I’m in Cosmos ~KAPPA コスモス寺(般若寺)を彷徨う~
近鉄各駅には沿線のいろんなお寺に咲く花の見頃が掲示されています。
お寺に花を見に行くついでに仏像の拝観もするというノリです。
各お寺にはそこの名物とでもいうべき花がありまして、季節ごとにどこのお寺の〇〇が見頃だから行ってみようか、となるわけです。
うちからでしたら電車に1時間近く乗って行くところもあれば
車でヒョイと行けるところもあり、昨日訪れた般若寺は車で約10分くらい。
近いです、はっきり言って。
歩くと結構根性いる距離なので車で参りました。
写真は僕の大好きな奥さん。
それにしてもまあ、なんと観光客の多いこと。
でも拝観料払ってお寺の中に入って一面のコスモスに囲まれると
ひゃあ!すご~い!!
他の人間はコスモスに埋もれてしまって、関係ないって感じ。
嫁さんが言ってましたが、これだけあるとコスモスに酔ってしまうようですね。
普段見ることのできない白鳳の秘仏も公開されており、中々のものでした。
下の写真でね、お寺の土塀から彼方を眺むれば背の低き山が見える、といういかにも古都らしい風景にプチ感動したわたし。
その後は以前にもご紹介した水間町の「ハーブガーデン」でラ~ンチ♪
食後、パンが焼き上がるのを待って買い求め、ホームセンター経由で帰宅。
夕方から歯科医師会での学術委員会に出席し、その後居酒屋で皆さんで懇親会。
しょっちゅう懇親してます、僕たち(笑)
奈良に戻ってきてから、Dalwhinnie(ダルヴィニー)というバーで何でか知らんけどマスター相手に皇室と宮内庁の無茶苦茶について熱く語っていました。
ほんでもって帰宅後、嫁さんと喋っていたのですが、休診日に夫婦でのんびり一緒に過ごせるのはホンマ幸せなこっちゃなぁ。
とりとめもない話をしながら、なぜだか気づきのようなものが来たりすることがあります。
当HPの検索ワードで最近、「池川明 宗教」とか「ワンネス カルト」とか、またしても「ディクシャ 怪しい」などというものがあります。
相変わらずアホがおるなぁ、と思うのですが、ディクシャを怪しいと思うのはその人の勝手なので構わないのですが、それを同じような意見を探そうとネット検索する意味がわからん。
ヒマか!
あなたがそう思うんなら、そう思うでいいじゃない。
「シャングリラからの伝言」にしたって、「それって宗教でしょ」と言われたところで反論する気にもならん。
「いえ、これはこれこれこういう理由で宗教ではありません」と僕が答えたところで、
「ふーん、そうなんだ。宗教じゃないんだ」なんて納得の仕方はしないわけです。
ところでね、僕自身は依頼があればディクシャをしますが、今の巷で開かれているディクシャ会(パクティヨガ等のこと)は怪しくって(!?)胡散臭くって、とてもじゃないけど行く気にはなれません(笑)
「池川明 宗教」に至っては噴飯ものですが、昨日ふと気付いたのは「カルト」という言葉についてです。
これは現在では反社会的な宗教のことを意味するようですが、考えてもみてください
「うちはカルトです」と公言するような教団があるでしょうか?
あるわけないでしょ。
つまりカルトという言葉は、外部の者が客観的に決めつける語であって、あくまでも一方向のヘンテコなものなのです。
もちろん本来の意味はさにあらず。
勝手に意味が変異していってるだけの話なのですが、その結果言葉として一方通行のおかしなものになっているということに気づいたわけです。
なんだかなぁ・・・・。
でも、やっぱり、奈良はええわぁ。
2011.10.21