いま、すべてを赦すとき

本日、僕はあえて泥をかぶりましょう。

どう考えても、今日の内容は皆さんに納得してもらえるとは思えない。

むしろ、僕のことが赦せないとなる可能性大。

誰かが言わなけりゃならないことなのですが、言った人は非難を浴びるという類のもの。

 

最近、頻繁にご紹介している加治将一氏。

これはご本人が書いていらっしゃることなので、ここで公開しても良しと判断しますが、加治さんがかつてアメリカにいた時に奥さまを亡くされました。

まったく身に覚えのない殺人事件に遭い、犯人は捕まらないどころか、そもそも警察が(日本人を)相手にしてくれない。

日本大使館はまったく何の役にも立たず。

ヒーリング小説「アルトリ岬」はそういう人が書いたものなのです。

加治さんは今は肩書きの一つにセラピストがありますが、それは先ほどの経験がなければどうなっていたでしょうか?

事件当時、加治さんは確か投資の世界にいらっしゃったと思うんですが、もしその事件がなければそのままその世界を邁進されていたかもしれません。

今、加治さんは実際のセラピーや小説を通して多くの人を癒しておられます。

こう考えると、先ほどの事件の意味付けはどうなるでしょうか?

加治さん本人も自身のツイッターでつぶやいておられますが、かけがえのない人を失った思い、それも事件で失ったのなら尚更ですが、それは誰にもわかりっこないし、決して癒えることのない心の傷でしょう。

それは重々承知の上で書くのですが、この世界で起こることにはより高い視点から必要なことがあるのではないでしょうか?

誰も事件や事故で身内を亡くすなどという体験を望みなどしません。

しかしより深く高い意識レベルでは、すべてが合意の上に進められているのです。

このようなことを犯罪被害に遭われた方に面と向かって話せるかというと否です。

でも、そうなのです。

 

カルマの法則というのがあります。

原因と結果とも言いますが、今、自分に起こっていることはかつて自分が撒いた種だということです。

犯罪に遭われた方は前世では逆に加害者だった可能性もあります。

あくまでも可能性ですよ。

もし通り魔が路上や学校で何人もの人を傷つけたのなら、その犯人は前世において被害者たちに集団リンチを受けたということもあり得るのです。

だから多くの場合、無差別なようで傷つける相手を選んでいます。

時間など幻想で過去も現在もないのだとすれば、そして今言ったことが仮に本当だとすれば、いったい誰を罰しますか?そして誰のために涙しますか?

 

僕が思うに、このような事件も生まれる前の魂レベルにおいて加害者、被害者ともに合意の上に設定されます。

ただし、これはあくまでも条件設定であって、必ずしも事件に至る必要はない。

避けられるということです。

それは、皆が分離の意識を手放し、人を本当に愛することを学べば、避けられるということ。

加害者はあえて厳しい条件の親を選びます。

残念ながら現実は、愛されない家庭に育ち、愛されない学校を経て、愛されない社会に出る。

そして犯罪にいたる。

これは犯人が悪いのでしょうか?

犯した罪自体は確かによくないでしょうが、責任は誰が取るべきですか?

犯人を捕まえて謝罪させ死刑にすればそれでOKですか?

それで次の犯罪者はでなくなるでしょうか?

他人のことなどどうでもいい、自分さえ良ければ、自分の子供や家族さえ良ければ、という風潮にも原因があるのではないでしょうか?

 

繰り返し言いますが、過去の犯罪で加害者、被害者を入れ替えて違う役回りで事件が起きるかもしれないという条件設定だけはありますが、その通りに事件に至る必然性はないということです。

もし、加害者が(本当は被害者もなんだけど)無条件に愛される家庭で育ったら、その事件は起こらないばかりか、カルマはそこで終結です。

それに関係した人たちの中で、そのような事件は未来永劫二度と起こりません。

もうその劇をする必要がないから。

するとその関係者の魂は皆、大きく一段階成長したということになります。

 

今はやかましいくらい安全管理が叫ばれています。

もちろんそれらは必要なこともあるでしょう。

しかし、小学校の門は平時閉ざされ、通学路には大人が立って見守り、子どもたちだけで公園で遊ぶ姿など稀。

こんな社会は正常と言えるでしょうか?

それが安心・安全な社会なのでしょうか?

そこにあるのは不安と恐怖だけじゃないですか。

僕は違和感をおぼえます。

 

これだけは言っておきますが、いくら小学生の時に親が守ってあげたとて、先ほどのような状況設定をしているのなら、その子が成長してからいずれ何かが起きます。

親が犯罪から我が子を守ろうとする気持ちが強ければ強いほど、そういったものを引き寄せるでしょう。

子どもが年老いて死ぬまで見守れますか?

そんなこと無理でしょう。

そもそも変えなければならないのは、自分たちの意識ではないでしょうか。

 

身内が事件や事故に巻き込まれたのなら、当然加害者を許せないという思いになります。

ということは、周囲の人間は何を試されているかというと赦しです。

カルマの法則に則るならば、今、自分が赦しを試されているということは、過去世では赦されるべき何かをしでかしたということです。

こういうことが複雑にからんで事件・事故は起きるのです。

その関係者はまさしく関係者なのです。(過去世においても関係していたということ)

 

自分の愛する人を事件や事故で亡くされた方には、この記事は非常に無慈悲に聞こえるでしょうし、きっと傷つかれることと思います。

僕はそのことについてはいくらでも謝りますが、しかしもう、人類全体が明日のために赦しを覚えなければいけない。

「子どもを殺した犯人を赦しなどできない!」

それはそうでしょう。

僕だってその立場になれば、どうなるかわかったものじゃありません。

ですから、赦さなくてもいい。

ただ、赦しを覚えてください。

そうなのかもしれない、そういう考えもある、と思って頂くだけで結構なのです。

 

東北の地震で園児たちを適切な方向に避難させなかったといって訴えている人たちがいます。

わかりますが、もうこういうことはやめた方がいい。

皆さんが往々にして忘れがちなことがあります。

それは 霊(いのち)は死ぬことはなく、また、傷つくこともなく、永遠である

アウシュビッツでガス室に送られたユダヤ人たちも、今は永遠の喜びの中にいる、ヒットラーたちとともに。

頭では納得しがたいですが、どうもそういうことのようです。

 

この文責はすべて僕にあり、あらゆる批判はそのまま受け入れ、決して反論いたしません。

一昨年のシャスタで、「いやしの村だより」の表紙を描かれている柴崎るり子さんが持ってらしたカードから僕が引いたのが「許し」

昨年シャスタクラブで受けた治美さんのセッションで言われたのも同じ。

「今まであなたが経験してきたあらゆることは、すべて今のそしてこれからのためにあったのです。だからすべてを赦して、怒りを手放してください」

これを聞いた時、思わず涙がこみ上げてきました。

 

明日から、新しいあなたで出発するのならば、今日、ここですべてを赦して下さい。

それがシャングリラからの伝言です。

2011.11.10

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「いま、すべてを赦すとき」2件コメント

  1. 肥後の福純 より:

    先生がブログで紹介されてた、「アルトリ岬」を読みました。「シャングリラからの伝言」と並び、福純文庫の永久蔵書になりました。
    しかし、加治さんがそのような体験をされていたとは知りませんでした。また今夜読み直してみます。
    先生の今日のお話、とても共感します。
    ありがとうございます。

  2. Dr.KAPPA より:

    福純さん、コメントありがとうございます。
    僕が今考えるに、傷ついた大人を癒すには「アルトリ岬」、そういう大人を作らないために「胎内記憶」
    著書の「シャングリラからの伝言」はその枠外にあり、どうなんでしょう?今は現実的にはあまり必要ないのかも知れません。
    もう少し世界が落ち着いたら、教科書みたいな感じでいいかもしれないですね。
    これからも宜しくお願いします。

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