どうもこの話が続くようです。

いわゆる流産、死産というものがあります。

また生まれる前に両親を選んでくるのなら、そしておよそ起こり得ることを事前に教えてもらうのなら、どうして虐待する親などを選択するのか?

それらについて、池川先生の講演内容も踏まえながらお話します。

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果たして、こういう記事を書く人間と一昨日の競馬記事を書く人間は同一人物なのか?と思われるでしょうが、おんなじなんですねぇ、これが。

写真真ん中が池川明先生、左はカッパ、右は「地球人のためのスピリチュアルレッスン・サマーキャンプ」で同室だった柴田さん。

柴田さんは東京にお住まいですが、なぜだかこの日に用事で奈良県桜井市に来られており、用事を済ませて午後から一緒に講演を聴きに行ったのです。

 

信じても信じなくてもかまいません。

ていうか、今さらこのブログでそんなこと言う必要もないか。

流産や死産、さらには中絶などというのも宿る魂は可能性として了解した上でやってきます。

そもそも通常、人間が抱いている生と死という概念が非常に偏狭なのであります。

皆さんは「エネルギー保存の法則」というのを知っていますよね。

エネルギーというのは形を変えることはあっても、決してその総量は変わらないし、ましてや無くなることなどないというものです。

であるならば、病院のベッドの上で危篤状態で寝ている人の生命モニターがすべてフラットになり、臨床上の死亡宣告を受けた時に、先ほどまで心臓も肺も動いており、体内では生命活動が行われていたわけです。

つまりエネルギーというものがそこにあったはずなのに、次の瞬間にそのエネルギーはさあ、どうなるのでしょう?

 

多くの人はそのエネルギーは消えると考えます。

物事を現実的にしか見ない人ほどそう考えるのですが、これおかしいわけです。

だって、そうなのであれば誰一人異論をはさまない「エネルギー保存の法則」はその状況においてどう適用されるのか?ということになるでしょ。

物理的にしか物を見ないのであれば、物理的に考えてそのエネルギーは形を変えたとしか考えられないじゃないですか。

それを魂と呼ぼうが何と呼ぼうが構わないのですが、明らかに先ほどまでそこに存在していた生命エネルギーはその本質(essence)に戻ったと考えるのが論理的でしょう。

 

人間の肉体を離れたエネルギーがどうなるかはひとまずおいといて、人間が考える生と死というのはあくまでもこちら側だけから見た、非常に限られた見方であります。

そのエネルギーが違う次元で存在するならば、そこは時間の経過がこの世界とは違います。

今は量子力学というのが非常に進んでいるようで、目に見えないとされていた世界についてメッセンジャー達が言っていたことが間違ってはいなかったということが多いようですよ。

こちらの世界の100年が向こうの世界で1分位に(1秒でも良いけど)相当するとするならば、生まれて死ぬということはそんなに儚く切ないものでしょうか?

どちらかというと、ほんの束の間こちらの世界に遊びに来てるという感じじゃないですかね?

 

この辺のことを池川先生はディズニーランドに例えてうまく説明しておられました。

数多くのアトラクションがありますが、人により乗りたいものは違います。

ビッグサンダー・マウンテンやスプラッシュ・マウンテンに乗りたいという人もいれば、ただミッキーやミニーと会って一緒に写真を撮りたいだけという人もいます。

非常にアップダウンのある人生もあれば、穏やかに過ぎて行く人生もある。

でもそれは生まれる前にそういう体験がしたいと決めたからです。

そして・・・・

中にはディズニーランドに入場するだけで、すごくワクワクするので、それで十分という人だっているのです。

 

そういう感覚が理解できると、なぜ死産や流産を選ぶ魂がいるのかがわかるでしょう。

およそ人の一生の中で最も驚異的かつ神秘的でありスリリングなのは、受精してから子宮の中で自分の体が作られて行く10カ月間ではないでしょうか?

これがすなわち入場するだけで満足という感覚です。

それだけで十分でそれ以上はいらないと考えている魂もいるということです。

あらゆる魂は人の役に立つために(も)生まれてくるので、死産や流産は確かに両親にとっては悲しい出来事だし、特に母親には大きなトラウマを残しますが、見方を変えれば自分のDNAを引き継いだ生命を短期間ではあるが授かったという喜びを与えてくれるものでもあります。

心の底からこのことを理解すれば、そして親の立場だけから妊娠・出産をみるのではなく、宿る胎児の立場からも物を見るようにすれば、すこ~し考え方が変わってくるのじゃないでしょうか?

 

中絶の手術の依頼を受けた時に、池川先生は母親に「必ず赤ちゃんの許可をもらってね」と伝えます。

池川先生の方でもお腹の胎児に「手術してもいい?」と聞かれるそうで、その返事を聞いてから、またダウジング等を使って手術しても大丈夫と確信してからでないと行わないそうです。

胎児の答えなんて聞けるのか?と言われるかもしれませんが、聞こえる人には聞こえるし、「なんとなく聞こえたみたい」だっていいじゃないですか。

胎児の意志を尊重することなく、大人の都合だけで生命の糸をぷっつりと切るよりはよほどマトモだと思うのですけど。

ダウジングというのはチェーンの先に水晶をつるし、こちらの質問に対して水晶がどのような動きをするかにより答えを得ようとするものです。

迷信と軽んずるなかれ。

少し前までは地下に埋設してある水道管の水漏れ個所を探すのに普通に行われていたのです。

 

ああ、もし叶うなら、もう一度赤ちゃんを授かりたいと思うのは僕も妻も同じ。

でもきっとまた、「ああしとけば良かった」 てなことになるんでしょうけどね。

当院のスタッフはこういうことを僕から嫌ほど聞かされているので、結構ハッピーな子育てをするんじゃないかと思っています。

2011.10.5