EGO & GURU エゴとグル、大いなる誤解
え~、最近ずっと思っていることがあるので、本日はそれでいきたいと思います。
EGO(イーゴと発音する)の定義をまずしておきます。
著書の中では書いているのですが、どんなけ偉い人でもこのことをきちんと理解している人は少ないのです。
エゴとは「自分自身を知りたいという欲求のこと」です
これ以外の定義はありません。
僕が言うのだから間違いありません、自信ないけど(笑)
この世界というか宇宙は自分自身を体験を通して知りたいという欲求から生まれました。
それがビッグバンと呼ばれるものです。
であるならば、エゴがなくっちゃあお話にならないわけです。
「わたしはいつまでたってもエゴがなくならない」とか「いまだに自我が強くって」とか否定的な意味合いをもって言う人がいますが、わたしは声を大にして言いたい。
「そんでエエやん!なにがあかんの?」
前にも書きましたが、人間というのはすべからく究極のエゴイストでおらずにはいられない性質のものなのです。
そうでないと宇宙が存在意義を失い崩壊してしまうのですよ。
何度も繰り返しますが、このことをきちんと理解しているグルは稀、ていうかいまだかつていなかったかもしれない。
アホばっかりや。
そういうことを競馬や競輪をして怪我するまで酔っ払うようなナンチャッテ歯医者が書くところがこの世界の面白いところであります。
ホンマかいな?(笑)
読者の皆さんは、僕があれだけ絶賛していた金城初子さんのディクシャセミナーに対して、もはや興味がない旨を読まれてアレ?と思われたことでしょう。
僕が今まで出会ってきたその世界のリーダーたちに対して僕が今思うのは、現実感がないということ。
要するにその人がきちんと普通の仕事をして、家庭生活を営み、その上で幸せであるという感じがどの人を見ても伝わってこない。
皆さん良い波動をお持ちだし、それぞれに素晴らしい人だとは思うのですが、そこが僕には不満に思えるようになってきました。
その人の私生活が見えてこないのです。
その中での幸せ感が見えてこないのです。
それでは他人を本当に幸せになんか出来っこない、と思うのです。
だって 幸せな人が幸せな人を作る んですから。
セッション中はそりゃ違うでしょう。
でもそのセッションやセミナーで体感した高揚感や大いなるものとの一体感はどれだけ持続するでしょうか?
本当はあなたが素晴らしい存在なのだ、あなたが神なのだ、何も知るべきことなどないのだ、ということを得心しないから、相変わらずしょっちゅうインドに行ったり、そういうグルみたいな人の元に足繁く通ってしまう。
それじゃあ、アキまへんねん!
僕はなにもこの「シャングリラからの伝言」の優位性を強調したいわけではないのです。
そんなの興味ないから。
ただグルたる人は、弟子を自立させ手放さなければならない。
いつまでも自分の元に通ってくるようなら、そのグルの人間性が未熟なのだと知らなければいけない。
相手に真の神性を見ないからそういうことになります。
禅の言葉に「守・破・離」というのがあります。
なんでもそうなのですが、最初は師匠の言う事を忠実に守る。
ここは違うと思っても、とにかく徹底的にその通りに守る。
そのうち自分に力がついてきたら自然にその守ってきたものを突き破るようになります。
それは基礎が出来てこそはじめて可能なこと。
革新的なことをするためには、最初の「守る」が必要なのです。
そして最後には師匠を超え、そこを離れるようになります。
自分独自の境地を開くわけです。
大切なことは師匠がそのことを認識しなければならない、ということです。
最初は徹底的に厳しく、しかし最終的には自分よりさらに上に行ってもらうように導くのです。
多くのグルは途中で弟子に対して嫉妬するようになります。
アホですな、ひとことで言って。
「シャングリラからの伝言」のスタンスは、絶対に依存させない、自立して自分の人生を切り開いていってもらう、自分で気づくように、そしてそれが可能だという事を知ってもらう、そういう感じで運営されています。
僕が意識してそうしているわけではなく、自然にそのように導かれているのです。
そういう意味において、僕はもうあまりスピリチュアル系の人と接触を持つことは少なくなるでしょうし、全く食指が動きません。
バシャールの話を聞くのもいいけれど、いったい何時になったらあなたは自分の内なる声を聞こうとするの? と言いたい。
昨日京都行きの近鉄特急の発車時間までに少し間があったので、ビブレの地下の啓林堂書店に行きました。
精神世界のコーナーをのぞいてみると、そりゃまあヒドイことになってますな。
2012年を前にして、いろんな新刊が出ているのですが、どれもこれもハア?というようなものばかり。
相変わらず闇の勢力にばかりスポットを当てているものや、2012年以降の世界を語るもの等々。
多くの本は「〇〇のためには〇〇しなさい」という類のことが書かれています。
あなたが望むもののためには、それを手に入れるためには、こうしなさい、ということです。
もうええっちゅうねん!
しなければならないことなど何もないというのが本当。
あとはそのことを理解しているかどうかだけの話です。
てなところで、本日は失礼いたします。
あ~、スッとした。
昨日行われたエリザベス女王杯、あんな安い馬券買うくらいやったら競馬なんか誰がするかいっ!(笑)
2011.11.14