ついにやってきました、2011年11月1日が。
言うまでも無く一並びです。
ふうさんの誕生日です。
ならまちワンネスビル一階に「龍英鍼灸接骨院」がオープンしました。
本日は、最近話題にしている加治将一氏の作品をご紹介しながら、日本人の由来について考えたいと思います。
そもそもは「地球人のためのスピリチュアルレッスン」のサマーキャンプで同室になり、今は僕の2級天使をされている(?)柴田さんから紹介されたのがきっかけで、加治さんという人とその作品について知りました。
セラピストであり歴史小説家でありますが、一般的には「借りた金は返すな!」の著者と言った方が通りが良いかもしれません。
一気に何冊も買ったので、僕と妻で同時進行で別々の本を読み始めました。
僕はまず「陰謀の天皇金貨(ヒロヒトコイン)」からスタート。
これがメチャクチャ面白くって、おまけに実話をフィクションっぽく書いている(単に仮名にしているだけともいえる)ので、司法も検察も警察も全く信用ならないということが信条の僕には溜飲下がるような話です。
内容は一言でいうなら、国家ぐるみのイカサマですな。
僕にとってはその点において驚きはありませんが、一般の方は信じられないと思われるかもしれません。
信じられないという内容はまだまだ続きます。
次に読んだのが「幕末維新の暗号ー群像写真はなぜ撮られ、そして抹殺されたのか」
これは幻のフルベッキ写真にまつわるもので、来日したフルベッキの周りに幕末の志士たちが全員集合状態で写真に写っている。
そしてその中央近くに疑惑の人物が。
時を南北朝時代までに遡り、明治天皇すり替え説に力強い根拠を与えながら話が進みます。
そして「失われたミカドの紋章」に「舞い降りた天皇(すめろぎ)」
これらの中で邪馬台国を含め、日本人のルーツはどこから来ているのかに鋭いメスが入ります。
すべての歴史書は、それを編纂させた時の政府の意向が十二分に入っています。
古事記も然り、日本書紀も然り、韓国や中国のものとて同じです。
だからといって全くの出鱈目が書かれているわけではありません。
書いたものの意図を読み取りながら、真実はどうであったかを追求していくのが歴史資料の正しい読み方です。
「石の扉」ではフリーメーソンについて綿密な取材をもとに書かれています。
僕も当ブログでよく巷で言われるような フリーメーソン=闇の勢力 というのは違う旨を書きますが、本書においてはメーソンに対する認識を新たにさせられました。
最後に読んだ「龍馬の黒幕」が一番難渋しました。
それまでに読んだ歴史小説は、望月真司シリーズといって自身を仮名を使った歴史小説家として登場させるパターンで、ドラマ仕立てで進んでいくので非常に読みやすかったのですが、本書は加治氏が論理的に説明していくという形なので、あくまでも僕はですが、中々読むのが進みませんでした。
そもそも僕は歴史に対してあまり興味がありません。
坂本龍馬を含めて、幕末の志士なんぞに微塵も興味がないのです。
ただし、近代国家日本がどのようにして形成されたか、については知りたいし、そもそも日本という国はなんぞや?という命題が常に頭の中にあるのです。
ですから加治さんの本の中に登場する著名な歴史上の人物そのものに対する興味は無いものの、彼らが生きた時代の奔流というのは非常に面白く、そこで浮き彫りになってくるそれは僕が歴史の授業で習ったのとはずいぶん違っています。
坂本龍馬がフリーメーソンだったというのは有名な話ですが、加治さんの本を読み進める中で、イギリス人グラバーの手で日本という国が開国へと動いてゆき、最終的には日本を管轄するのがイギリスからアメリカにわたっていく流れを知ると、「いったい日本人とは何なのか?」と自問せざるを得ません。
僕が加治さんの小説がすごいと思うのは、綿密な調査と大胆な想像力です。
調査とはただ歴史の資料を読むだけではありません。
すでに述べたように資料をどのように読むかで全く意味が違ってくるのです。
もちろん現地にも何度も足を運ばれます。
いざとなればそこで瞑想をしてヒントを探ります。
その労たるや学者並みか、あるいは取材費の関係で学者以上かもしれません。
加治さんの結論はいつも一見、突拍子もないものに思えます。
しかし、そうでなければ今さら歴史小説など書く必要もないでしょう。
今まで語られていることは、何かが違うから書く余地が出てくるわけです。
であるなら、新しく語られることは今までの概念をひっくり返す様なものになる。
ごく当たり前の話ですね。
あらゆる資料をあらゆる角度から検討して、そして大胆な想像力を元にある仮説を導く。
この大胆な想像力というのがミソです。
これが無い人は一流にはなれません。
資料から得られた事実と思しきことだけを繋ぎ合せて歴史を語ることは誰だってできるし、これまでは貧困な発想しかない学者が幅を利かせていたのでしょう。
だから歴史がつまらんのです。
加治さんの本に登場する幕末の志士たちは皆、非常に活き活きしています。
その時代の空気、下手に夜道を歩こうものなら敵対するグループに斬られかねない京の町、錯綜する情報、いったい幕府は攘夷なのか開国に動くのか、それによって自分の藩の存亡はどうなるのか?等々の思いが塗り込められた物語は、僕たちが手にした教科書や歴史書などとは次元が違います。
話を戻しますと、大胆に見える仮説を再度、様々な資料とつき合わせていき矛盾が無いことがわかれば真実に一歩近づきます。
矛盾が無いというよりは、どう考えてもその仮説通りであるとしか考えられない、それによりすべての事実が符合するのだ、という感じでしょう。
日本人のルーツはどこか?
韓国?中国?それとももっと西方の人たち?
縄文人と弥生人、そんなにはっきり時代分けが出来るものでしょうか?
日本という国名は誰が名乗り出したのか?
いったい天皇とは何か?
誰がその言葉を使い始めたのか?
詳しくは加治さんの本を読んで頂きたいと思うのですが、僕の考えはこうです。
あくまでも僕の考えです。
元来日本には土着の非常に平和的な民族が暮らしていました。
遥か遥か昔の話です。
そこに大陸からの移住者(侵略者)がやってきました。
鉄器を持つ彼らには到底かなわない、というより戦うという概念が無いのだからやられっぱなしです。
しかし僕は彼らの血は脈々と現代に受け継がれていると考えています。
天皇家が万世一系でないのはいまや常識ですが、歴史上の血で血を洗うような後継者争いがあったにせよ、僕は今は天皇という存在はあって良いのだと思います。
そう、日本の象徴として存在するべきなんだろうと思うのです。
よろしいですか、日本の歴史上、日本の象徴としての天皇とは昭和天皇と現在の明仁天皇のお二人だけですよ。
件の宮内庁は日本という概念を、日本人という概念を何とか守りたいと必死なので、様々な嘘をつきます。
日本人のルーツが大陸から来ていて、天皇家に朝鮮王朝の血が混じっているなどはとんでもない話なのでしょう。
僕は嘘が嫌いです。
あらゆる事実を公表すべきだと考えます。
宮内庁のやっていることは結局は国民だけじゃなく、天皇家に対しても愚弄するものだと考えます。
ただし、そうなると確かに日本人の根幹が一度揺らぐでしょう。
僕が今思うのは、日本というのはあくまでも概念なのだということです。
その血のルーツがどこからとかいうことではなく、日本=和 日本人=和人(倭人?)であるということです。
その日本に対する概念が表面上を大切にする宮内庁と、その核心は何かを大切にする僕とでは違うという話。
現在、日本には数多くの在日韓国人の方がいらっしゃいますし、日本が大好きで帰化している欧米人だっています。
これは異論もあるでしょうが、僕は彼らは日本人なのだと言いたいのです。
それが僕の考える「日本とは何か?日本人とは何か?」に対する答えです。
僕たちは過去の歴史の上に存在しています。
だから正しい歴史を知る必要があります。
起こった事実を有利不利とか関係なく、ただそれだけを列記し、その結果としての歴史上の事件をどのように認識し、自分ならどうしようとするのか?
歴史を学ぶ意義とすればそれしかありません。
それをないがしろにしては二国間の友情など笑い話でしかないでしょう。
2011.11.1