないから自分の中に封印しちゃう人が多いことです。

 

お母さんに「ねえ、ねえ、お母さん。そこに天使が立ってるよ」

「何をバカなこと言ってるの!そんなこと他人に言ったらダメよ!」

てな具合なんですが、子供は自分が見えたものをそのまま伝えただけなのに、一番自分のことを信用してくれているはずのお母さんに全否定されたら辛いです。

こうやって子供は心を閉ざしていきます。

友達に言ってもダメ、職場の同僚なんてとんでもない。

皆さん言いたいことが(実際に見ているのに)言えないという状況になるのです。

どんどん殻にこもってしまうわけです。

僕のように平気で目に見えない世界のことで堂々と嘘つく 話す 厚顔の 紅顔の美少年という人は少ないようです。

 

サイドメニューにも胎内記憶について書いてありますが、こんなことを言う子がいた、あんなことを言う子がいたというのはおいといて、今さらながら重要なことを見落としていたことに気づかされました。

それはね、およそこの宇宙に存在するものすべて思考と感情と行為からなります。

行為というのは肉体により左右されますから、肉体がどのような形をとるかによって変わります。

人間のような肉体もあれば、単なるエネルギー体というのだってあり。

いかなる形をとろうとも、そこに思考と感情が常に変わらずあるということは不変の真実であります。

 

つまりですね、お腹に赤ちゃんが宿った時点から、もっと言うなら卵子と精子が受精した瞬間から、そこには大人と変わらぬ思考と感情があるということです。

これを見落としていました。

だからおなかの赤ちゃんに話しかけてくださいというのです。

子宮の中で、お母さんの歌声やお父さんの話し声がどうなのか聞かせてもらいました。

お母さんの心臓の鼓動とともに普通にちゃんと聞こえています。

怒鳴られるとうるさいです。

夫婦喧嘩なんかしようもんなら、そりゃ赤ちゃんはたまったもんじゃありません。

 

当然生まれてすぐでも、言葉が全然しゃべれなくても、ちゃんと考えて感じてるんです。

喃語(言葉にならない赤ちゃん言葉)であっても、実はきちんと何かを話してるんだと思うんですよ。

すると、どうです?

なんか、妊娠や出産や子育てが楽しくなりませんか?

だって子供たちはみんな親を助けるため、親の役に立つために生まれてくるんですから。