幸せなお産が幸せな社会を作る
傷ついた大人を癒すのは時間も手間もかかるので、もうそんなことはおいといて、傷ついた子供を作らない、まずは「幸せなお産をしよう!」から始めるのが何より効率的だと思うようになってきました。
ワンネスとか愛とかアセンションとか言ってるより、産科の現状を変えれば社会が変わる。
浮ついた寝言みたいなこと言ってるより、その方が現実的でしょう。
もちろん産科の現状を変えるのは一朝一夕にはいかないでしょうが、これはお母さん方が声を上げていけば、赤ちゃん本位のお産をしたいと訴えていけば、徐々に、しかし確実に変わると思います。
池川先生には当分頑張ってもらわないといけませんが、僕たちも出来る限りのことをしなければなりません。
結局、名張での講演会に参加したのは、そういう意味があったのね。
先日、当院の衛生士をしている村上さんのお母さんが交通事故に遭いました。
バイクに乗って停止して信号待ちしていたら、後ろからワゴン車にドン!
そのワゴン車を運転していた男性はお母さんより年上で、おまけに飲酒運転。
朝の9時頃ですよ。
相手の運転手は即逮捕、お母さんは救急車で病院に運ばれながら自分で携帯で村上さんに電話してきました。
さて、いつも申しますように、村上さんのお母さんにとっては降って湧いたような不運としか言いようのない事故も、決して偶然には起こりません。
じゃあ、そんなのもお母さんが引き寄せているのか?その出来事を体験したかったのか?というと、う~ん、ニュアンスが微妙で言い回しが難しいのですが、あえて言うならその通りです。
お母さんの何がそれを引き寄せたのか?何を体験したかったのか?というのはここでは述べませんが、根底にあるのは許しです。
この誰が考えたってどうしようもないアホな男性のことを許せるのか?
その一点につきます。
精密検査の結果、現在のところお母さんには異常は見つかりませんが、そんなもの整体のM先生や「いやしの村」のMK-5とかにかかったら、異常が見つかるに決まっています。
ワゴン車にぶつかられるという衝撃を受けておいて、何も変化がないなんてことを診断する医者が馬鹿です。
どこかにわずかな骨のズレ、筋肉や靭帯の損傷、それに伴う血液やリンパの流れの変化が起こっているはずなのです。
だからお母さんは強い痛みを訴えているのです。
ただ、痛みというのは肉体的な異常からくるのですが、気づきという意味合いもあります。
そこでその不運な事故を自分のために活用して気づくべきことを気づけるかどうか、ということです。
これね、考えてみたらまだラッキーな方でして、一応、病院では異常なしだったわけでしょ。
頭蓋骨骨折とか頸椎損傷とかだったらエライことです。
もし、今回のような事故の形をとらないのであれば、癌だってありなんです。
おまけにね、お母さんの娘はこの「ならまちワンネス歯科」に2年近く勤めているんですよ。
村上さんがうちに来る前に事故に遭ったのじゃないのです。
今、事故に遭うことに意味があるし、そうなっているのです。
普通はこのように考えることなんてできないでしょう。
まして自分が当事者なら(被害者であっても加害者であっても)なおさらです。
しかし、それが宇宙の真理なのです。
この世に偶然に起こることなど微塵もないということを肝に銘じておいてください。
あとはその出来事をどのように意味付けし、どのように体験するのか?
それによりあなたの人生は動いていくのです。
この話はもう少し突っこんだ方が良さそうなので、続きは明日。
犯罪はなぜ起こるのか?ということです。
ついにこの話をしないといけない時が来たかって感じ。
おそらく僕に対して非難轟々でしょうな。
ただ、毎日適当にブログを書いているにもかかわらず、明日これを書かないといけなくなるというのは定めなんでしょう。
どうしてって、明日は2011年11月10日ですよ。
明後日は正真正銘の一並び2011年11月11日です。
人類がようやく自分の位置(一)につく時です。
一とは数の始まり、つまりスタート地点という意味です。
その日を迎える前に、今までのあらゆることを許しなさい、ということのようですよ。
2011.11.9